毎日が観光

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心の旅3

2008年04月10日 09時57分16秒 | 観光
 そんなわけで池袋から湘南新宿ラインに乗ってぼくは宇都宮に行ったのだ。目的は大谷。
 「茄子 スーツケースの渡り鳥」を見て、あの千手観音に一目惚れしてしまったのだ。アニメではなく、実物を見たい。一目あなたに会いたくて北行きの電車に乗ってしまうなんて、スピリチュアル、というより演歌か。
 宇都宮駅でレンタサイクルを借りる。市がやってるレンタサイクルで1日100円、という格安なもの。久しぶりに乗るママチャリ。おお。商店のウィンドウに映る自分の姿を見て驚く。なんという後ろ重心の緊張感のなさ。ちょっとそこのパチンコ屋まで自転車こいでくおっさんである。サドルをいっぱいいっぱいまで上げてなんとか形をつくる。考えてみればいつもはハンドルよりもサドルの方が高い自転車に乗っているんだから、違和感があるのは当たり前である。
 概して街を行くママチャリはみなサドルが異様に低い。サドルが低いからこぎ脚は自然がに股になってしまう。
 まずは宇都宮二荒神社へ。


 ぼくが行った頃はまだ桜は咲いておらず、梅が美しかった。
 この裏に百目鬼通りがある。行ってみたが、普通の飲み屋さん通りで、かつてここで藤原秀郷が百目鬼という鬼を退治した面影はもちろんない。将門公びいきのぼくは、どことなく百目鬼に同情してしまう部分もなきにしもあらず。鬼だの土蜘蛛だのといった調伏させられる存在は往々にしてまつろわぬ民であったりすることだし。
 さ、宇都宮駅から大谷まで10kmたらず。微々たる距離なのだが、往復20kmはママチャリにとっては多少辛いところ。おまけにGパンをはいてきてしまったという取り返しのつかないミスを犯して、これがお尻に暴力的圧迫を加える。

 大谷に入ると風景が変わる。建物の多くが石造りになり、いたるところから奇岩が顔をのぞかせるようになる。大谷、石の町、と心でつぶやく。
 大谷公園着。

 写真名「広場の孤独」。ヴィヴァ堀田善衛。
 道路から公園に入ろうとすると天狗の投げ石など、奇岩が続く。この公園の壁面に平和観音が彫られている。


 太平洋戦争で亡くなった人々の慰霊のために彫られたもの。階段があり、肩のあたりまで登ることができる。


 平和観音に登ってみると廃墟が見えた。このあたりの廃墟はただの廃墟じゃない。岩と建物が一体となって、迫力のある廃墟を形作っている。すごい。足尾をちょいと思い出すが、あそこには岩がなかった(その代わり、ここにはない、縦横に張り巡らされたおびただしいパイプがまた格別の趣を廃墟に添えていたことを言っておかなくてはならないだろう)。


 いよいよ大谷観音である。カンボジアの遺跡に生えたバオバブの木のように建物を岩が浸食しているみたいだが、事実は逆だ。千手観音や三尊像などを彫った岩を建物が覆っているのである。つまり、この岩肌に直接彫られているのだ。
 一歩足を踏み入れ、対面した途端、ほおお、と声がもれてしまった。センサーで探知しているのか、機械から女性の声で「弘法大師がお彫りになられたとの~」などなど説明が延々と続く。
 うるさい。
 静かに仏さんと対面していたいのに、うるさいのだ。
 機械の説明が終わり、静かにたたずむ。撮影禁止なのでここに載せることができなくて残念なのだが、これは是非一度見て頂きたいものだ。
 千手観音も見事だけれど、横に3つ並んでいる三尊像もまたいい。だがここも説明が流れる。説明自体は興味深い内容なので、紙に書いて渡してくれるとすごく嬉しい。


 ついでに大谷石資料館にも立ち寄る。
 なぜか思わず「Dies irae, dies illa」などと口ずさむ。モーツァルトやヴェルディじゃなく、トマス・ド・チェラーノのセクエンツィア。さっき千手観音見て、今度はセクエンツィアか、と我が心の無宗教さに拍手喝采だ。いや、でも、ほんとロマネスク様式の教会っぽくありませんこと?
 先日の「心の旅1」でフェルメールっぽい写真として掲げたのは、実はここで撮った写真。地下の採掘場に外の光が差し込んでいる場所があって、それがとても美しかったのだ。
 

 ところどころオブジェなども置かれたりして、雰囲気を盛り上げている。

 宇都宮まで戻ってそこから宇都宮線。終点の上野まで行くと、ちょうどお花見の時期。夜桜見物までして、心の旅が終わった。
コメント
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