右の後頭部の付け根から肩につながるあたりの筋が、寝違えのきついやつみたいな感じで痛いのが一週間以上治らなず一昨日踊って悪化した。アンメルツで誤魔化してたけどだめらしい。
振り向く、俯く、反るの首の動きの可動率が正常時の20%くらいで、特に朝起き上がる時が痛い。
上体、頭を持ち上げるのにこんなに首の筋力が関与してたのかと気付く。首が座るっていうのはつまりこのあたりの筋力の発達によって可能になるのだなと最近つかまり立ちが出来るようになったマイラバー甥を思い出す。
高原さんが泊まりに来ていた。
照明の色彩と感覚についての実験をしてうちで夕食。ヤムウンセン、トムカーガイ、ガイヤーン、アボカド豆腐ナムプリック和え、新ジャガ揚げ、コメツブツメクサおひたし、小松菜と厚揚げはチリインオイルで炒めるつもりだったけれど、タイ色が強すぎるのでだし醤油で和風にした。前の日に材料の買い物でスーパー3件くらいめぐってもパクチーが売り切れていた。暑くなって需要が高まっているのか。結局夫がイカリで見つけてきてくれた。
いろんな国のビールを味比べしながら飲み、明け方寝て昼前に起きた。
大学でダンス公演を観る予定だったので、大学の前のグランディールでベーグルなどを買って瓜生山登山し、在学中はなかった中腹の憩いの場でパンを食べて公演を観た。「今晩は荒れ模様」というダンス公演。作品性振付どうこうというか性別という要素の大きさを感じた。
高原さんはそのまま山口に帰り、その日の夜は公演を観に来ていた齋藤さんと白河で飲んだ。
夜にNHKで熊本の慈恵病院のドキュメンタリーをやっていた。赤ちゃんポストを設置した病院として有名だけど、養子縁組の取り組みも積極的に行なわれている。
いろんな事情で育てられない子供を妊娠して間も無く出産する女性の赤ちゃんを不妊治療を長年したけれど子供を授からなかった夫婦が養子に迎えるまでをナビゲートするその方法が興味深かった。
まず養子に迎える夫婦も予定日に産婦人科で待つ。出産する女性と顔を合わすことなはく、カーテン越しに産声の聞こえる距離で待つ。育ての母になる女性は出産する女性と同じようにマタニティパジャマを着る。
女性は難産で、長時間に渡るお産で胎児の心音が弱まったため帝王切開することになった。夫婦は祈りながら待っている。赤ちゃんが取り出されがすぐに産声が上がらず、一瞬分娩室がしんとしたあとすぐに産声が聞こえた。安堵する夫婦のもとに産まれたての男の子が看護婦さんに抱かれて来る。ふたりは交互に赤ちゃんを抱き、特に母になる女性は今まで生きてきたなかで一番うれしいと言って泣いた。
その感情を理解しつつも驚きだったのは、遺伝子的にもつながりはなく見ず知らずの女性のお腹から産まれた子供を「私たちの」というふうに受け取れる感受性の在り方だった。
自分の子供ということを想像するとき、そこにつきまとう偏愛の理由は自分と愛する人との間に発生した生命の続きであり、誰でもその物語を固有のものとして強く思いたいはずだということ。最近の読めないまでに変わった名前を子供につける背景には、他の誰とも違う、私たちの、という強い握力を感じる。
もちろん長いあいだ不妊治療をしてきた夫婦にはいくら望んでも叶えられない、それでも尚、という思いがある上で養子縁組という方法で子供を授かることを選ぶ他なかった抜き差しならない事情がある。でもそこから個の体の外にある体からもたらされたものを分け隔てなく受け取るさまを見ながら、個の体で完結しない大きな体がイメージされた。
どうしても子供がほしいというのはこの夫婦の私的な欲望と言えるけれど、手を伸ばした先に個の体を突破したものに触れている、そのことが感動的だった。
振り向く、俯く、反るの首の動きの可動率が正常時の20%くらいで、特に朝起き上がる時が痛い。
上体、頭を持ち上げるのにこんなに首の筋力が関与してたのかと気付く。首が座るっていうのはつまりこのあたりの筋力の発達によって可能になるのだなと最近つかまり立ちが出来るようになったマイラバー甥を思い出す。
高原さんが泊まりに来ていた。
照明の色彩と感覚についての実験をしてうちで夕食。ヤムウンセン、トムカーガイ、ガイヤーン、アボカド豆腐ナムプリック和え、新ジャガ揚げ、コメツブツメクサおひたし、小松菜と厚揚げはチリインオイルで炒めるつもりだったけれど、タイ色が強すぎるのでだし醤油で和風にした。前の日に材料の買い物でスーパー3件くらいめぐってもパクチーが売り切れていた。暑くなって需要が高まっているのか。結局夫がイカリで見つけてきてくれた。
いろんな国のビールを味比べしながら飲み、明け方寝て昼前に起きた。
大学でダンス公演を観る予定だったので、大学の前のグランディールでベーグルなどを買って瓜生山登山し、在学中はなかった中腹の憩いの場でパンを食べて公演を観た。「今晩は荒れ模様」というダンス公演。作品性振付どうこうというか性別という要素の大きさを感じた。
高原さんはそのまま山口に帰り、その日の夜は公演を観に来ていた齋藤さんと白河で飲んだ。
夜にNHKで熊本の慈恵病院のドキュメンタリーをやっていた。赤ちゃんポストを設置した病院として有名だけど、養子縁組の取り組みも積極的に行なわれている。
いろんな事情で育てられない子供を妊娠して間も無く出産する女性の赤ちゃんを不妊治療を長年したけれど子供を授からなかった夫婦が養子に迎えるまでをナビゲートするその方法が興味深かった。
まず養子に迎える夫婦も予定日に産婦人科で待つ。出産する女性と顔を合わすことなはく、カーテン越しに産声の聞こえる距離で待つ。育ての母になる女性は出産する女性と同じようにマタニティパジャマを着る。
女性は難産で、長時間に渡るお産で胎児の心音が弱まったため帝王切開することになった。夫婦は祈りながら待っている。赤ちゃんが取り出されがすぐに産声が上がらず、一瞬分娩室がしんとしたあとすぐに産声が聞こえた。安堵する夫婦のもとに産まれたての男の子が看護婦さんに抱かれて来る。ふたりは交互に赤ちゃんを抱き、特に母になる女性は今まで生きてきたなかで一番うれしいと言って泣いた。
その感情を理解しつつも驚きだったのは、遺伝子的にもつながりはなく見ず知らずの女性のお腹から産まれた子供を「私たちの」というふうに受け取れる感受性の在り方だった。
自分の子供ということを想像するとき、そこにつきまとう偏愛の理由は自分と愛する人との間に発生した生命の続きであり、誰でもその物語を固有のものとして強く思いたいはずだということ。最近の読めないまでに変わった名前を子供につける背景には、他の誰とも違う、私たちの、という強い握力を感じる。
もちろん長いあいだ不妊治療をしてきた夫婦にはいくら望んでも叶えられない、それでも尚、という思いがある上で養子縁組という方法で子供を授かることを選ぶ他なかった抜き差しならない事情がある。でもそこから個の体の外にある体からもたらされたものを分け隔てなく受け取るさまを見ながら、個の体で完結しない大きな体がイメージされた。
どうしても子供がほしいというのはこの夫婦の私的な欲望と言えるけれど、手を伸ばした先に個の体を突破したものに触れている、そのことが感動的だった。