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北関東横断1 岩舟

2009年04月08日 11時04分12秒 | 観光
 いつか一度乗って見たかった両毛線。栃木と群馬を結び、北関東の東西を連絡させる路線。今回は栃木の小山から両毛線に乗り、ところどころ途中下車しながら群馬の前橋まで旅をして行こう。
 池袋から湘南新宿ラインで1本なんだけれど、時間が合わないので、池袋から埼京線で赤羽、赤羽から宇都宮線で小山へ。われわれの世代は、「あれま、おやま、小山遊園地ぃ~」というCMが頭の中で流れ出してしまう、なんというか厄介な世代だ。
 小山から早速両毛線に乗る。

 単線の風景がなんだか懐かしい。不思議だ。考えてみたら、単線って大人になってから初めて乗ったものなのに、どこかでこうした景色が懐かしいんだと刷り込まれていたのだろう。
 思川、栃木、太平山下を経て、岩舟駅が最初の下車駅。全部で10名に満たない乗降客に混じって、降りる。地元民ぽくなくて、なんだかとても怪しい人のようだ。借りてきた猫のように足音を忍ばせ、無口に無人駅の改札を出る。


 この途中下車の目的はここ、岩舟山。数多くの映画、ドラマ、特撮もののロケ地としても有名だけれど、何よりここは地上にある他界なのである。山形の山寺と似ていると言ってもいいかもしれない。死者の魂が集う場所。


 何気ないところにも祈りの造形が置いてある。
 山頂には立派な寺が鎮座していた。境内には血の池などもあり、魂が彷徨する場所であることを示していた。水子供養の地蔵尊も多かったが、ぼくはあの供養にどこかうさんくささを感じてしまうのだ。もともとそんなものは存在しなかった。死産も多かったし、間引きもあった。ある程度豊かな時代になると、子どもを失った親が悲しみの中何かしたくて、つまりニーズができて供養が誕生した。供養誕生当時は子どもを亡くした親、その人の精神衛生のために存在したのだが、「水子の霊魂」という概念の発明によって脅迫的なものになってしまった気がする。悪縁だの、因縁だの、とつけ込む輩もいるし。
 そんなわけで両毛線の佐野には下車しない。テレビCMまで使って水子供養を訴えることに強く反発を覚える。だいたいぼくは厄年のお祓いだってしていないけれど、無病息災である。ブラッド・ピットはぼくより確か一つ上だったと思うけれど、彼も厄よけしてないだろう、本厄も前厄も後厄も。でもちゃんと活躍してるしぃ。


 次の電車の時間を7分勘違いして、乗るべき電車が目の前を通過して行ったときには、少しめまいがしたが、余った時間で駅付近を散策。石の資料館を見つけて見学。「日本一小さい」との自己申告があったが、最盛期を過ぎた岩舟石採掘の歴史をとどめる貴重な資料館だと思う。面白かった。


 資料館近くから岩舟駅を見る。
 さ、次の下車駅は足利。何年か前にお蕎麦を食べに来たことがあったけれど、あのときはただ蕎麦を食べただけで帰ってしまった。足利一茶庵
 では、次回は足利編。

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