クラシック 名盤探訪

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鶴間宿~渡辺崋山が通った道を歩く

2008年09月23日 | ウォーキング
コース順路:コース満足度★★★
小田急鶴間駅→矢倉沢往還→鶴林寺→下鶴間ふるさと館→相州鶴間村宿の碑→観音寺→諏訪神社→小田急鶴間駅(バス)

文人画家、洋学者としても名高い渡辺崋山は、仕えた田原藩の友信公の実母お銀様を訪ねて旅し、その時のことを「游相日記」という書にしたためている。
小園村(現綾瀬市)に住むお銀様を尋ねるくだりなどは、読んでいてじんと胸を打つものがある。
それにつられたのか、つい先日、渡辺崋山が通った相州高座郡鶴間宿を訪れてみた。

鶴間宿(下鶴間宿)を目指し足をすすめると、八王子の滝山城と鎌倉の玉縄城を繋ぐ滝山街道と大山みちのひとつである矢倉沢往還の交差点があり、そこにまだ真新しい石柱が立っている。
少し先に進むと、鶴林寺の下のところに旧鶴間宿の説明板があり、当時の宿の様子などが詳しく書かれている。
 

鶴林寺という浄土宗の立派な寺を訪れる。
この寺のすぐ横には、渡辺崋山が泊ったという旅籠「まんじゅう屋跡」の碑があったのだが、ついうっかり見過ごしてしまった。
すぐ先に「下鶴間ふるさと館」がある。
矢倉沢往還の下鶴間宿に残された宿場町時代の唯一の商家建築である旧小倉家住宅母屋と土蔵が再現されている。
 

昔の鶴間宿の様子を示す絵が飾ってあり、じっと見ているとタイムスリップして昔の旅人になってしまう様な気持ちになる。
少し先に進むと、相州鶴間村宿の碑が道脇にある。
矢倉沢往還の一宿場で、人や馬の継立村として賑わったという。
 

碑のすぐ先の境内に入ると、新田義貞公の鎌倉攻めの像が建っている。
義貞公が1333年(元弘3年)鎌倉幕府の北条氏を討つために、鶴間宿を通ったことに因んだもの。
すぐそばにある観音寺は、武相卯歳観世音第一番札所として名高い。
大きな銀杏の木と左側に立っている観音菩薩の対比が面白い。
最後に訪れた諏訪神社は下鶴間の鎮守で、その立派な建物の佇まいを見ていると、身がきりりと引き締まる。
  

渡辺崋山の身に成りすました気持ちでこの鶴間宿を歩くと、崋山のその時の状況が何となく解るような気がしてくる。
なかなか興味深い体験が味わえる面白い散策路。