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毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

センチュリーラン2 午前中の自分と午後の自分は別人格

2009年09月15日 07時45分25秒 | 観光
 利根川には何度も泣かされました。利根川サイクリングロードとは名前ばかりの未舗装路、いや未舗装どころか、いつの間にかなくなってしまう道。さまよううちに、他の河川敷を走っている罠。ある時には利根川そのものを見失って、どうしたら、あんなに巨大なものを見失われるのか、すげえイリュージョンを見ている気持ちがしました。
 次の休憩地点に設定している加須未来館へ行くまでに2度迷ったのは、だから、割と浅い傷で済んだと言ってもよろしいでしょう。この未来館はサイクリングロード沿いにあるので、ぼくと同じような格好をした人たちが多くて、埋没できるのが嬉しい。パツンパツンのジャージとレーパン(しかも膝上)は、一般の人に混ざると、空港ロビーにタキシードを着たペンギンが現れたかのような悪目立ちをする。
 ところが、なんの偶然か、その日はぼくだけしかいない。間違って羽田空港にやって来てしまったペンギン並にガン見される。でも、ここのうどんが食べたかった。加須はご存じの通りうどんの街。岡村屋新川うどん店など、わざわざ80km自転車こいで出かけたりした。この未来館のうどんも実にうまそうなので食べたかったのだ。


 讃岐とはまた別種の手打ちうどん。こういう公共の施設でも普通に手打ちが出てくるところがすごいよな、加須って町は。そして、うまい。もちもちした食感、つるつるしたのどごし。うまい。
 ところでここまでで110km。ここが熊谷だとしてもすでに180kmコース。20kmもオーヴァーしてる。うどんが350kcal。ちょうど1150kcalで補給と距離がトントン。
 北風かと思ってた風が実は北西の風で、利根川は正反対の逆風。逆風はつまんない。耳んとこゴーゴー鳴るし。


 道の駅「羽生」で売ってた沢蟹。1匹25円! 20匹くらい買って揚げて喰ったらうまいだろうなあ。さすがに自転車にカニ積んでくわけにはいかないしなあ。ああ、どうしよう、とカニを目の前に逡巡しているわたし。だめに決まってんじゃん。


 行田サイクリングセンターのところで利根川とはお別れ。ここから見沼代用水沿いの緑のヘルシーロードへ。あ、風が変わった。思えば、旧江戸川から利根川まで90kmに渡って、ずっと逆風。ところが南向きに進路を取ると気持ちのいい追い風。ああ、ずっと辛かった。漕いでも漕いだなりに進まないもどかしさ。


 ヘルシーロードから国道125号線を通って、久下橋到着。ようやく荒川に着いた。メーターは146kmを指してる。160kmなんてもうすぐそこじゃん。それなのに、ぼくは熊谷にいる。おかしいだろう、どう考えても。熊谷まで70kmだってわかってるんだから、単純に往復しただけで140kmになんじゃん。なのに、なんで逆の葛西臨海公園まで行ったり、江戸川から熊谷より北の利根川まで走ろうと思うわけ? ぼくは午前中の自分にぶーたれる。計算できないの? 別にゼノンのパラドックスを解くために無限等比級数の和を求めろって言ってんじゃない、二桁の和を求めろって言ってんだよ。おーい、指がたんないなら指貸そうか? 数かぞえられるか? 
 どう考えても200km以上走らなければならなくなり、ちょっとうんざりしてくる。150km近く走って、まだ熊谷にいるという厳然たる事実は気分をブルーにする。


 目標の160km(まであと少し。走りながら撮ったのでぶれてしまった中、これが一番まともだったわけで、あと60m足りないけれど)。


 吉見の桜堤でセンチュリーライド達成。ここから結局家まで55km。
 215km走って、疲れた。とりあえず一番下のクラスだけれど、200kmクラスのブルベは完走できる自信はついたよ。200kmの制限時間が14時間だけれど、今回は10時間以内で走れたし(ブルベは休憩時間込み)。あ、信号のないサイクリングロード主体で走ったからか。
 それにしても、最後国道125号線で450kcalの納豆巻きと水を1000ml、コンビニ補給したのだけれど、自転車は体力や心肺能力だけでなく、これだけの食糧と水に耐えられる強力な消化器が必要なのだ、とつくづく思った。もう途中、喰いたくなかったもの。でも、喰わないとふらふらするのは目に見えてるから、頑張って食べた。1600kcalって一日にしては少ないようだけれど、朝8時から昼の2時までにそれだけ摂取するのは、結構大変。汗がどうしようもなく出て渇くから、結局5リットル近く水を飲んだけれど、これが食欲を削いでしまう。
 次の目標は、一日走り続けられる補給に耐える消化系。
 でも、消化器ってどう鍛えればいいんだろう?
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センチュリーラン1

2009年09月14日 10時37分28秒 | 観光
 来週荒川で2回目になるセンチュリーライド・イベントが開催されるそうだ。しかし、コースを見てみると、どうひっくり返してもセンチュリーではなく、ハーフ・センチュリー、つまり80kmのコースにしか見えないんだけれど、どうなんだろう。
 ま、そんなわけで荒川センチュリーライドのご成功を祈念致しまして、1週間早いですが、一人センチュリーライド。横川まで釜飯を食べに行ったら160km走ってたとか、奥多摩から峠越えして大月まで走ったら160km走ってたとか、たまたまその距離を走ってるということは何度かあるけれど、その距離を目標にして走るのは今回が2回目。
 去年は東京の西、多摩川を北上し、羽村から入間へ抜け、そこから入間川サイクリングロード、荒川サイクリングロードを経て帰ってくるというコース。
 よろしかったらそのときの記事も見て下さい。
 去年のセンチュリーラン1 センチュリーラン2
 今回は東京の東を走ろう。うちから熊谷まで70kmだから、葛西臨海公園から江戸川~利根川~見沼代用水から国道を経て熊谷、そして熊谷から荒川サイクリングロードで帰る。まあ、だいたい160km超くらいだろうと見当つけて出発。
 荒川サイクリングロードに入る前におにぎりを2個買う。いつも補給に失敗しているので、今回は10km=100kcalの目安でちゃんと計算して補給をとるつもり。160km走るから補給目標は1600kcal。
 風は北風。すいすい進む。


 あっという間に葛西臨海公園着。
 正確に言うと、荒川から清洲大橋で中川に移って、葛西臨海公園の西側に着くことになる。そのまま葛西臨海公園を東に突っ切ると、出るのが旧江戸川河口。


 そう、川向こうは鼠王国。
 旧江戸川健康の道というのを北上して行くのだけれど、サイクリングロードとして整備されているわけではないので走りにくい。江戸川と合流するまでノロノロとゆっくり走ってく。

 
 このポニーランドで旧江戸川と江戸川が合流。いよいよ江戸川サイクリングロードを走る。風は北風のままだから、逆風。だいたいここまでで40km。さきほど買ったおにぎりを2つ食べる。1つ200kcal程度だからこれでとんとん。次は三郷のよく行くスーパーで補給予定。江戸川も多少詳しくなってしまった。
 ところがスーパーに着いたら営業していない。時計を見ると、10時前。なるほど、開店前に着いてしまった。なんかしらあるだろうと駅に行くとNEWDAYSというコンビニ。さらにおにぎり2つと水500ml補給。


 荒川のヤジマ、江戸川のシンザカヤと言えばローディー憩いの有名店だったのに、どちらも閉店してしまった。ぼくが自転車を始めたときには健在だったのだけれど、結局来店するチャンスがなかった。しかし、自動販売機(上流に行けば行くほど貴重な存在になってくる)は健在なので、ここで水を1000ml補給。


 途中、おにぎりを食べながら利根川着。およそ92km。ここでおや? と思う。熊谷からうちまで70km。すると、ここが熊谷じゃなければいけないんじゃないか? しかし、ここは千葉と茨城の県境。熊谷はずっと西南。あれ? 計算間違ってね? センチュリーランじゃなくてブルベになってね?

 次回「午前中の自分と午後の自分は別人格」へ続く
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車山高原2

2009年09月12日 09時48分32秒 | らくがき


 この夏は旅三昧だった。旅に出るといろんなことを思い出す。
 ある時、ぼくは容赦ない女性と付き合ったことがあった。
 「ねえ、誕生日に何が欲しい?」彼女が尋ねる。
 でも、別に欲しいものなんてなかったからふざけて言った。
 「超合金」
 「えっ、今の言い方すごくいい」彼女は意外な食いつきを見せた。「かわいかった、あ、なんか、すごくよかった。ね、もう一回言って」
 「超合金」
 「え? 全然だめ。さっきのと全然違う。もう一回」
 「超合金」
 「うーん、最初の無心って言うかな、そういう気持ちでやって」
 「超合金」
 「だめ、なんだかがっかりだなあ。もう一度」
 「ねえ、ぼくは最初に言った感じで言えるまでバカみたいに『超合金』って繰り返さなければならないわけ?」
 「大丈夫。あなたは、やればできる人だから」
 「超合金」
 「だめ、もう一度」
 「頼むよ、もう勘弁してくれよ」
 「何言ってんの? ちゃんとやってくれない? 生半可な気持ちでやって欲しくないわね」
 「超合金」
 「もう一度」
 ぼくはその日一日中、折にふれ「超合金」と言い続けさせられ、その挙げ句合格点を貰うことができなかった。
 「ほら、もう一度」
 「………超合金」
 「だめ。もう一度」
 「なあ、今われわれがいるこの局面において、なんで全裸でこんなこと言い続けなければならないんだい?」ぼくはため息をついた。「なんだか、よっぽど口にできないようなことを言わされる方がましな気がする」
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車山高原1

2009年09月11日 22時29分00秒 | らくがき


 買い物があって東武へ行く。HMVをちらっとのぞくとウッディ・アレンの「スターダスト・メモリー」がなんと50%off。あまりにもラッキーなので、あたりを見回して誰もいないのを確かめてレジへ。別に誰かいてもいいはずなんだけど、ラッキーすぎてなんだか気味が悪くなってしまう小心者。
 それから肝心の買い物を済ませて、エスカレーターで地下へ降りていく。
 2階のエスカレーターで、ぼくの前に一人の女性が立った。
 そこには、すさまじいまでの美しいうなじがあった。うなじからりんと張りつめた涼やかな空気が流れ、周囲の空間を変形させていた。太くなく、また細すぎることなく、後れ毛の乱れも完璧な乱れ方を見せていた。彼女を後ろから抱きしめてそのうなじにキスをできる人間は幸せだろう。手を伸ばせば届くところにある完璧なうなじに対して、手を伸ばすか、伸ばさないか、その差は案外小さなことかもしれない。ふと何も考えずに吸い込まれてしまうように手を伸ばしてしまうこともあるのかもしれない。しかし、その結果の差はものすごく大きい。逮捕されて、家族も仕事も失ってしまうかもしれない。
 案外、小さな差が大きな結果を生み出してしまうことは多い。
 ぼくがホームレスの人たちを見て悲しい気持ちになるのは、ぼくが彼でないのは、案外小さな差によるものだと思うからだ。ホームレスにならなかったのは、たまたまだったような気がする。ほんの小さな差に横たわる深々とした深淵に足をすくませ、慄然とする。
 彼がぼくの代わりにホームレスになったとは思わないけれど、ぼくが彼のようにホームレスになっている姿は容易に想像できる。
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武甲山

2009年09月11日 15時07分20秒 | らくがき


 生きている内に一度は口にしたい、「報酬はスイス銀行に振り込んでくれたまえ」。

 「なぜ、やつが偽物だってわかったんです?」
 「やつがヴィタミンD1と言ったからさ」ぼくは事務所のブラインドをおろしながら言う。「ヴィタミンDにはね、2から7までしかないんだ」
 「2からはあるのに、1はないんですか?」
 「王貞治とは別の理由で永久欠番なんだよ」
 「ほお、さすがは先生。で、報酬はいかが致しましょう?」
 「いつもの通り、報酬はスイス銀行に振り込んでくれたまえ」

 そんな感じで言ってみたいので、よろしく。
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八島ヶ原湿原2

2009年09月10日 17時43分34秒 | 観光



 日焼け止めが汗で流れる、という話をテニス仲間にしたら、アネッサがいいと教えてくれた。
 彼女が言うには、なんでも、専用のクレンジングを使わないと落ちないんだそうだ。すごい。いいではないか。
 しかし、しかし、だ。唯一誇れる蛮勇と主張する鏡なしの日焼け止め塗りが、資生堂のアネッサというのはいかがなものだろうか。
ファイト一発ではなく、内股で日焼け止め塗ってそうなイメージがわいてきてしまう。
 ここはひとつ、近江兄弟社の頑張りを強く期待したい。 
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八島ヶ原湿原1

2009年09月10日 08時40分34秒 | らくがき


 男らしい、と言われたことがない。どんなことをすると男らしいと言われるのかさえわからない。
 ヨットでのパーティーとか自家用ジェットとかくらいの手の届かなさが男らしさにはある。
 白い上下のスーツが似合う男になったらいいのか、もちろん襟には薔薇だ。
 あるいは、着流し姿が様になる男になったらいいのか。
 だめだ、着る勇気さえない。
 いや、そうじゃない。形じゃないんだ。
 そうだ、勇気だ、それも荒々しい蛮勇。
 これって男らしさへの最短距離ではないか。
 ぼくが自慢できる蛮勇と言えば、なんだろう、おお、そうだ、ぼくは鏡を見ないで日焼け止めを塗る。志村けんになっちゃう危険も省みずにだ。自転車に乗っていると流れてしまうから、水場で顔をばしゃばしゃ洗って塗り直してる。ファイト一発なみの気迫あふれる姿で日焼け止めを塗り直してる。
 鏡なしで。
 どうだ。
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熱海2

2009年09月10日 00時00分21秒 | 観光
 前回の「熱海編」を読み返してみて「今度こそ本を読もうと」という動機が「電車で熱海に」という結果に結びつくのは、あまりに突飛じゃないのか、我ながら。電車で本を読むとはかどるからって「熱海」まで行かなきゃならない理由は、考えてみたら何もない。こういうことが「考えて」みないとわからないところが、私の不徳の致すところでございます。
 

 伊豆山神社境内からの景色。えらく登ってる。
 いろいろ見て回っている内に、ここがパワースポットであると同時に縁結びの神社であることを知る。
 なにしろ、ここは源頼朝と政子を結び付けた神社なのだ。北条氏というのは平氏であり、この二人はロミオとジュリエットよりも、もう少し気まずい仲であるはずなのだ。それなのに、ここが逆に結びの神となる。僧兵(ここもまた明治の愚かな神仏分離の影響をうけている)が頼朝を守り、政子さんはここの神木なぎの葉をお守りに二人の仲を祈った、という。
 そう言えば、若い女の子の集団が多い。一見東京大神宮のよう。なぎの葉やその苗も売られている。


 二人が逢瀬をしたと言われる腰掛け岩。


 手水場。
 赤が雌龍、白が雄龍。これは真言立川流などでよく見られる。男性を象徴するのが骨と精子であるのに対し、女性を象徴するのは卵子ではなく、肉と経血であった。卵子という概念そのものがなかったのだ。
 この山の地下には、雌雄の龍がいるらしい。そして、その口と目と鼻と耳から温泉が噴き出している、という。


 神社をあとに、まっすぐに階段を下りる。境内から800段以上ある。階段は海まで続いていて、そこにこの走湯源泉がある。龍の口にあたる。窟の奥からゴボゴボと源泉の湧く音がする。すみません、なんだか怖くて入れませんでした。ここ、なんかものすごい雰囲気があって、チキンなわたしには無理です。一人旅の限界を感じます。
 昔の人がこういうのを見て、自分たちの世界とは別の世界の存在を感じ、信仰の対象にしたのも無理はありません。エリアーデを読むまでもなく。
 つまり、海岸から立ち上がるこの山そのものが、なにやら別の世界とつながっているような、そんな感じのする場所なのでありました。
 まあ、めでたし、めでたし、な旅だった、ここまでは。
 ところが、さあ、帰ろうと思ったら、この源泉まで降りちゃうと、もう道がなくなっちゃう。海沿いを歩いて駅へ行こうと思ったんだけれど、海沿いの道は自動車専用道路。再び登らなければならない。いったい今日はどんだけ登ってるんだよ、と、しかも2日続けて。
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ひまわり

2009年09月09日 11時23分53秒 | らくがき


 長く続く悪夢から目覚めると、ぼくは王様になっていた。でも、身の丈にあった王様で、ぼくはひまわりの王だった。
 一番大きく、賢いタネとしてぼくは、周囲のタネたちから拍手と尊敬を浴びる。引き締まった身にナッツ的な油が漲り、数々のひまわり的な問題を解決し、虫たちとの間に山積している課題を解消していった。。
 ひれふしようとする良民たちを手で制して、ぼくは町を散歩する。
 一番大きく、賢いタネは、でも一番目立つので、真っ先にハム太郎に喰われてしまう。
 おいたわしや、そんな嘆きの声がだんだん遠ざかる中、ぼくの体は囓られ、減っていく。
 かりかりかり。
 激しい痛みが、消えつつあるぼくをいつまでも苛む。
 かりかりかり。
 そんな長く続く悪夢から目覚めると、ぼくは王様になっていた。でも、身の丈にあった王様で、ぼくはあじさいの王だった。
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熱海1

2009年09月08日 16時15分48秒 | 観光
 秩父から帰った翌日、今度こそ本を読もうと電車で熱海に。
 伊豆山神社を初訪問。なんか感じちゃうような人たちの間で人気になっているパワースポットだとのこと。まあ、自分、基本、パワースポットとかスピリチュアルとかって、なんか、胡散臭いっていうか、ちょっ、お前ら騒ぎすぎだろっていうか、と、なんか文体変わってるしぃ。
 ちょっとそういうの苦手なんだな。そんなもん非科学的だって、こないだこっくりさんも言ってたし。って、おい。
 新興宗教からスピリチュアルへの移行というのは、結局共同体の崩壊から個人主義への移行とリンクしているとの島田裕巳の指摘は、たぶん正しい。遺伝子情報を用いたオーダーメイド医療が実用になる一足お先に、まずオーダーメイド救済が誕生したわけである。お一人様用の宗教。深夜の通販で買える救済。
 たとえば仲間でも恋愛でもそうなんだけれど、そのアンティームな集団と社会との間の溝がどんどん深まってるような気がする。その内向きの集団だけで完結してどこにもつながらず、仲間内の評判は何より気にするけれど、グループ以外の他人が気にならない。さっきから電車の中でディープキスを繰り返してる汚ねえ顔したお前らのことだよ。
 さて、プンプンしながら熱海駅で降りてバス停へ。すまん、熱海、きみに罪はない。バス乗り場で調べると、伊豆山神社行きのバスは1分前に出たばかり。あと20分来ない。渋谷から多摩川まで普通に散歩する健脚家のわたくし、ままよ、と徒歩で行くことに。
 大失敗。
 もし伊豆山神社に行こうとお思いの方、いらっしゃいましたら、何分待とうがバスに乗るべし。左脇えぐるように乗るべし。モンバントゥーかよと思わせる激坂を登るし降りるし、降りたらまた登るし、車バンバン通って快適じゃないし、暑いし。


 伊豆山神社に着いたからと言ってそれで万事OKってわけじゃない。さあ、ここから境内までかなり思い切りよく登っちゃって下さい的な面構えの鳥居。何の修行だよ、いったいさ、とブツブツ言いながら登ると、そうか、修行か、おづぬっちいるもん。あ、大島に流された時、夜になると飛んで修行した神社ってここかあ!
 そう言えば、ここに来る途中寄った般若院は弘法大師ゆかりのお寺。役小角と弘法大師という2大スーパースターそろい踏みの修行所だもん、やはりスピリチュアル好きな人がびびっとくる(今時言わない、びびっとか)由緒正しきパワースポットなのかもしれない。
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秩父神社

2009年09月07日 17時04分00秒 | 観光

 自転車で秩父に着いて、秩父神社にお参り。
 秩父は諏訪と縁のある土地だ。有名な秩父夜祭りでは、諏訪神社の前を通るときには祭神に敬意を払うためお囃子を止め、静かに通る「お諏訪渡り」の神事があった。一般には、治水などの技術をもった集団が諏訪から秩父へ移住したと言われている。
 平良文は妙見信仰の持ち主で、その後千葉へ移住し、千葉は妙見信仰が盛んになる。坂本龍馬も修した北辰一刀流は千葉周作が創始した流派だけれど、この北辰こそ妙見である。


 江戸時代までこの神社は「秩父大宮妙見宮」と呼ばれていたのだ。
 北辰と摩多羅神(あるいは後戸の神)が結びつくものであることは少林山達磨寺を見るとよくわかる。詳しくは、達磨寺で芸能について考えたりしちゃってみたりを見て下さいな。


 一方秩父に土着した武士団は秩父平氏と呼ばれ、その流れを汲むのが豊島氏。彼らは東京にやって来て石神井城を気づく。石神井。シャクジ、シュクジン、ミシャクジなどと呼ばれる諏訪に残存した、日本古層の神がここに顔を出す。この神は実は妙見とも結びついている神だ。かつて日本には石神信仰と星宿信仰があった。この信仰を持っていた人たちは縄文当時、日本全国に分布していたけれど、やがて大陸から渡来した人々の支配下に入ることになった。西日本の多くの場所でシュクジン信仰と被差別集落が結びついている(水本正人「宿神信仰と被差別」)のもそうした事情による。新しい支配層は征服した民の星宿信仰を嫌ったのだろう。日本はほかの国に比べて星宿信仰のきわめて少ない特異地域だ。
 そんな宿神信仰が亡ぶことなく、延々受け継がれてきたのが諏訪だ。最近、諏訪では自分たちが縄文人の末裔であることを誇りに思い、そのことから様々なメッセージを発信している人たちがいる。こうした縄文系の人たちは、諏訪の他、アイヌや沖縄に繋がっている。アイヌ文化は続縄文時代から擦文文化時代を経て生まれた断絶のない縄文文化であるし、沖縄の御嶽に現れる信仰にも縄文時代からの古層の信仰が脈々と流れている。



 やはり、ここは諏訪とつながるスポットだった。
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秩父

2009年09月05日 22時00分21秒 | 観光
 ちょこちょこ自転車に乗っているけれど、最近100km以上走ることがない。まあ、暑かったしね。
 そうだ明日は秩父に行こう。朝6時に出発しよう、遠足前日の小学生みたいにワクワクしながら決めた。本を読むのに電車の中がぼくには最高の場所。じゃあ、じゃあ、本を持って秩父に行って、帰りの電車で本を読もう。
 しかし、現在ブエルタの真っ最中。当然午後11時からTVの前に陣取り、誰がコロンビアハイロードを破るのか見届けようとする。すげえな、今年のコロンビア。まあ、そんなこなで一杯やりながらブエルタ・ア・エスパーニャの中継を見届け、朝起きたのが9時ちょっと過ぎ。朝ご飯を食べて出発したのが10時。おいおい、出発した瞬間にすでに予定より4時間遅れか。
 いつもの通り江北橋近くで荒川in。
 今日は足が回る。向かい風なのに30km/h以上で巡航できる。このスピードで走りながら横に流れる風景を見ると、なんだかそのスピード感が嬉しい。
 40km地点(申し訳ないが、この数値はウチからの距離数なので、あしからず)、上江橋でサイクリングロードを一度降りて自販機で水分補給。
 荒川、とくにその上流部は計画的な補給が必要だ。店も自販機もない。水なしで走ったときなんか、泣きそうになったもん。
 上江橋の次の入間大橋で入間川サイクリングロードに入る。ちょっと走ると空腹感に襲われる。自転車の空腹はいつだって突然だ。初めてこの感覚を味わったときは、何が起こったのかよくわからなかった。見ている物の現実感が消え失せ、めまいと悲壮感が飛びかかってきた。ああ、なんでぼくはこんなに悲しいのだろう、と思うほど。考えてみたら、それはお腹が空いてたからだろう、という、なんだか子どもみたいな理由なんだけどさ。
 23kmほどの入間川サイクリングロードを走りきれば、国道沿いにいろんな店がある。仕方がないから、なんだかとても悲しくなりながらなるべく早く走りきろうと進む。
 おなかすいたおなかすいたおなかすいたおなかすいた。


 途中芝生でお弁当食べている人を見て涙目、バーベキューの匂いを嗅いでは殺意すら抱く。ああ、だめだ、空腹は人を殺伐とさせる。
 悲しい悲しい。
 おなかすいたおなかすいたおなかすいたおなかすいた。


 ようやくゴール。うちから66km。
 近くのコンビニで1リットルの水と食糧を買って補給完了。予備のおにぎりを1つ買う。次の補給地点は正丸駅、あそこまで行けばなんだか目鼻つく。


 90kmほど走って正丸駅着。駅から進路を見た。ああ、あの山に登って行くんだ。ここで予備のおにぎりを食べる。この米粒一つ一つに頑張ってもらうしかあるまい、と。


 えっしょ、えっしょ登る。トンネルが開通しているので、この峠を通る車は少ない。だから走りやすいかと言えば、そうでもない。路面荒れすぎ。
 正丸峠頂上。ここの眺めがぼくは好き。ここから16kmという表示があったけれど、あとはもう、下るだけだから。ただ案外下りって怖い。寒いし。プロは、クラウチングとかのポジションで100km/h近くで走ったりするらしいけれど、生身で、この細いタイヤで60km/hでさえめちゃくちゃ怖いよ。ブレーキ握りしめてこわごわチキンに下ります。


 西武秩父駅。走行距離120km。自転車は前後ろの車輪をはずして袋詰め。レッドアローで帰ります。


 帰りの車中。ビール状の液体は、当然ノンアルコールです、念のため。ええ? そうです。そうなんです。ノンアルコールなんです。何と言おうとノンアルコールです。
 で、本は読めたか? 
 さすがに山一つ登って120km走ったら眠くなってしまいました。
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霧ヶ峰

2009年09月03日 14時31分10秒 | 観光

 すっかり秋の空になってしまった霧ヶ峰。


 なかなかいいところでありました。
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もっとも大切な贈与

2009年09月02日 19時37分02秒 | らくがき


 諏訪から富士を眺める。素敵じゃないの。
 さて、富士山には浅間神社がいくつかあり、祭神はコノハナサクヤビメという女神である。「古事記」によるとニニギノミコトが今の鹿児島県あたりにやって来ると出会った美しい女神がいた。その女神がコノハナサクヤビメ、別名カムアタツヒメ。
 いきなり結婚を迫るニニギノミコトだけれど、コノハナサクヤビメはお父さんに聞いてくると。するとお父さんオオヤマツミは大喜びで長女イハナガヒメもつけてペアで送り届けた。
 ところがニニギノミコトは姉イハナガヒメが醜いのでオオヤマツミに送り返してしまう。オオヤマツミは言う、「姉妹二人を揃えて送ったのは、イハナガヒメを貰うとイハ(岩)のように不死で、コノハナサクヤビメを貰うと花が咲くような栄華が手に入るからで、イハナガヒメを送り返された以上、あなたの寿命は花のようにはかないものになるでしょう」と。
 山の神であるオオヤマツミが、このように不死と栄華を贈与したのに、ニニギノミコトは主体的に不死を返したのだ。この話はバナナ型神話と呼ばれ、東南アジアに広く分布する。そこでは花の代わりにバナナが出てくるが、内容は一緒である。人間は神の二つの贈与のうち、不死を返し、死だけを主体的に選ぶのだ(コノハナサクヤビメの別称カムアタツヒメはアタ族というポリネシア系の部族を表している。愚かで想像力に乏しい政治家が時折失言するけれど、日本は単一民族国家などではない)。 
 これは死そのものであると同時に死への意識のことだと思う。ある時、ある人類は気づいたのだ、自分がいつか死んでしまうことに。
 このとき、自らの生の内に矛盾する死を抱え込むことこそが人間の実存の最も奥深い定義ともなった。大切なことは、生と死が対立する概念でありながら対立させずに、自らの実存の中に共存させたことだ。人間は一度も死んだことがないくせに、いつか自分が死んでしまうことを予見的に認識する生き物である。この認識こそが文化を生み、やがて文明を生んだ。
 文化はその認識から生まれた人間の実存上に芽吹くことになり、文明は死から人間を遠ざけようとさまざまな発明や工夫をもたらした。
 およそ人間を人間たらしめているのは、この死への意識なのであり、それこそが神の最も重要な贈与であったのだ。
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