坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

うつ日記

2020年05月25日 | 坊主の家計簿
 ブログを書くのは久々になる。Facebookで遊んでいたが、実名では愚痴り難い事も多々あり、ブログに復帰。誰が読んでいるのは解らない中で書くのはやっぱり楽だわ。

 鬱病になりました。医者が嫌いな為に厳密には「鬱疑惑」ですが。
 なんじゃかんじゃで大阪を離れる事になり、最愛の娘と離れ離れになりました。その事がずっと辛くて仕方がない中で、でも、再婚して、今度は息子が出来ました。
 仕事は知的障害者施設で働いていました。多分、後からFacebookに書いたのもブログにアップすると思いますが、かなりキツイ仕事でした。そんな中でも一生懸命働いていました。でも、心身は悲鳴をあげていたようでした。今から思うと謎の首が痛かったのも鬱病が原因だったのかも知れません。そんな中で私を心配した当時の相方から退職を強く勧められて、相方実家の家業(寺)を手伝う事になりました。田舎の寺だった為に、私の主な仕事は境内整備です。朝勤行後に朝食を食べて、作業着に着替えて、草刈りなり、竹林整備なり、雑木を切ったり。荒れ放題だったので仕事はナンボでもありました。でも、心身の状態は徐々に悪化して行き、障害者施設を辞めた翌年正月以降はほぼ動けなくなっていました。動く気力が出て来ないのです。朝勤行に出れないのは当然の事、トイレ以外では布団からも出る事が出来ません。当然、毎日ではありません。動ける時は動きますし、北国だった為に、冬場は「除雪」という重要な仕事があります。お墓参りの方の為に結構広い墓地の除雪もしなければなりません。でも、殆ど布団の中で過ごし、夜中に家族が寝静まった中、刺激が少ない中で、少し動いて食事などをしてました。
 そんな私を当時の相方は面白くなかったみたいでした。当たり前ですね。まだ新婚間もない私が、ほぼ会話も出来ない、布団から出て来れない状態でしたし。徐々に相方からの視線が冷たくなって、ゴミでも見る様な視線になりました。「悪い」とは思いつつも、そういう感性だけは敏感になっており、症状は益々悪化していきました。
 2月の末頃だったかな?ついに発狂して家を飛び出しました。相方から優しい連絡があって帰りましたが、それも僅かでした。人間なんて、多分、そんなものですし、仕方がありません。そして、2年前の5月だったかな?当時の私にとってはいきなり離婚を突きつけられました。人との会話が出来ない状態だった為に、また家を飛び出してメールでの離婚話です。抵抗する、説得する気力なんてありません。少しは当時の私なりに頑張ってみましたが、無理です。今は当たり前になりましたが、当時の私にとっては生まれて初めて、ストレスで過呼吸になり、出た結論は「もう、いいや」でした。今の部屋をネットで探して、賃貸住宅会社に無理を言って契約を急いで貰い、家に戻って荷物整理です。
 私は本を沢山持っていました。大切な本もありましたが、でも、「もう、いいや」です。寺だったので、息子の為に置いて行きました。引っ越しが多い割に子どもの頃からの宝物的な卒業アルバムなども「もう、いいや」で捨てました。色々と大切にしていたものがバカらしく思えて「もう、いいや」です。

 地元に帰って来ました。福島県南相馬市という選択肢もあって、実際に南相馬市で部屋探しなどをしていたのですが、やっぱり慣れ親しんだ地元を選びました。気軽に飲みに行ける店があったりする地元はやっぱり楽です。「もう、いいや」と思いつつも死にたくありません。
 数年ぶりに戻って来た地元での飲み方は無茶苦茶でした。「ウイスキーロックの水のように飲んでいた」らしいです。当然、倒れたり、道で寝たりする事が散々続いて、ある店から出入り禁止になった事で飲み歩きは自粛しました。よくぞ出入り禁止にして貰ったものです。あのまま飲み歩いていたら、財布もスマホも無くしていたでしょうし、当時も今も、私には手続きをする気力はありません。というか、それ以前に喧嘩したり、そういう心配もありましたね。無茶苦茶でしたから。

 それからは、大人しく引きこもっていますが、「バイクで旅行がしたい!」という衝動で、中型免許を取り、昨年の今頃は四国→九州→金沢という長距離ツーリングしたり、夏には東北に行きました。バイクといっても、クロスカブ110という小型2輪です。でも、少し改造して荷物を沢山積めるようにして、長距離ツーリングも楽しいですし、日帰りツーリングも楽しいです。

 今日、緊急事態宣言が全国的に解除発表されました。でも、他府県への観光は7月10日以降みたいです。地元、大阪は狭いです。もう少し若い頃であれば「他府県ナンバー狩り狩り」という遊びも出来たでしょうが、今はそんな気力はありません。バイクに悪戯される事はイヤです。
 緊急事態宣言などを含めた「コロナ鬱」という言葉がありましたが、それ以前からの鬱疑惑の私にとってもかなり辛い状態でした。でも、多くの人たちも大変な状態であり、「私は特別や!」はイヤです。だから、「緊急事態が早く終わりますように」と祈っていました。でも、私にとっての緊急事態宣言は一気に伸びてしまいました。

 私にとっての鬱病はワガママになります。ストレス耐性が、ほぼありません。そんな中で、今日は堪えました。「もう、どうすりゃエエねん」です。
 真っ先に考えたのはブロンです。一応は合法ですし、ラリれます。ブロンのラリりは「ボー」なので、7月10日までラリってりゃ終わります。でも、高いです。近くに非合法薬で有名な街もありますが、非合法薬も同様に高いです。入院も考えましたが、これは医師次第ですし、入院しても結局は脳みそが動いていれば辛い事には変わりありません。死ぬ事は、母親が生きている限りは嫌です。「嫌」と思える間は死にません。
 結局、酒飲んでブログに書き殴るという結論になりました。

 何かの創作活動を出来る人にとっては、こういう「空いた時間」を幾らでも使えるのでしょうが、私には出来ず、また、本も読めません。

 本が読めないというのは、恐らく人生初だと思います。短い記事は読めます。でも、新書でも200ページ程度ある本は読めません。というか、長文の記事すら読めません。頭が一杯になります。「そんなん言うても買いとるやんけ!」って、書く事は脳味噌をそんなに使いません。思いついた事を書くだけですし。Twitterでデマ批判も散々していますが、あれは性格の悪さがあれば出来ます。52年生きて来て、議論も散々していれば、ツボも解りますし。ただ、本は読めません。
 本が読めないという事は、深い考えが理解出来なくなったという事です。いや、迷いかな?本に書かれた事をインタビューなどで書かれた記事は読めますが、それは本に書かれた迷うや議論を省いた結論部分です。その人の思考を探る、その人をより理解しようと思えば、本を読む事は適切だと思います。でも、今は読む事が出来ません。

 年齢のせいもあるのかも知れませんが、鬱疑惑の状態になってから出来ない事が物凄く増えました。当たり前だった事が出来なくなる事で、今まで「当たり前」として来た自分の傲慢さがイヤになります。当然、それは今もあります。ただ、気付かないだけの話です。ただ、「会話が出来ない」という事でも気付かなかった事です。そんな多くの気付かない事がきっとまだまだあるのでしょう。
 そして「今まで気付けなかった事に気付いた私は凄い」という煩悩に出会います。鬱疑惑の状態でさえ優生思想に転化する、差別思想に転化する、私の煩悩のしたたかさに出会います。本当に、しぶといです。

 仏教は縁起の思想です。関係存在としての自己です。唯識ならば平等性智の中の自己です。大阪表現ならば「おんなじやろ」の中の自己です。そんな中で、「私は特別だ」と差別する事は、物凄く鬱陶しい事ですが、無事に差別者の仲間入りです。罪人の仲間入りです。これまた大阪表現で言うならば「なんや、あんたもアホけ?わしもアホやねん」である。

 数年ぶりに帰って来た大阪は、変わらず下衆な街でした。維新の会も世代が入れ替わり、よりツルツルの吉村知事が大人気みたいですが、それでも、まだ「大阪らしさ」というか、下衆などうしようもない連中が多くいる街でした。でも、やっぱり減って来ました。
 と、感じるのが、恐らく今の私の限界なのだと思います。オッさんになって来た、老いて頭が硬くなって来た証明だと思います。生身の人間の苦を自分の尺度でしか見れなくなって来た証明だと思います。
 今まで散々、自分の苦しみを酔いに任せて書いて来たにも関わらず、愚痴をこぼして来たにも関わらず、いや、愚痴をこぼして来たから気付けた事だったのかも知れない。ただ、この世を共にする人の苦しみを自分の尺度で測っている、他人を「ツルツル」などと言ってしまう傲慢極まりない私がいる。

 でも、生きている。存在している。腹も減るし、ストレス抱えて酒もタバコも吸う「生きろ!」という存在がある。「辛い」」と思える存在がある。仏教的には「辛い」も「ストレス」の迷いだ、煩悩だ、でも煩悩がある。煩悩という生存意欲がある。

 大地に還る、などという安っぽい表現を使ってみる。
「凡夫というふは、無明、煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、瞋り腹だちそねみねたむ心多く間(ひま)なくして、臨終の一念に至るまで、とどまらずきえず」(親鸞『一念多念文意』より)

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