坊主の家計簿

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 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

よゐこのデスノート

2006年10月27日 | 坊主の家計簿
 10月27日

 雑費    缶コーヒー         120円
 外食    やきめしらーめん      750円
 食類    無添加ワイン        438円
       キムチ            88円
       豪州牛肉          261円
       タマゴ           198円

 合計                 1855円
 10月累計             88779円

 今日は食べて寝る日。よ~喰ったし、よ~寝たで。
 昨日の新庄も気になるので、ニュース等も観ながら、半端半端でデスノートを観る。テレビでやってたので。

 らいと「おのれ、張本め。次もまた新庄の悪口云う気やろ。許さん。云わせんようにデスノートに書いて殺しとこ。『張本勲』と。よし、これで張本は死ぬ。あれ?なんでや?なんで張本は死なへんねん。おかしいやないか。あいつは野球選手のクセに芸名使ってるのか?」
 リューク「らいとは全国模試1位に成った優等生なのに在日問題を知らないのか?ちゃんと社会の教科書に載ってるはずだぞ」
 らいと「なに?そんなもんは学校で習わなかったぞ」
 リョーク「そうか。ライトは進学校に行ってたから習わなかったんだ。」
 
 当然、そんな場面はデスノートになかったが。。。

 と云う事で、あの高校の事件ってすんごいなぁ~。いや、詳しく知らんのだが、あれは『今年問題になった』だけであって、以前も同じ様な状況だったんだろ。なんか、5年前にも同じ様な事件が某高校であって、問題になったとか、って、ニュースでやてったが。
 まあ、これで安倍総理の教育改革はやりやすくなったわけだ。何時でも首に出来るわけやし。首根っこを掴んだわけやね。

 デスノートって、でも、おもしろそうやなぁ。ちゃんと借りて観よ。
 アメリカのデスノートには何という名前が書いてあるのだろうか?
 日本のデスノートには何という名前が書いてあるのだろうか?
 私のデスノートには。。。

 竹中先生からレポート面接の時に、本科の時も、別科の時も安田理深先生の『自己に背くもの』を勧められた。当然、何度か読んだけど、難しいっちゅうねん。。。

 『よゐこ』
 世間ウケする『よゐこ』。
 『よゐこ』は苦。迷い。

 「私は私である」
 でも、通名で通さなければならなかった方々が居てる。

 タイトルがあってるか不安だったので、ネットで『自己に背くもの』と検索したら、『自己に背くもの』の言葉をあるサイト(http://www.asahi-net.or.jp/~YI9H-URYU/ziko.htm)で書いて下さってた。

 『凡夫という自覚のところには起ちあがる。凡夫というところに「たとひ大千世界に満てらん火をも過ぎゆきて」ということがある。』(安田理深『自己に背くもの』より)

 凡夫。ただの人。唯の人。唯一の人。唯一の私。
 無料の人。『よゐこ』でなく生ききれる人。

 自分の本名すら名乗れない、「私はこういう者です」と、名乗れない人達も居る。
 「私はこういう者です」と。名乗りを挙げた方々が居る。

 「在日でなんで悪いんじゃ!」
 「に産まれてなんで悪いんじゃ!」
 「女でなんで悪いんじゃ!」
 「ハンセン病でなんで悪いんじゃ!」
 等々。
 それは、迷って居る、苦しんで居る人達(差別者)を救う祈りの叫び。

 「私が私でなんで悪いんじゃ!」
 だけなら、エゴに陥る。必ずエゴに陥る。

【煩悩具足のわれらは、いずれの行にても、生死をはなるることあるべからざるをあわれみたまいて、願をおこしたまう本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もっとも往生の正因なり。】(歎異抄第三章より)

 『他力をたのみたてまつる悪人』これを抑えておかないと危ない。差別されている事によって、その事を利用して逆に差別する。
 別に被差別者が『目覚めた人』であるわけがない。同じ凡夫である。
 その辺の勘違いをもてはやして来た責任もある。
 「素晴らしい」「素晴らしい」だけでは『ホメ殺し』である。エゴを増長させる。迷いを増長させる。
 そんな人間関係を私は『同朋』等と言いたくない。別に運動家違うし。
 互いに迷いを自覚して、迷いから目覚めへの道を歩んで行きたいだけやし。
 ついでに云うと、この『目覚め』自体も差別表現だし。

 デスノートに自分を差別した人の名前を書くのでなく、「私が出会わなければならない人」か。
 思いっきり机上の論理の綺麗事だが。

【「諸々の従属の中に大きな危険がある」と、この禍いを知って、修行僧は、従属することなく、執著することなく、よく気をつけて、遍歴すべきである。】(岩波 ブッダの言葉『スッタニパータ』 中村元訳 168ページより)

 『従属』とは、他の訳を読むと『依存』でもある。
 『よゐこ』は従属・依存。エゴ社会に従属・依存する。

【わたしは自己に帰依することをなしとげた】(岩波・中村元訳『ブッダ最後の旅・大パリニッバーナ経』97ページより)
【凡夫というは、無明煩悩われらがみにみちみて、欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく、ひまなくして臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと】(親鸞『一念多念文意』より)

【「凡夫」は、すなわち、われらなり。本願力を信楽するをむねとすべしとなり。】(親鸞『一念多念文意』より)

   本願力にあいぬれば
   むなしくすぐるひとぞなき
   功徳の宝海みちみちて
   煩悩の濁水へだてなし
   (親鸞)

 煩悩具足のわれら
【凡夫というは、無明煩悩われらがみにみちみて、欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく、ひまなくして臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと】(親鸞『一念多念文意』より)

【世間には種々なる苦しみがあるが、それらは生存の素因にもとづいて生起する。実に愚者は知らないで生存の素因をつくり、くり返し苦しみを受ける。それ故に、知り明らめて、苦しみの原因を観察し、再生の素因をつくるな。】((岩波 ブッダの言葉『スッタニパータ』 中村元訳 158ページより)

 「我が、我が、我が。。。」
 と、
 生死を離れる事の違い。


 しまった。。。明日法事やってんや。。。歯磨きして風呂入って早よ寝なあかんねんや。。。

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