広島県上下町は山陰(石見銀山)と山陽(瀬戸内海)を結んだ石州街道の宿場町。 江戸幕府の天領として代官所も置かれ、いち早く中央の文化も伝わるなど大変に栄えた町だったそうです。 大正14(1925)年に本格的な歌舞伎劇場(芝居小屋)として建てられた翁座は京都の南座を模した設計とされ、その杮落し(こけらおとし)には長谷川一夫が公演したともいわれる歴史ある建物。 戦後には映画館として改装され活況を呈した時期もありましたが、映画産業の斜陽化と共に閉館されキャバレーや工場として使用される事もあったそうです。 平成5(1993)年にタレント・萩本欽一氏の「映画を掛けよう」の呼び掛けによりボランティア約500人が掃除と改修作業を行い、翌年には花道や桟敷が復元され満場の客と共に欽ちゃんの映画が上映されました。 以後も翁座主催の芸術祭や公演、観光客向けの内部公開なども行われていましたが平成22(2010)年3月末を持って閉館に至っているよう。 所有者の高齢化と建物の老朽化による修理費用が莫大になった事が大きな理由なのだそうです。 広島県府中市上下町 08年05月上旬
広島県上下町は山陰(石見銀山)と山陽(瀬戸内海)を結んだ石州街道の宿場町。 江戸幕府の天領として代官所も置かれ、いち早く中央の文化も伝わるなど大変に栄えた町だったそうです。 大正14(1925)年に本格的な歌舞伎劇場(芝居小屋)として建てられた翁座は京都の南座を模した設計とされ、その杮落し(こけらおとし)には長谷川一夫が公演したともいわれる歴史ある建物。 戦後には映画館として改装され活況を呈した時期もありましたが、映画産業の斜陽化と共に閉館されキャバレーや工場として使用される事もあったそうです。 平成5(1993)年にタレント・萩本欽一氏の「映画を掛けよう」の呼び掛けによりボランティア約500人が掃除と改修作業を行い、翌年には花道や桟敷が復元され満場の客と共に欽ちゃんの映画が上映されました。 以後も翁座主催の芸術祭や公演、観光客向けの内部公開なども行われていましたが平成22(2010)年3月末を持って閉館に至っているよう。 所有者の高齢化と建物の老朽化による修理費用が莫大になった事が大きな理由なのだそうです。 広島県府中市上下町 08年05月上旬
しょうか?(僕の勘違いかな?)確か広島の上下町で、場面
転換のシーンが山田洋次監督の「男はつらいよ」の撮り方
と似ているので、「山田洋次監督の撮り方って小津安二郎
と似ているところあるんだ」と思ったので覚えているんです。
恥ずかしい話で「浮草」というか小津安二郎の映画はまともに一本も見た事がありません。。
古い映画は結構好きで借りて見ていたのですが、最近は建築探訪が忙しくて映画自体も殆んど見ていませんね。。
ただ古い芝居小屋ってシチュエーションとしては良い素材ですから
何らかの映画などでここが使われている可能性はあるかも知れないですね。
まし何か分かった事がありましたら教えて頂けたら嬉しいです。