坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

非科学な話

2020年05月22日 | 坊主の家計簿
大谷専修学院別科生が主にする事は料理作りであり、今ほどでは無いにしても精神的にかなりヤバい状態で別科入学した直後の私の料理に対してある先生が「お前の料理って、なんか優しいよなぁ〜」と褒めてくれた。その後、元気になると同時にガサツになって行ったが…。同級生に物凄く料理が下手な人がいた。でも、彼が作るオニギリは絶品で、美味しく、食べると優しい気持ちになれた。

佐藤初女さんというオニギリの達人が青森にいた。私みたいな人が食べると生きる気力を取り戻したそうな。

今日、業務スーパーに買物に行く途中、交差点で小さい娘さんを連れたお母さんがいた。2人して手作りマスクをしていた。
100%ピュアな非科学な話だが、あの娘さんは新型コロナに感染しないと思う。厳密に言うと、感染しても発病しないと思う。だって、お母さん(お父さんかも?)が作ってくれたマスクだもん。

アビガン?だったっけ?薬の治験でも偽薬効果が問題になる。でも、偽薬効果もある。
それは、信頼する医師という権威との関係であり、いやらしい性格の私はすぐに「反権力!」と言ってしまうが、効果がある人もいる事は確か。
同じように、読経などの宗教音楽が悲嘆に効果がある事も研究されていたりする。

でも、それは物凄く単純な事で、「ただいま!」「おかえり!」だったりする。今の私は一人暮らしだが、御近所コンビニ店員にカスカスの声と指で「2番」というと、タバコを出してくれる事だったりする。

変わらず会話が不可能な私には無関係だが、オンライン呑みというのも流行っているらしい。人は、人に会いたい。どんな形であっても、人に会いたい。会うと、なんか休まったり、なんか嬉しくなったりする。そして、離れると寂しい。

今年の流行語大賞にノミネートされそうな「密です!」という言葉。確かに感染症予防としては必要だっただろう。でも、人間って、科学だけでは生きて行けない。手作りマスクは医療用マスクに比較して科学的にはダメダメかも知れないけど、でも、「大好きな人が作ってくれたマスクだもん」という力もある。

日本には挨拶代わりにキスをする習慣はないけど、でも、キスって互いの菌を交換しあう意味もあったはず。「あなたと一緒に生きる」と。
伝説の石田三成は、癩病患者であった大谷吉継が垂らした膿が入ったお茶を飲み干したらしい。当時の科学的知識では感染の恐れが多々あった為に他の人が忌み嫌い飲まなかったお茶を飲み干したらしい。それが故に大谷吉継は負けると解っていながらも関ヶ原の合戦に参加したという伝説。信憑性はない。でも、語り継がれるエピソードは今も残っている。

科学的知識はとても大切な事。また、偽薬効果も含めた宗教の支配・被支配の関係も物凄く鬱陶しい事。
でも、それだけに凝り固まらずに、「だってお母さんが作ってくれたマスクだもん」的な感覚も大切だと思う。

それは当然、あらゆる人に通じる話ではない。ただ、「それはデマ」などと切り捨ててしまう私にとっては大切な事。