写真は毎月お世話になっている田中神社さんの東に置かれている、二宮金次郎(尊徳)の像です。
たいていの小学校の校庭と、出光のガソリンスタンドに立っていますね!
神奈川県小田原市の有数の富農に生まれるが、父の代に財産を失う。
さらに14才で父を亡くし、一家4人の生活を一人で支えることとなる。
朝は暗いうちから山で薪を拾い街に売りに出、昼は田畑を耕し、夜は遅くまでワラジを編み生計を立てていた。
金次郎は何とか、この貧困から脱却し二宮家の復興を四六時中考えていた。
そこで山から町への道中に、父からもらった『大学』やその他の書物を熱心に読んでいた。
16才で母が他界し、追い討ちをかけるように、河川の氾濫で田畑を消失してしまった。
金次郎はこの貧しさを糧として、“積小為大”の大自然の原理を発見することとなる。
20才のときに独立し、奉公先でもあった服部家の再建も5年で成し遂げ、さらに小田原藩主の大久保忠真の目にとまり、財政復興を手がけました。
彼は過去の実績を綿密に調査し、無理のない目標計画を立て、それを少し底上げする方法で成功しました。
今でなら経営コンサルタントという職業にあたりましょうか…
日々の地道な積み重ねが後々の大きな結果をもたらす…と二宮尊徳は教えてくださっています。
たいていの小学校の校庭と、出光のガソリンスタンドに立っていますね!
神奈川県小田原市の有数の富農に生まれるが、父の代に財産を失う。
さらに14才で父を亡くし、一家4人の生活を一人で支えることとなる。
朝は暗いうちから山で薪を拾い街に売りに出、昼は田畑を耕し、夜は遅くまでワラジを編み生計を立てていた。
金次郎は何とか、この貧困から脱却し二宮家の復興を四六時中考えていた。
そこで山から町への道中に、父からもらった『大学』やその他の書物を熱心に読んでいた。
16才で母が他界し、追い討ちをかけるように、河川の氾濫で田畑を消失してしまった。
金次郎はこの貧しさを糧として、“積小為大”の大自然の原理を発見することとなる。
20才のときに独立し、奉公先でもあった服部家の再建も5年で成し遂げ、さらに小田原藩主の大久保忠真の目にとまり、財政復興を手がけました。
彼は過去の実績を綿密に調査し、無理のない目標計画を立て、それを少し底上げする方法で成功しました。
今でなら経営コンサルタントという職業にあたりましょうか…
日々の地道な積み重ねが後々の大きな結果をもたらす…と二宮尊徳は教えてくださっています。