坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

教育の機会

2020年05月02日 | 坊主の家計簿
9月入学・始業に10代以下の反対77%、20代の反対73%。但し、日刊スポーツ新聞社が行ったネットアンケートでの結果であり信憑性に疑問が残る。

日本PTA全国協議会は文部科学省に対して、9月入学は慎重に検討するよう求める要望書を提出したらしい。理由の中に「突然の9月入学の議論の高まりは子どもたちに不安を与え」という事があり、同感。

離れて暮らしているとはいえ、小学生の親でもある私は反対意見だが、最終的には子どもの意見を尊重する。
PTA云々、労働者(教師)云々、国際化云々、就職云々などの「大人の都合」などどうでも良い。自分の人生の事は、自分たちで決めれば良い。

学校の授業よりも「自分の頭で考えて意思決定をする」という教育機会を与えるチャンスだろ。

新学期が始まっていないが、今年度から始まる学習指導要領を大人たちは思い出すが良い。
「グローバル化や人工知能・AIなどの技術革新が急速に進み、予測困難なこれからの時代。子供たちには自ら課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、自ら判断して行動し、よりよい社会や人生を切り拓いていく力が求められます。学校での学びを通じ、子供たちがそのような「生きる力」を育むために、学習指導要領が約10年ぶりに改訂され、2020年度より小学校から順に実施されます。」

他府県ナンバー狩り

2020年05月01日 | 坊主の家計簿
今日はバイクでラーメン屋。バッテリー充電も兼ねて少しウロウロする。大阪は狭いが、感染者が多い大阪府民の私が他府県に出向く事は一応避けたい。
他府県ナンバー狩りというのもあるらしい。「感染症が怖い」という心情もあるだろうが、叩ける理由があれば叩きたいという心情もあるのだろう。
縁さえあれば大量殺人してしまうような存在を人間という。コロナ禍という縁で色々な人たちが様々な反応をしているだけの話。

叩いている人を悪として叩いているのも人間だから。叩いている人を悪として叩いている人を悪として、以下エンドレスも人間だから。
憎しみの連鎖、恨みの連鎖を断つ事なんて、少なくとも私には絶対に無理。そんな器用に出来ていない。でも、そんな絶望の中で「同じやん」と思う。
反戦、非戦ではなく、悲戦。戦ってしまう、叩いてしまう縁を悲しむ。

以下、オマケ。書いていたら思い出した文章で、今も何度も何度も読み返しています。
【有名な「悪人正機」説は、個人の体験を契機として、まさしく親鸞聖人の血の滴るような苦悩に満ちた心の格闘を経て、練り上げられた絶対否定の論理なのです。それは、「生生流転、無縁解脱」の罪悪深重の衆生をすべて内包している無差別の、絶対平等の救済を示しているのです。
 このような親鸞聖人の絶対平等の救済は、常識的に理解されるような支配権力を対立相手と見なして戦うという民衆救済とは次元が違います。それは「一切の有情は、みなもって世々生々の父母兄弟なり。」(『歎異抄』)という言葉に裏づけられるように、一切の有情を絶対に平等に見る、対立項のない「無縁の救済」なのです。すなわち平等無差別の救済です。
 ここでもう一つ事実を申し上げて、皆さんと一緒に考えてみたいと思います。前に申し上げた「紅衛兵」の良のことですが、二十三年後の一九八九年、ちょうど文化大革命の 紅衛兵たちが自分の犯した罪を反省して、謝罪が行われた時期でした。五月一日のメーデーの日、私は良から彼の家庭パーティーへの招待状をもらいました。「改革開放」のなかで、良さんは奥さんと、シューマイの店を経営して、繁昌して、とても裕福な生活をしているということでした。
 「良」という名は、私を二十三年前の「文化大革命」時代に連れ戻し、あのつらかった出来事を思い出させます。二十三年来の恨みが湧き出てきて、行く気持ちにはなれませんでした。ところが、その招待状に込められた真意あふれる懺悔の感情に引かれ、とうとう行く決意をしました。
 パーティーに出てみると、十二人の参加者は、「文革」時代の良の仲間と、彼らによって迫害を受けた人たちでした。互いに顔を合わせると、何のために招待されたか、暗黙のうちにみんな了解していたようでした。パーティーが始まり、良がコップを挙げて、「皆さん、過去のこと……」と切り出した途端に、言葉が詰まりました。「乾杯!」という誰かの声が沈黙を破り、
「乾杯!乾杯!」
「忘れた、忘れた、過去のことは忘れた……」
 湧き出てきたみんなの声。それに伴う雑然としたコップのぶつかる音。私は、その声と音を聞きながら、隠された共有の傷跡がみんなの心の中でうずいているのだと、はっきり実感しました。
 良は、その後の武闘の中で片方の目を失いました。「文革」のあと、殺人容疑で審査されたり、拘禁されたりしたこともあったそうです。良の顔を見ると、豊かな生活に養われた艶のいい顔ですが、顔に刻まれた現在の年齢とかけ離れた深い皺と、皺から滲み出るように漂う苦渋の表情が、彼のけっして楽ではない心を語っています。良は、騒いでいる皆を眺めているうちに、抑えきれずに、涙を流しました。それを見たとたん、二十三年来、私の心のなかに溜っていた憎しみが大きな悲しみに揺さぶられてどうしようもない思いでした。もちろん、歴史において人間が犯した罪は追及しなければなりません。しかし、時代の嵐に弄ばれて、悪人にならざるを得なかった人びとの苦悩と悲哀の中に、罪を犯した者と犯さなかった者という二元対立を超えた人間そのもの共通する深層的な苦悩と悲哀があるのではありませんか。】
(張偉『海をこえて響くお念仏』38頁~42頁)