坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

チリンチリンと堕落論

2011年03月15日 | 坊主の家計簿
 いかん、ツイッター中毒だ。。。
 
 うちのチャンネル権は娘が握っているので、今回の様な大災害であっても娘は「なにそれ~」である。全く興味がない。なので、私はiPhoneでツイッターをつらつら眺めたりボヤイたりしつつ情報収集をしているのだが、え~。。。ツイッターにハマってしまった。。。

 個人的の「ツイッター最強」は『衲僧』(http://twitter.com/#!/busterbonze)という多分、臨済宗の坊さんだったのだが、何やら有名ブロガー(?)らしい『きっこ』(http://twitter.com/#!/kikko_no_blog)という人も面白い。

 何が面白いって、その生命感覚だ。
 直接コピペしたいのだが、確か、この人って、ブログの記事をコピペ引用されるのを「嫌っている」という噂を見た事があり、また、ツイッターの呟きの直接リンクの仕方も解らんので、「なんとなく、こんな事言ってましたで」という形にしよ。
 まあ、だいたいの感じでは、結構大真面目な事も書き込みながら、「福島第一原発の1号機、2号機。3号機という言葉を聞いてエヴァンゲリオンを思い出す」であったり、とか、「サンシャイン牧場に水を撒いたり害虫駆除をしたり」であったり、「私はこんな時でもアニメの事やギャグをつぶやいたりする」等である。

 素晴らしい。。。素晴らしい生命感覚を表現して居られる(なんとなく上から目線、失敬)。
 さすがは、日本で有数のブログの達人である。人気があるのも解るわ。

 そんなもんじゃないのかな?生身の感情って。

 私は今回の大災害に関しては、共感出来ない。出来ない理由は、地震を感じていないから。爆睡している間に「え?大阪も揺れたん?」である。
 これは決定的に違う。同じ揺れを感じて、「あの揺れでこんな事に」と、その事を全く感じなかった人間とでは原体験が違う。
 だから、多分、ママは今回の大災害について私よりも敏感であり、首都圏でかなり大きな揺れを感じた方々は特に「私は無事だったのに、あの人達が。。。」等という罪意識もかなり出て居られるのでは?と勝手に妄想したりする。

 原発。これはちょっと敏感にならざるを得ないのだが、まあ、「天皇は京都に上京(関西人です、私)した」とデマがあるくらいなので、「こっちは安全な関西♪」であったりする。
 まあ、経済や、もっというと関係存在(縁)を生きているので無関係な事など一切ないのだが、今回の大災害に関しては、やはり原体験がない。

 『きっこ』という人は何やら東京に住んでいるらしい。プチ・パニック状態の東京である。バリバリの原体験である。
 でも、先程書いたような感覚がある事を正直に認めて居られる。

 うちのタイムライン(ツイッターで選んで読んでる時系列に並ぶ記事)では見られなくなったが、それでもいまだに「不謹慎だ!」というのもあるのだろう。その「不謹慎だ!」と、いう言葉は、きっこ氏が感じられた様な感覚に蓋をしているだけなのでは?と思ってしまう。『見ようとしない』『見てはイケナイ心』として。

【半年のうちに世相は変った。醜の御楯といでたつ我は。大君のへにこそ死なめかへりみはせじ。若者達は花と散ったが、同じ彼等が生き残って闇屋となる。ももとせの命ねがはじいつの日か御楯とゆかん君とちぎりて。けなげな心情で男を送った女達も半年の月日のうちに夫君の位牌にぬかずくことも事務的になるばかりであろうし、やがて新たな面影を胸に宿すのも遠い日のことではない。人間が変ったのではない。人間は元来そういうものであり、変ったのは世相の上皮だけのことだ。】(坂口安吾『堕落論』より)

 ツイッターで、とある被災者の現場に居られる確かな人が、「被災者は客ではない」と語って居られた。あれ?御自分で消されたのか、それとも酔っぱらっている私が見つけられないのかどうか不明だが、まあ、立場的に殆ど寝て居られないのだろうし、疲れて居られる中で愚痴られた事だと思う。

 『被災者』と今は呼ばれる一人一人の方々。大切な人、あるいは思い出一杯の物を失って心傷ついて居られる方々。

 ちょっと、その証明の動画を入れますが、書き込みは続きます。

 



 『みぞうゆう』の大災害の後、様々な大切な人、思い出一杯の物を失って心傷つくのは当り前である。それこそ、チュートリアル『チリンチリン』のネタの様に、毎日ベロンベロンになるまで酒を飲んだり、上記映像では入って居ないが、M-1で優勝した時のネタでは「ゆきずりの女とも寝たよ」だったりするのだろう。今、この漫才を見るとなんか泣けて来る。

 『被災者』と呼ばれる一人一人の方々。多くの心の傷を抱えざるを得ない方々。

 心が傷つくと、ワガママを誰かに引き受けて貰いたくなる。ワガママ放題言って、そのワガママを誰かに引き受けて貰いたくなる。
 
 被災地。阪神大震災でも自衛隊、消防等の『支援する側』の過労死もあった。
 『支援する側』だって生身の人間だから、先に紹介した「被災者は客ではない」と愚痴をこぼされる方の気持ちはよく解る。ケアする側のケアの必要性、まあ、坊主に酒飲み&喫煙率が高いのも一つの証明かも知れない。

 ツイッター中毒になっている私は、実は初めてなんだが、このブログを書くと同時にツイッターの新しい情報が入る様にしている。何やら東京湾のド真ん中が震源の地震があったらしい。

 今の地震報道は主に東京のテレビ局。あ、今日、『ミヤネ屋』がやってたけど。でも、殆どが東京。
 かなり大きな揺れを感じて、死傷者も出ている東京。
 そんな中で、マスコミも、そして、政治家、総理大臣や官房長官も働かれて居られる。

 枝野官房長官は東北大学の出身らしい。きっと学友の心配もあるのだろう。でも、『政治家』という『官房長官』という仕事、立場。

 私は原体験を共有出来ない。大阪の街は変わらず、あ、コンビニの看板の電気が消えたくらい。
 だから、こんな呑気な事を言える(書ける)のだろう。

 大谷派の宗祖親鸞聖人750回忌の御遠忌は今週末から。出来れば、こんな時だからやって頂きたい。こんな時だから、参加出来る人達で宗祖の教えを再確認する法要をやる事に意味があるのでは?と思うのだが、現実問題、団体参拝のバスとか、交通、流通の問題で延期になっても仕方がない。決行を決めた12日とは事情が違って来ているし。
 来年に延期になっても、それはそれ。その事を事実として受け止めて御遠忌を勤めればいい。今週末からやるのであれば、『参拝出来ずに空席になった場所の重み』を感じて勤めるしかない。
 どちらが正しいとも言えない。今年勤めないのであれば、それなりの『法要』にすれば、例えば、大好きだった、凄く行きたかった、でも、仕事の都合で最初から行けない予定だった、でも、凄く楽しみにしていた、「大谷派、よくぞやって呉れた。大谷派に入って良かった」と言えるイベントの『宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要オープニングイベント いのちとことばの響舞台』を一年間、各教務所並びに本山でやればいい。当然、小規模だが、義援金を集める為のイベント(法要)としてやるとか。色々な事が考えられる。

 こういう事を書いて居る私も決して『心が傷ついていない=健康な状態』ではない。今回の大災害では原体験が出来ていないが、その他、様々な生活の原体験がある。人生の原体験がある。

 「私に何か出来る事はないのか?」という関係存在(縁)を確かめる事と同時に、あ、今、丁度、ツイッターで

【眠れない人には夜は長く、疲れた人には一里の道は長い。愚か者には、生死の道のりは長い。】(釈尊)

 という言葉が入って来た。
 私(たち)は、愚か者だから、『眠れない』し『疲れている』。そんな『お互い様』という感覚も大事なのでは。

 「被災者なのに、態度がデカイ」
 「ボランティアのくせに偉そう」
 
 等々。
 みんな、生身の人間。決して『聖者』じゃない。

 ボランティアに偽善が入るのは当然の事。生身の人間なんだから。
 被災者がワガママになるのは当然。生身の人間なんだから。

 それを認められないのは、私が生身の小さい人間だから。

【戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。人間は結局処女を刺殺せずにはいられず、武士道をあみださずにはいられず、天皇を担ぎださずにはいられなくなるであろう。だが他人の処女でなしに自分自身の処女を刺殺し、自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだすためには、人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。そして人の如くに日本も亦堕ちることが必要であろう。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である。】(坂口安吾『堕落論』より)

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7 コメント

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Unknown (Unknown)
2011-03-15 08:35:32
他人の処女でなく自分自身の処女を刺殺し。
という言葉、美しいですね。
朝から爽やかな目覚めです。
それ、常々あたしが廻りの女囚たちに
感じてた事の明解な言語化です。
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上の投稿者はあたいです (南国ちゃん)
2011-03-15 08:37:36
気持ちよすぎて、慌ててミスりました
ミス大阪ですから。
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Unknown (ぐりん)
2011-03-15 10:18:11
「原体験」…14:46気づきませんでした、何してたんだろう?、さえも…
16年前の阪神・淡路大震災、ゴォーと、うねり音が聞こえたかと思ったら、お布団の中でかなりの間、左右に大きく揺れておりました。恐怖でした。
あの時の光景、驚愕しとても悲しくて…
でも…「他」なのです。
いつまでたっても、どこまでいっても「自と他」。
共感はできます。しかし、深い々基底での共感はできません。それは親子・兄弟・夫婦であっても…「独生独死独去独来」一人生まれて、一人死んでいくから…
傷つけるのも・癒すのも自身です。
そんなたったひとりの自身ですが、阿弥陀さまは片時も離れず、暖かく深く包みこんでくださっているのでしょう???…南無阿弥陀仏
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南国ちゃんへ (エロ坊主)
2011-03-16 02:07:15
 堕落論はエエでっせ。すぐに読めるのも、青空文庫でタダで読めるのもエエでっせ。
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ぐりんさんへ (エロ坊主)
2011-03-16 02:09:39
 え?結構大きな揺れじゃなかったんですか?あ、単純に、寺がボロい(笑)

 阪神大震災の時は、ホンマに死ぬかと思いましたもんね。頑丈なホテルに泊まっていたのですが、オモクソ揺れましたもん。
 で、余震余震で余震酔い。脳味噌、気持ち悪かった。。。
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Unknown (Hideイタリアーノ)
2011-03-16 20:48:43
チリンチリンのネタ最高ですね。後世に残る傑作です。わたしは幼いころやすきよの漫才をみて、またそれをみて絶賛する人々をみて、これの何が傑作やねん(まあ、おもろいことはおもろいが)、と思ったような時代があるように、のちの人々がわたしが感じたように思う時代がくるんでしょうね、きっと。でも、嫁さんにこれが『そんなおもしろい?』と聞かれたとき、ちょっとこの人とは無理なんじゃないかな??って正直ちょっと不安になりました。
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Unknown (エロ坊主)
2011-03-17 02:38:26
お笑いって、基本に『常識』があると思うんですよ。だから、その『常識』を共有していないと「何が面白いの?」になったりすると思ったりします。
 だって、今、「ヤマトがイスカンダルに向かっている」と言っても、それが通じない人も居てるわけであって。。。寂しい時代になって来ました。
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