宣教師フランシスコ・ザビエルが日本へ渡来してから400年にあたる昭和24(1949)年に鹿児島市内に建てられた木造の聖堂。 建物の老朽化、及びザビエル渡来450年祭の折にコンクリートの聖堂に建て替えられるべく平成10(1998)年に解体されましたが、部材は福岡県宗像市の「福岡黙想の家」の敷地に運搬されて保存、平成19(2007)年に着工した復元工事が苦難の末に今年完成して聖堂は現代に甦りました。 福岡県宗像市名残1056-1 13年04月下旬
※参考『聖堂再生』 2007
木造の聖堂は塔までの高さが21メートル。
「聖フランシスコ・ザビエル カトリック教会」。
この聖堂は2代目の建物にあたり、初代の石造の建物(明治41年築・1908)は昭和20(1945)年4月の鹿児島空襲で外壁だけを残して全焼したという。
鹿児島市はザビエルが初めて日本に上陸した歴史的な場所でキリスト教信者にとっては聖地とも呼べる場所。 ザビエル渡来四百年を記念して海外巡礼団が訪れる予定を控えていた為、戦後すぐに労力と知恵を結集して聖堂は再建されました。
オレンジがかった赤屋根が飛び切り目映い。
アーチ型の高い天井。
終戦直後で物資も不足する中、信徒や信徒以外の若者も再建に加わり、一面焼け野原の中でも明日への希望を夢見て作業に従事していたと伝わります。
この聖堂の設計者は当時の神父の七田和三郎と衛藤右三郎という建築家。 衛藤は大連市・南満州工業専門学校建築学科を卒業し中村宗像建築事務所(中村與資平・宗像主一)に入所、終戦後は鹿児島で最初の設計事務所を開設した人物という。
2階へと上がってみます。
火の点いたロウソクを模したようなガラス窓です。
賛美歌も響きそう。
すりガラスの模様が四葉のクローバーのようにも見えますね。
耐震の為の鉄骨がサイドに張り出す。
モルタルによる側面窓の装飾。
側面出入り口。
今度は山間の町から平和を見守ります。
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