Radio workshop & everyday.

自灯明法灯明

「自らを灯(ともしび)とし、拠り所として、他を灯とすることなかれ。」

阿蘇路は大変でした、行政、自衛隊の方々の災害派遣に感謝

2016年04月18日 | 日記

昨日今日と夜は比較的静かな夜でどうやら熟睡出来たようだ。
珍しく早く目が覚めた午前3時頃だった、とりあえず家族もいるので静かにして置こうとpcの前に座り日記を書く。

昨日は実家の阿蘇へ行った、誰も居ない実家なのですが。
実家に行く着く迄は勿論、今回は自分の家へ帰るのにも大変な思いをした。
家を出るとGスタンドは長蛇の列、横目で見乍ら参勤交代の道へ入り山道を行くと全面通行止め、左折すると所々道路の舗装面に亀裂が走り凸凹に成っているしかし朝早くから行政関係の方だろうか一生懸命に応急処置として亀裂に周りから土砂を集めて塞いでおられる(感謝)。
程なく行くと、通行止めのコーンポストの脇を通り抜け二重の峠に着く。
関係者や災害派遣の自衛隊の方が方面ごとにドライバーに説明されていた。
二重の峠を降りると、様相は一変し黒川に架かる橋は架かってはいるが、橋のたもとは段差が1m以上に成って通れないので別の道へ迂回する。
道路は波打ち舗装は亀裂がどこかしこに入っている。暫く外輪山の麓を巻くように走っている道を行くとブロック塀はどこかしこと倒れ、古いと思われる家が倒壊しているのを数軒目の当たりにする。
温泉旅館(親和苑)をしている叔母さんの家へ行こうとするが車が大変な込みようでしかも旅館の前は一方通行と成り、いつ着くか分からないので別の従兄の家へ行くがその途中の道路はズタズタで橋は落ち、グルーっと遠回りをしてやっと着く。
従兄は開口一番、エー良く来れたね?
で、被害状況を講釈をする。
従兄の家一帯のライフラインは電気も水道も完全にストップしているが、幸自噴の湧水が有り、それに発電機を使いとりあえずは大丈夫の様だ。
自分は昼飯はコンビニで買って食べるつもりでいたが、家を出てここに着くまでコンビニは全て締まっていて途中の一軒は営業していませんと追い出されてしまった。
実家の家は棚が倒れ、乗せていた食器類が二~三個割れていた程度でした。
その後知り合いの(風)さんの家と他一軒に見舞いの声を掛けに行った。
風さんとは地震の話もさること柄、アンティークの真空管ラジオが手に入ったと言うので見せてもらったりそちらの話で盛り上がり、「クルタ計算機」という超レアなハンディ型の機械式計算機を見せてもらった
私は実物を見せてもらうのは初めてである、これはナチの強制収容所にいた人が考えて、のちに自由に成ってからた製品として作ったものらしい、説明を受けて、ただただ感心するのみ。
風さんとこを失礼して、親和苑の叔母さんの家に行く、叔母さんはもう96歳に成ったと言う、話も歩きも以前と相変わらずしっかりしている、帰りに従姉は高菜漬けと苺を両手で抱え切れないほど沢山お土産に呉れた。
当然ライフラインはストップしているので旅館の営業はしていないが、従業員の為に作って有ったお汁粉を3杯ごちそうに成った。
と言うのもコンビニ弁当が買えずにお腹がペコペコだったのです。
そして早め帰路に付いたのですが、途中の橋が又落ちて居て迂回し二重の峠の登り口まで来ると道路補修の為全面通行止めで温泉街へ引き返す。
大観峰へ登り二重の峠へ向かって走る、着いたら又行き先全て全面通行止め・・・
一体どうすりゃいいの?
又大観峰方面へ引き返し四季の里方面へ行く道の悪路を行くと中間地点辺りで全面通行止め・・・・
仕方なく今度はオートレースのコースのある所から行く道へ行くと、ここは直ぐに道にガードが置いて有り行くなの指示。
では、最後の手段の南小国経由、これが駄目ならもうグルーっと大分県側から3号線を帰るしかないなと思いつつ南小国向かった。
これも山道で渓谷沿いの道だが、意外と崖から落ちた石は大きいのが有ったが全て脇へ寄せられ通行には問題なかった。
帰りついたのは夜の7時10分頃だった。
ああ~疲れた~
鉄腕ダッシュ最初から見たかったな~

ミルクロードより五岳を望む


菊池渓谷線の落石と倒木




阿蘇一宮の楼門・拝殿倒壊
コメント (2)
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