小丹長者はもちろん細心の注意を払っていた。牛頭天王が眷属を派遣して様子をうかがわせると、千人の僧侶を集めて大般若経を読経させていて入れない。ところが(ここで様々なヴァリエーションがあるのだが、ほかに酔っていたから、とか)、ウトウトしかかった一人の僧侶が一文字読み落としてしまう。その一文字を突破口に牛頭天王は眷属、八王子を率いて小丹長者一族を滅ぼしたのだった。
困っている異人(外から来る人)を邪険にするか、粗末ながらももてなすか、という話は昔話のパターンの一つだ。弘法大師伝説では、水を求め、くれた所には杖をついたら井戸が出たとか、くれなかった所は水枯れに苦しんだなどという話が日本全国にある。お大師さんも、日本全国で水を求めてんなよ、と突っ込み入れたいくらいである。
で、ぼくはここに人間を見るのである。三十三間堂のほんとに1000作っちゃったすごい業に対して、1000人の僧侶の一人が読み落とした一文字故に滅んでしまう、そこに小丹長者の人としての弱さを見る。三十三間堂から鞍馬、八坂と、建築物を回り、別に誰かと口をきくでもないのに、実に多くの人間に出会った気がする。
八坂から清水を散策し、先斗町でお蕎麦を食べて京都の旅はこれでおしまい。
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