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青山真治「死の谷 ‘95」

2008年11月04日 19時38分48秒 | 読書
青山真治「死の谷‘95」       講談社

 車を運転していたある朝。ラジオが関西地方を襲った地震について伝えていた。死者が出たもようです、との報道に、車載のテレヴィをつけてみた。そこに映された映像は「死者が出たもよう」などというアナウンスが間抜けなものに聞こえる惨状だった。
 仕事が始まってまだ10日、それなのに1995年は唐突に惨事を用意し、しかもそれを関西にとどまらせることはなかった。
 3月には地下鉄でサリンがまかれるという前代未聞のテロ事件が起きた。
 1995年、この国は戦争以来初めて理不尽な大量死を再び味わうことになる。
 首都高5号線沿線に住んでいるぼくは、この時期、ものすごい数の自衛隊車両が何度も5号線を南下していたのを覚えている。そのたび、また永田町近辺で何かあったのか、と思ったものだ。
 死が、死者に原因があるものではなく、むき出しの不条理さで人々に無差別に迫ってきたのが1995年だ。天災であれ、犯罪であれ、この何の罪もない落ち度もない被害者たちが死んだ理由は一つしかない。
 たまたまそこにいたからだ。
  これは戦争と変わらないことなんだ。
 1995年の日本は戦時下と変わらなかった。

 この物語は、だから戦時下の日本なんだ。その状況下で語られる人と人とのつながりのあやうさ、本能が壊れた人間たち(これはわたしたち全員がそうだ。わたしたちはすべて潜在的な変態なのである)が織りなす性と死、これらを探偵=謎解きをエンジンとするリーダビリティの高さでぐいぐい引っ張って描写していく。
 青山真治は映画もいいが、小説もいい。

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