クラシック 名盤探訪

クラシックの名盤紹介・おすすめ散策コース等、趣味の発信の場です。

秋葉原から浅草橋、柳橋、そして浜町あたりを歩く

2012年08月25日 | ウォーキング
コース順路:コース満足度★★★7月25日
JR秋葉原駅 → 秋葉原界隈 → 浅草橋問屋街 → 銀杏岡八幡神社 → 柳橋 → 薬研堀不動院 → 浜町公園 → 地下鉄人形町駅 

電気街、問屋街、そして江戸情緒がまだ残っている柳橋と浜町、そんな個性的な町を訪ねようと都心への電車に乗る。 
秋葉原界隈を歩くのは本当に久しぶりだが、周りじゅうが外国人(特に中国人)だらけで、海外の街を歩いている錯覚を覚えてしまう。
その先をずっと東の方へ歩いていくと、人形や玩具、服飾品とその生地やボタンなどを扱う店の看板が目立つ浅草橋問屋街にたどり着く。
銀杏岡八幡神社は、源頼義・義家が奥州征伐に向かう途中、小高い丘だったこの地に銀杏の枝を差して戦勝祈願し、その帰途、康平5年(1062)に当社を創建したと伝えられている。
祭神は八幡様の例に漏れず、誉田別命が祀られている。
大きな銀杏の木があるかと思ったが、残念ながら、江戸時代の大火で消失してしまったという。
神田川の一番下流で、隅田川に合流する河口のところに架かるアーチ型の美しい橋は柳橋と呼ばれている。
この辺りは隅田川の船遊び客の船宿が多く、花街として新橋と共に明治以降の東京を代表する場所だったところ。
柳橋芸者は遊女とは違い、唄や踊りで立つ事を誇りとして、とてもプライドが高かったと云う。
 

この辺りからの隅田川の眺めは情緒があって、とても癒される。
たくさんの船や観光船が往来するし、川上へ目を向けると「蔵前橋」が、反対方面には「両国橋」が見える。
東京スカイツリーがよく見えるのも楽しい。
古くから目黒、目白と並び江戸三大不動として知られていた薬研堀不動院を訪れる。
境内には「講談発祥の碑」あり、赤松青左衛門が両国橋のたもとで、講談の公演を初めて行ったのだという。
順天堂の始祖・佐藤泰然が、天保9年(1838)和蘭(オランダ)医学塾を開講した場所でもあったらしい。
 

初夏の向島百花園を訪ねて

2012年08月07日 | ウォーキング
コース順路:コース満足度★★★6月13日
京成押上線京成曳舟駅 → 露伴児童公園 → 蓮花寺 → 向島百花園 → 白髭神社 → 東武伊勢崎線東向島駅

幸田露伴が明治41年から暮らした住宅(蝸牛庵)跡が、今は露伴児童公園となっていて、彼の代表作の一つ「運命」の冒頭が彫られている文学碑が置かれている。
「・・・世おのづから数というもの有りや。有りといへば有るが如く、無しと為せば無きにも似たり。洪水天に滔るも、禹の功これを治め、大旱地を焦せども、湯の徳これを済えば、数有るが如くにして、而も数無きが如し。・・・」
蓮花寺は寺島大師とも呼ばれ、川崎大師平間寺、西新井大師総持寺とともに江戸三大師の一つと言われている。
見てみたいものだが、本尊は空海自筆の弘法大師画像という。
この寺の由緒を紐解いてみると、「・・・鎌倉幕府第5代執権時頼が、兄の武蔵守経時追福のために、1246年に鎌倉佐介谷に創建した蓮華寺を、経時の子頼助が当地へ遷した・・・」と記されている。
 

お目当ての史跡名勝「向島百花園」に到着する。
約200年前の文化・文政時代、骨とう商を営んでいた佐原鞠塢によって創設され、多くの文人墨客が常連客として訪れ、庭造りにも江戸庶民の趣向がこらされたという。
その後、11代将軍家斉、昭和天皇、伊藤博文や乃木将軍など多くの人々が訪れたというから、とても魅力的な庭であることに間違いはない。
約360本の梅、ミヤギノハギ、筑波のススキなど、万葉集を代表とする古典に詠まれている有名な植物を集め、四季を通じて花が咲くようになっているのが嬉しい。
「百花園」の名称は、「梅は百花に魁けて咲く」または「四季百花の乱れ咲く園」という意味でつけられたという。
庭からスカイツリーが眺められるのも、新しい趣向かもしれない。
   

白髭神社は、天暦5年(951)に、慈覚大師が白髭大明神の分霊を祀ったのが始まりというから歴史はかなり古い。
祭神は猿田彦命だが、道案内の神、お客様を案内してくれる神として有名で、商売繁盛を祈願する人々が絶え間なく訪れるらしい。