買い物があって東武へ行く。HMVをちらっとのぞくとウッディ・アレンの「スターダスト・メモリー」がなんと50%off。あまりにもラッキーなので、あたりを見回して誰もいないのを確かめてレジへ。別に誰かいてもいいはずなんだけど、ラッキーすぎてなんだか気味が悪くなってしまう小心者。
それから肝心の買い物を済ませて、エスカレーターで地下へ降りていく。
2階のエスカレーターで、ぼくの前に一人の女性が立った。
そこには、すさまじいまでの美しいうなじがあった。うなじからりんと張りつめた涼やかな空気が流れ、周囲の空間を変形させていた。太くなく、また細すぎることなく、後れ毛の乱れも完璧な乱れ方を見せていた。彼女を後ろから抱きしめてそのうなじにキスをできる人間は幸せだろう。手を伸ばせば届くところにある完璧なうなじに対して、手を伸ばすか、伸ばさないか、その差は案外小さなことかもしれない。ふと何も考えずに吸い込まれてしまうように手を伸ばしてしまうこともあるのかもしれない。しかし、その結果の差はものすごく大きい。逮捕されて、家族も仕事も失ってしまうかもしれない。
案外、小さな差が大きな結果を生み出してしまうことは多い。
ぼくがホームレスの人たちを見て悲しい気持ちになるのは、ぼくが彼でないのは、案外小さな差によるものだと思うからだ。ホームレスにならなかったのは、たまたまだったような気がする。ほんの小さな差に横たわる深々とした深淵に足をすくませ、慄然とする。
彼がぼくの代わりにホームレスになったとは思わないけれど、ぼくが彼のようにホームレスになっている姿は容易に想像できる。