クラシック 名盤探訪

クラシックの名盤紹介・おすすめ散策コース等、趣味の発信の場です。

この曲この一枚 その13 ジュゼッペ・タッディの魅力(いくつかのアルバムから)

2010年03月27日 | この曲この一枚
  
もう一人、どうしても取り上げずにはいられないイタリアの名バリトン歌手、ジュゼッペ・タッディがしきりと頭に浮かんでくる。
彼は1916年に北イタリアのジェノアで生まれ、1936年にローマ王立歌劇場でデビューしている。
私としては、第二次大戦後のイタリア・オペラ界が生んだ最も優れたバリトン歌手の一人だったと思っている。
その豊かな陰影に富んだ声と洒脱な表現は、ファルスタッフやフィガロ、レポレロなどの役を語るときには絶対に欠かせない存在だった。
手元にあるCDでのリゴレット(クエスタ指揮のチェトラ盤)、スカルピア(レオンタイン・プライスがトスカ役だったカラヤンの旧盤)、そしてレポレロ(ジュリーニ指揮のEMI盤)と、どの役回りを聴いてもその素晴らしい歌いぶりにはただただ脱帽する。
どのアルバムでもいいので、ぜひ一度は彼に注目して耳を傾けて欲しいと思う。
・ジュゼッペ・タッディ<Br>「オペラ・アリア集」<CETRA>
とっておきの名盤 その50 モーツアルト 歌劇「フィガロの結婚」

この曲この一枚 その12 エリノア・スティーバーの魅力(いくつかのアルバムから)

2010年03月20日 | この曲この一枚
   
前回のバリトン歌手シュルスヌスに触れたなら、今度はどうしてもアメリカのソプラノ歌手エリノア・スティーバーの魅力を語らずには入られない。
彼女の生まれは1914年で、1990年に76歳で亡くなっているから今年は没後20年という事になる。
24歳の時にメトロポリタン歌劇場の放送のオーディションに応募し、800人近くの応募者の中から選ばれたのがデビューのきっかけだったというから、スター要素は十二分だ。
彼女の声の全てが魅力に満ちていて、その訴えかける歌の調べを言葉で表現しきるのはなかなか難しい。
残念ながら私などは、相性が良い声とか、高音の震えるような美しさとか、どうしてもありきたりの表現になってしまう。
とにかく、役柄の幅が広くて常に温かみのある解釈を見せてくれる素晴らしいオペラ歌手だった。
手元にあるCDでの蝶々夫人やエルザの美の極みを見せる歌の素晴らしさなどは、まずは聴いてもらうしかないと思う。
録音が少ないので、ひとまずこのオペラ・アリア集を「この曲この一枚」としてあげておく。
エリノア・スティーバー「オペラ・アリア集」:モーツアルト_三大オペラからのアリア、ヴェルデイ_幾つかのオペラからのアリアなど
とっておきの名盤 その67 プッチーニ 歌劇「蝶々夫人」
とっておきの名盤 その8 ワーグナー 歌劇「ローエングリン」

「台湾ぐるり周遊5日間」の旅

2010年03月10日 | 歴史・旅(海外)
コース順路:コース満足度★★★ 2月1日~5日
台中<宝覚寺>→日月潭<玄奘寺>→<文武廟>→台南<赤嵌楼>→高雄<蓮池潭>→<寿山公園>→<六合二路夜市散策>→墾丁<ガランピ岬>→花蓮<三仙台>→<太魯閤峡谷>→台北<国立故宮博物院>→<中正紀念堂>

2月はじめ、寒い日本は遠慮しようと旅行ツアー「台湾ぐるり周遊5日間」に参加する。
台湾の人々は親日的だし、料理も美味しいということなので期待に胸を弾ませる。
まずは、台北から約180Kmほど南、台湾海峡側のやや中央にある台中市を訪れる。
日本人とも深いつながりのある寶覚禅寺は、高さ約30mの金色の弥勒菩薩像が有名ということで、どんな仏様かと思って見てみると、どうみても布袋様にしか見えないから面白い。
 

終戦後、在留日本人は総て故国に引き揚げたが、着の身着のままで物故者の遺骨を持ち帰る余裕もなかったとのこと。
台湾で日本人と結婚した中国人の方(日本名・野沢)が、戦後10数年もかけて島内で引き取り手のない約2万人の日本人の遺骨を集め、そのうち1万4千人分を収めているのが境内にある納骨堂なのだという。
次に訪れたのは台中から40Kmほど内陸にある台湾有数の景勝地「日月潭」、日本で言うと箱根芦ノ湖の感じとよく似ている。
そこにある玄奘寺は1965年に創建された寺で、西遊記でよく知られている玄奘大師(三蔵法師)の霊骨が祀られている。
玄奘大師は602年に出生、11才で父母を失い、13才の時に洛陽にある浄土寺に入り出家、20才の時に長安を出てインドに向かったと云われている。
インドから長安に帰ったのは645年、43才の時とされているから23年間にわたる長い旅だったことになる。
 

玄奘大師にお参りした後、何やら厳かな気持ちで境内へ出る。
そこから眺める湖は、一段と素晴らしい景色を見せてくれる。
 

次に訪れたのは日月潭の畔にある文武廟、ここに祀られている神様はいわゆる有名人。
廟は前殿、中殿、後殿の三殿様式になっており、前殿は文廟で文の神である孔子が、中殿は武廟で武の神である岳飛や関羽が祀られている。
建物の壁に彫られているのは、龍や虎が多い。
  

台湾の小京都とも呼ばれる台南市の赤嵌楼(紅毛城とも)を訪れる。
ここは、1653年に台湾南部を占領したオランダ人が建てたもので、当時はプロビデンシア城と呼ばれていた。
その後、台湾の英雄とされている鄭成功が、1661年にここを奪還して承天府と改名した歴史のある建物。
鄭成功は日本とも関係がある人で、近松門左衛門の人形浄瑠璃「国姓爺合戦」を紐解くと、「主人公・和唐内こと鄭成功は、1624年福建省出身の貿易商・鄭芝龍と平戸の女性・田川マツとの間に平戸で生まれ、幼名福松の名で弟七左衛門とともに幼少期を過ごした」とある。

 

台北につぐ大都市、高雄にある蓮池潭という池には面白い話がある。
畔にある二つの塔の入り口が、それぞれ龍と虎になっていて、多くの観光客が龍の口から入って虎の口から出ている。
これは、災いから逃れられるという中国のことわざ、「虎口逃生」に基づいているのだという。
 

夕方になって訪れた寿山公園の忠烈祠の近くから見下ろす高雄港や高雄市内の眺めが素晴らしい。
忠烈祠には国民革命の烈士たちの霊が奉られており、敷地内には清代の大砲が戦士たちの魂を弔うために供えられている。
 

夜になって、高雄市の名物の六合二路夜市を散策する。
500mほどの間の道路両側を屋台がひしめく市場で、夕方から深夜にかけて食を求めてやってくる人達でごった返し、にぎわいをみせている。
港町の高雄だけあり、新鮮な海鮮を並べた屋台の多いのが特徴となっている。
 

台湾の最南端の地、墾丁にあるガランピ岬の前方には陽光にきらめく大洋が広がっている。中国との間の台湾海峡が広々と横たわっている。
ここにある灯台が、海域を航行する船舶の重要な道しるべとなっていることは間違いない。
 

台湾でも人気の名所となっている「三仙台」の名称が気になって調べてみると、「・・・八人の仙人が荒れ狂う海を超える時に、そのうちの呂洞賓,何仙姑,李鐵拐の三人がこの島に降り立ち、三つの巨石となって陸の方をいつもじっと眺めている」という伝説に因るらしい。
バスが「北回帰線記念碑」があるところで停車、早速その大きな塔を眺める。
「北回帰線」そのものが良くわからなかったので、またもや調べてみると、位置は北緯23度27分で、夏至と冬至に太陽の真下となる地点を連ねた線だという。
  

花蓮の街からバスは、太魯閤峡谷(タロコ渓谷)を一路目指す。
この渓谷は世界でも珍しいという大理石の大峡谷で、立霧渓を挟んでそそりたつ大理石の目もくらむような断崖絶壁が、約20Kmも続く風景はたしかに素晴らしい。
奇岩怪石と水の美しさもあいまって、台湾の中でも特に人気のある観光地になっている。
「タロコ」の地名は流域の台湾原住民タロコ族の言葉で「連なる山の峰」を指すとか、高名な頭目の名に由来するとかではっきりしていない。
  

今回の旅で最も楽しみにしていた国立故宮博物院、ここには中華民国政府が台湾へと撤退する際に、悪く言うと紫禁城から掠め去った多くの美術品が展示されている。
その数が60万8985件にも及ぶというから大変なもので、世界四大博物館のひとつにも数えられている。
限られた時間の中を通り過ぎるように見たので、何が良かったのかあまり思い出せないのが残念。
中正紀念堂は中華民国の初代総統・蔣介石(本名は「中正」)を顕彰して1980年に建てらている。
北京の天壇を模して造られた本堂の屋根は八角形で、これは「忠、孝、仁、愛、信、義、和、平」の八徳を象徴しいるのだという。
 

蒋介石とその夫人、そして孫文のことが気になるので、略歴を述べてみる。、
蒋介石:日本の陸軍士官学校へ留学し、その後辛亥革命に関わったことで孫文からの信頼を得、後に国民政府の主席となる。
第二次大戦後、中国共産党との国内戦に敗れ台湾に逃れたが、その後死去するまで中華民国総統の地位を続ける。
蒋介石夫人:美齢夫人は、当時高名な財閥であった宋家の三姉妹の三女にあたる。
長女靄齢は財閥の孔祥煕へ、次女慶齢は革命家の孫文に嫁ぎ、「ひとりは金を愛し、一人は権力を愛し、一人は中国を愛した」ともいわれる有名な美女三姉妹のひとり。
孫文:中国の清末から民国初期の政治家・革命家で初代中華民国臨時大総統になっている。
辛亥革命を起こし、「中国革命の父」とか「国父(国家の父)」とも呼ばれ、二つの中国で尊敬される数少ない人物とされている。