小菅村の集落を後にし、まあ、とりあえず行ってみるかと先へ進んだものの、それが大きな間違いであることに気付いたときには後の祭りだった。まあ、よくある話である。
先に進むには松姫峠という峠を越えなければならない。これが思ったよりも急で、かつ長い。見通しが甘かったのである。
次に、補給の失敗。水分だけは新しく買ったが、先ほどお昼にコーンラーメンを食べただけでその後の補給場所がまったくなかった。
しかし、それ以上に最悪の事態を招いたのは、山の天気は変わりやすい、ということだった。
小菅村を通っているとき、何度かポツポツと小雨が降ったのだが、峠にさしかかると今度はちゃんとした雨になってしまった。雨宿りできるようなところはどこにもない。雨に打たれながら坂を登る。サイクルジャージの上に薄いアップを着る(今回はそれと下のジャージしか持参していないのだ。気象庁が晴れだって言ったし、暖かいと言ったから)。全然なんのたしにもならない。
この坂を登るという作業はとてつもなく疲れる作業で、あっという間に備蓄されてた炭水化物が枯渇してしまった。
登坂によるカロリー消費と雨による寒さで、次第に頭がぼうっとしてくる。あとどれだけ登ったら峠に着くのかさえわからない。寒くて寒くてたまらない。なんというか、生命の危機的な寒さなのである。
ついに足をついてしまう。
なんだか眠くなってきた。
はあはあと荒い息をしながら、ふと気付く。
携帯が圏外のところで、寒くて、ひもじくて、ふらふらになって、眠いんだよな。
それって、言ってみりゃ、遭難だろ?
うちを出て127km。山ん中でもう、どうにもならなくなってしまった。
しばらく休む。
週末のプチ家出って聞いたことあるが、週末のプチ遭難。
うーん、それにしても、マイルドではあるが、遭難感を味わえることってなかなかないよなあ、となぜかうきうきと前向きな気分になってくる。なんだか「遭難」という言葉が出たことによって全身の細胞が活性化してきた感じがする。雨で濡れた髪の毛からくしゃくしゃと水を飛ばし、また上り始めた。寒さとひもじさはどうにもならないけれど、脚はまだどうにでもなる(と思いたいのだ、ここんとこは)。
急坂に置かれた馬頭観音。
前に読んだ本を思い出した。山道に置かれた馬頭観音についてそこにはこんな風に書いてあった。
「村の中、特に山の中には時空の裂け目のようなものがある。それをこの世とあの世を継ぐ裂け目といってもよいし、霊界と結ぶ裂け目、神の世界をのぞく裂け目といってもよい。異次元と結ぶ裂け目である。この裂け目は人間にはみえないが、動物にはわかる。そしてこの裂け目は誰かが命を投げ出さないと埋まらない。埋まらないかぎり永遠に口を開けていて、その裂け目に陥ちた者は命を落とす。
旅の途中で馬はこの裂け目をみつける。ここで誰かが死ぬだろう。それは自分とともに生きてきた飼い主であるのかもしれない。そう思ってみると、先を行く飼い主は、いまにも陥ちそうである。自分が犠牲になって飼い主を助けよう。そう思った馬は自らその裂け目にとび込む。
馬が山で死ぬ場所はそういうところだ、とこの村人は言う」(内山節「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」)
旅をするってことには、そうした裂け目を遍歴することも含まれるのだろう。この「裂け目」が聖なる場所として名所になっているところも多いだろうし。だいたい、坂だの、橋だのってやつは、あちらとこちらを結ぶ裂け目なのだ、もとから。夢幻能も橋懸かりからこの世のものでないものが出現する。
午後4時半。松姫峠着。
武田家滅亡の際、八王子に逃れる松姫が通ったとされる峠。今回は雨と薄着と補給に失敗したけれど、次回はもうちょっとスイスイ登れる気がする。
この峠が小菅村と大月市との境になっているので、ここで小菅村とお別れ。短い間だったけれど、小菅村は好印象。
峠に着いた瞬間、雨があがり、日が差し込んできた。ぼくが霊的な人間だったら、なんかその偶然を深読みしちゃうんだろうが、あいにくぼくは疎いのだ。ただこの景色が美しかったので、なんだか得しちゃった気がしただけだ。
今度は向こうに見える道の先の先までずっと下り。いつもならワクワクなのだが、今日に限っては辛い。下りが寒くてたまらない。松姫峠、標高1250m。ただでさえ寒いのだ。いや、ほんと寒い。濡れている体に風がしみる。
大月駅着。平地になったら、寒さは吹き飛んでしまった。やはり高いところは寒いのだ。山を甘く考えてはいけなかった。走行距離160kmはそれほどの距離ではないが、寒さの中での山越しがきつかった。右下にちょこんと置かれているのが、輪行袋に入った自転車。
こうして「山梨チャレンジ2008いい日旅立ち」は、午後6時38分発の八王子行きの電車に乗って終了した(いや、家に着くまでが~、という意見もあろうが)。来週は少し甘やかな自転車旅をしようと思う。
ちなみに翌日は筋肉に違和感。1年間いろんなところを走ったけれど、翌日まで違和感が残ったのは初めてでありました。
先に進むには松姫峠という峠を越えなければならない。これが思ったよりも急で、かつ長い。見通しが甘かったのである。
次に、補給の失敗。水分だけは新しく買ったが、先ほどお昼にコーンラーメンを食べただけでその後の補給場所がまったくなかった。
しかし、それ以上に最悪の事態を招いたのは、山の天気は変わりやすい、ということだった。
小菅村を通っているとき、何度かポツポツと小雨が降ったのだが、峠にさしかかると今度はちゃんとした雨になってしまった。雨宿りできるようなところはどこにもない。雨に打たれながら坂を登る。サイクルジャージの上に薄いアップを着る(今回はそれと下のジャージしか持参していないのだ。気象庁が晴れだって言ったし、暖かいと言ったから)。全然なんのたしにもならない。
この坂を登るという作業はとてつもなく疲れる作業で、あっという間に備蓄されてた炭水化物が枯渇してしまった。
登坂によるカロリー消費と雨による寒さで、次第に頭がぼうっとしてくる。あとどれだけ登ったら峠に着くのかさえわからない。寒くて寒くてたまらない。なんというか、生命の危機的な寒さなのである。
ついに足をついてしまう。
なんだか眠くなってきた。
はあはあと荒い息をしながら、ふと気付く。
携帯が圏外のところで、寒くて、ひもじくて、ふらふらになって、眠いんだよな。
それって、言ってみりゃ、遭難だろ?
うちを出て127km。山ん中でもう、どうにもならなくなってしまった。
しばらく休む。
週末のプチ家出って聞いたことあるが、週末のプチ遭難。
うーん、それにしても、マイルドではあるが、遭難感を味わえることってなかなかないよなあ、となぜかうきうきと前向きな気分になってくる。なんだか「遭難」という言葉が出たことによって全身の細胞が活性化してきた感じがする。雨で濡れた髪の毛からくしゃくしゃと水を飛ばし、また上り始めた。寒さとひもじさはどうにもならないけれど、脚はまだどうにでもなる(と思いたいのだ、ここんとこは)。
急坂に置かれた馬頭観音。
前に読んだ本を思い出した。山道に置かれた馬頭観音についてそこにはこんな風に書いてあった。
「村の中、特に山の中には時空の裂け目のようなものがある。それをこの世とあの世を継ぐ裂け目といってもよいし、霊界と結ぶ裂け目、神の世界をのぞく裂け目といってもよい。異次元と結ぶ裂け目である。この裂け目は人間にはみえないが、動物にはわかる。そしてこの裂け目は誰かが命を投げ出さないと埋まらない。埋まらないかぎり永遠に口を開けていて、その裂け目に陥ちた者は命を落とす。
旅の途中で馬はこの裂け目をみつける。ここで誰かが死ぬだろう。それは自分とともに生きてきた飼い主であるのかもしれない。そう思ってみると、先を行く飼い主は、いまにも陥ちそうである。自分が犠牲になって飼い主を助けよう。そう思った馬は自らその裂け目にとび込む。
馬が山で死ぬ場所はそういうところだ、とこの村人は言う」(内山節「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」)
旅をするってことには、そうした裂け目を遍歴することも含まれるのだろう。この「裂け目」が聖なる場所として名所になっているところも多いだろうし。だいたい、坂だの、橋だのってやつは、あちらとこちらを結ぶ裂け目なのだ、もとから。夢幻能も橋懸かりからこの世のものでないものが出現する。
午後4時半。松姫峠着。
武田家滅亡の際、八王子に逃れる松姫が通ったとされる峠。今回は雨と薄着と補給に失敗したけれど、次回はもうちょっとスイスイ登れる気がする。
この峠が小菅村と大月市との境になっているので、ここで小菅村とお別れ。短い間だったけれど、小菅村は好印象。
峠に着いた瞬間、雨があがり、日が差し込んできた。ぼくが霊的な人間だったら、なんかその偶然を深読みしちゃうんだろうが、あいにくぼくは疎いのだ。ただこの景色が美しかったので、なんだか得しちゃった気がしただけだ。
今度は向こうに見える道の先の先までずっと下り。いつもならワクワクなのだが、今日に限っては辛い。下りが寒くてたまらない。松姫峠、標高1250m。ただでさえ寒いのだ。いや、ほんと寒い。濡れている体に風がしみる。
大月駅着。平地になったら、寒さは吹き飛んでしまった。やはり高いところは寒いのだ。山を甘く考えてはいけなかった。走行距離160kmはそれほどの距離ではないが、寒さの中での山越しがきつかった。右下にちょこんと置かれているのが、輪行袋に入った自転車。
こうして「山梨チャレンジ2008いい日旅立ち」は、午後6時38分発の八王子行きの電車に乗って終了した(いや、家に着くまでが~、という意見もあろうが)。来週は少し甘やかな自転車旅をしようと思う。
ちなみに翌日は筋肉に違和感。1年間いろんなところを走ったけれど、翌日まで違和感が残ったのは初めてでありました。