日本唯一地下鉄の踏切から少し西、源空寺、伊能忠敬のお墓へ。
伊能忠敬ほか、ここにはその師高橋至時、その隣になぜか幡随院長兵衛が眠る。長兵衛がその裏に住んでいた幡随院はこの近くにあったが、現在は小金井に移転。
東京は縄文の上に江戸時代がのっかってる不思議な街。ほんとは街じゃないけど。街というのは、パリでもロンドンでも京都でもそうなんだけれど、通りで場所を把握する。しかし、東京では場所の特定は通りという線ではなく、何丁目何番地という面で行う。これは田畑の把握の仕方だ。江戸文化は連綿と続く歴史の上に立ったのではなく、縄文時代の上にいきなり立ち上がったものだ。
中沢新一の言う「アースダイバー」が可能なのは、東京のそういう成り立ちにもよるのではないだろうか。
そんなわけで、だから間はすっ飛ばして江戸期の名残はそこかしこにある。歌舞伎や芝居で身近な幡随院長兵衛だの花川戸助六なんかは、すぐそこに感じることができる。江戸はユートピアでもなんでもないけれど、そしてそれがどんなものか知らないくせに、ぼくは東京に感じない何かを江戸に感じ、シンパシーを覚えてしまう。
北西に進むと合羽橋商店街で有名なかっぱの街、そしてその由来になった曹源寺、通称かっぱ寺がある。これはかおう会(ここら辺の商店街)がたてた、かっぱのたいちゃん。なんだろう、この哀愁漂う姿は。上向きな気持ちにはならないんだが。
曹源寺のかっぱ像。近くの川太郎さんが私財を投げ打って治水工事を行っていたら、河童たちが助けに来た、と。それでここに河童を祀るお寺ができたのだ、と。
幟に「波乗福河童大明神」とあるので、やはり水難よけの神社なのだろう。助けにきた河童たちは、と呼ばれる人たちだったに違いない。川太郎自身が河童の異名であることだし。
まだまだ散歩は続きます。