完成直前に施主が急死し、その葬儀のみ盛大に行われた後は無人のまま現在に至っているという建物(安藤家洋館 大正7年築?・1918?)。 兵庫県明石市大久保町 10年03月下旬
※参考 『近代の歴史遺産をたずねて』 2006
山陽道沿い。 「明治天皇大久保御小休所建物」の石標が建つ。
建物は総石造り2階建て。 1階部分はルスティカ積みのようにも見えました。
施主は大久保宿の本陣を営んだ家柄。 飽きたらず東京に出て海運業で成功、国会議員にまでのぼり詰める。
冬場にしか見えないデザイン。 庭木は荒れ放題。
政界を引退した後は神戸・奥平野の広大な屋敷に住まうが、望郷の念が募ったか、故郷の地にこの洋館を建設し始めた。
ドーマーのアップ。 屋根の痛みも激しい。
設計は※加護谷祐太郎。 東大寺大仏殿の改修にも当たった人物だという。 ※訂正しました。
右手の和風建築は明治天皇が明治18(1885)年に休息された書院。
洋館建設と同時に由緒あるこの書院もここに移築してきたそう。
想いは実らず。 その無念さはこの建物の現況が全てを物語る。
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前回のコメント(岸和田)が初コメントなのですが、以前にも、このページを見つけてあの謎の洋館の由来が載ってると驚きました。
これからもブログ更新楽しみにしております。
参考文献にも書いてありますが、『近代の歴史遺産をたずねて』という本でこの建物を知ったのが訪問の大きな切っ掛けとなりました。
もうお気付きだと思いますが結構廃墟好きなので、この手の建物には目が無いんですよ(困)。
さすがに内部探索とかはリスクが高いので一切行いませんが、
外から見るだけでもその建物にまつわるストーリーに接する事が出来たような気がしてワクワクします。。
現在は実家を出て他県で暮らしているのであまり見る機会もなく、とても懐かしいです。
一度くらい内部探検に行けば良かったなぁと後悔してみたり……内装も一風変わってそうですね。
掲載されている本を捜してみようと思います。記事に取り上げてくださって、ありがとうございます。思ったより老朽化が激しくて、あと何年もつか心配になりますね。思い出の舘を鮮明な写真を残してくださって、嬉しいです。
年末でアレコレと忙しくしておりました…。
建物ですけれど、本に書かれている通りならもう90年以上も放置されている訳ですし、
屋根も雨漏りしてるでしょうから内部はカビや埃で凄まじい事になっているでしょうね。
設計の加護谷祐太郎は旧帝大を卒業して直ぐに東大寺大仏殿の修理における
現場責任者に抜擢された人物だったので優秀な技術者だったんだと思われます。
恐らく外観に負けないくらいに凝ったデザインが内装にも施されていたんだと思うと少し残念ですね。
今はまだかろうじて原型を保っていますが、将来的には屋根が崩落して全てが終わってしまいそうな予感がします。
内装もきっと美しかったんだろうなと自分も想像します。嗚呼もったいない。
自分も廃墟が好きです。リスク高いので内部は自分もしないですが…。摩耶観光ホテルだけはっと思わんこともないですが…しないです。
端島が合法的に上陸できる様になったので、
昨年ツアーにつれといきました。見れるところはわずかですがとても良かったです。産業遺産も好きなので、ちょこちょこいってます。
話それました。紹介されていた参考文献自分も買ってみました。知らない所、以外と実家に近いところなどあって面白いです。機会みつけていってみようかなと思っています。
摩耶観光ホテルは訪問リストに加えて行き方を調べた時もありましたが、
山登り(下り?)もありそうだし、見つかって怒られるのも嫌なのでリストから泣く泣く削除しました(汗)。
アールデコの様式美と窓の外に広がる緑の対比には神々しいものさえ感じます。
軍艦島(端島)も良いですね。
私も産業遺産は好きなので、今度長崎に行った時には上陸ツアーへの参加も考えています。
本当は伊万里の川南造船所も見たかったのですが、こちらはもう解体が始まるようですね。
北海道から鹿児島まで建築・廃墟ともに興味が多すぎて全ては見きれません。。