不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

Radio workshop & everyday.

自灯明法灯明

「自らを灯(ともしび)とし、拠り所として、他を灯とすることなかれ。」

動物愛護者の方は読まないで下さい。

2010年07月07日 | 日記
今日は来るべき夏の予行演習とも言うべき、青空が広がり良いお天気です。

はやぶさ、サッカー、相撲と、国民総ヒステリー状態が続いています。
それにイルカの映画、コーブと続いています。

もっと冷静に、しかしマスコミはこれでもか、これでもかと煽りまくる。

コーブについて昨夜NHKが解説をしていた。
シーシェパードの懸賞金一万㌦の懸賞金を目当てに作られたドキュメンタリーは一方的なつぎはぎによる、創作を含む内容だと言っていた。

相撲にしても、コーブにしても、一市民からの抗議が沢山寄せられている。
でもこれらの人々は外面的な捉えによる判断に起因する所が大きい様に思える。

何百年と続いている鯨、イルカ漁を生業とする人々に取っては大きなお世話に他ならない。
今私たちが食べている、牛、豚等の家畜は専門の所で、解体され、我々は見る事は出来ない。
話によると、家畜は牧場から出荷される段階から恐怖を感じ取り、鳴いて、中々荷台に乗ろうとしない、屠場に着き、中に入る時も悲しげに鳴き、暴れる家畜もいる。
イルカも牛も豚も、人になれると言う事は感情を持っている証拠である。

又イルカと牛と比較して知能が引き合いに出されるが、土壇場のの恐怖の感情はどちらも有る。

イルカは知能が高い(どのレベルなのか)、牛が低い、高いから恐怖を感じる、低いから感じない、何を根拠にしてその様な論理に成るのか、分からん。

豚だって、飼い主の危機を救いに家の外に出て行って、通りすがりの人に助けを求めたと言う話も有る。
シーシェパードは言う事が無茶苦茶だ、
言う成れば、総ヒステリーの集団だ。

欧米での狩猟民族の食文化は血塗られた殺戮の歴史に他ならない。
そんな人々に、太地町の人達の生活を奪う権利は無い。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする