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内山節「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」

2008年03月11日 16時38分53秒 | 読書
内山節「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」     講談社現代新書

 埼玉北部や群馬南部を歩いていると(いや、ぼくがそこらへんしか知らないだけで、たぶん山ん中のいたるところに)、たとえば大木の根元や大岩の上などに小さな祠が飾られていたり、御幣が巻かれていたりするのを目にする。
 そういう風景ってあなたにとって不思議なものですか?
 考えてみるとちょっと不思議な気もする。岩や木を聖別しているのは、そこに神が降臨したからではない。岩や木そのものの存在感が尋常じゃないから聖別しているのだ。岩や木だけじゃない。拝殿だけで、御神体は山そのものです、なんていう神社もあるし、中には水を御神水として聖別する場合もある。
 われわれがこれが日本の神話である、という、たとえば「古事記」であるとか「日本書紀」であるとかいった書物における神々は、人の形をし、動き、活躍する神たちであった。岩に由来があるのは、ある神がそこに降臨したからであり、岩そのもの、山そのものを神とすることはなかった。
 となると、山や木、水や岩を崇めるわれわれ日本人には、そうした記紀神話の体系とは別に、自然の中で生きながら、自然を科学とは別の仕方で眺めていた伝統があるように思えるのだ。
 そうした伝統的な生き方が全国的な規模で壊れていった挙げ句、日本人はキツネにだまされなくなった。それがいつか。年代は実は特定できるのだった。

「ところが1965年を境にして、日本の社会からキツネにだまされたという話が発生しなくなってしまうのである」

 おお。そうかあ。この1965年という数字はなんとなくわかるような気がする。
 そしてその原因が仮説としていくつも紹介されるがその中の一つが正解というわけではなく、それらすべてが複合的に絡まりあってこの年を境にキツネにだまされる事例がなくなっていったように思える。
 たとえば、高度経済成長期に見られた変化、「科学の時代」における変化、それまでフェイス・トゥ・フェイスによって作られていた口語によるコミュニケーションにテレビや雑誌が進出してきたこと、進学率の向上、死生観の変化、自然観の変化。こうした変化(こう箇条書きにしただけじゃ意味わかんないね)をとりあげ、その背景を説明し、ふむふむ納得と思う。
 思うのだが、この本の眼目は、実はそこにない。
 キツネを窓口に社会の変化に伴う、日本人の歴史観の変化を物語っているのだ。あるいは歴史哲学というか。
 たとえば歴史はいくつもの側面を持っている。知性によってとらえられる歴史もあれば、身体性によって担われる歴史、生命の受け渡しによって担われる歴史も存在する、と著者は主張する。そのうち、われわれは知性による歴史のみを真実の歴史として考えるようになり、だから先細りしているのだ。
 われわれ日本人は、岩や木、山や水に神を見出したように、他の宗教とは違う(神道とさえも違う)神を感じて(信じて、ではなく)生きてきた。その神は形のないものだから、何かに仮託して「かたち」を見出す。それが岩や木、山や水、あるいは祭りなのだ。姿かたちもなければ教義もない。その神の本質とは自然(じねん=おのずから)であった。
 その日本独特の表現が仏教を受容して消化した際現れた、天台本覚思想だ。仏教本来の「一切衆生、悉有仏性」を「山川草木、悉皆成仏」と変化させたわれわれの自然観は特筆に値する。
 そうした知性からはみだす生命性の歴史。

 「生命性の歴史は、何かに仮託されることによってつかみとられていたのである。
 そして、この生命性の歴史が感じとられ、納得され、諒解されていた時代に、人々はキツネにだまされていたのではないかと私は考えている。だからそれはキツネにだまされたという物語である。しかしそれは創作された話ではない。自然と人間の生命の歴史のなかでみいだされていたものが語られた。
 それは生命性の歴史を衰弱させた私たちには、もはやみえなくなった歴史である」

 漢字も少なく、たいへん平易に書かれているにもかかわらず、「キツネ」を突破口に物語られた対象は広く、深い。
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