不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

待乳山への散歩2

2009年11月16日 19時02分45秒 | 観光

 日本唯一地下鉄の踏切から少し西、源空寺、伊能忠敬のお墓へ。
 伊能忠敬ほか、ここにはその師高橋至時、その隣になぜか幡随院長兵衛が眠る。長兵衛がその裏に住んでいた幡随院はこの近くにあったが、現在は小金井に移転。
 東京は縄文の上に江戸時代がのっかってる不思議な街。ほんとは街じゃないけど。街というのは、パリでもロンドンでも京都でもそうなんだけれど、通りで場所を把握する。しかし、東京では場所の特定は通りという線ではなく、何丁目何番地という面で行う。これは田畑の把握の仕方だ。江戸文化は連綿と続く歴史の上に立ったのではなく、縄文時代の上にいきなり立ち上がったものだ。
 中沢新一の言う「アースダイバー」が可能なのは、東京のそういう成り立ちにもよるのではないだろうか。
 そんなわけで、だから間はすっ飛ばして江戸期の名残はそこかしこにある。歌舞伎や芝居で身近な幡随院長兵衛だの花川戸助六なんかは、すぐそこに感じることができる。江戸はユートピアでもなんでもないけれど、そしてそれがどんなものか知らないくせに、ぼくは東京に感じない何かを江戸に感じ、シンパシーを覚えてしまう。



 北西に進むと合羽橋商店街で有名なかっぱの街、そしてその由来になった曹源寺、通称かっぱ寺がある。これはかおう会(ここら辺の商店街)がたてた、かっぱのたいちゃん。なんだろう、この哀愁漂う姿は。上向きな気持ちにはならないんだが。



 曹源寺のかっぱ像。近くの川太郎さんが私財を投げ打って治水工事を行っていたら、河童たちが助けに来た、と。それでここに河童を祀るお寺ができたのだ、と。
 幟に「波乗福河童大明神」とあるので、やはり水難よけの神社なのだろう。助けにきた河童たちは、と呼ばれる人たちだったに違いない。川太郎自身が河童の異名であることだし。
 まだまだ散歩は続きます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする