坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

合掌

2005年12月03日 | 坊主の家計簿
 12月3日

 外食     ソバ&カキフライ     399円
 食類     ししゃも         100円
        思い入れタマゴ(10)   258円
        和風カツ(半額)      69円
 雑費     缶ココア         120円

  合計         946円
  12月累計    12854円

 毎月3日は一ヶ月で一番忙しい日。とは云え、今日は少し楽だったのだが、まあ、それでも結構忙しい日。夜のお参りもあるし。
 ので、ボー。。。と、ネット遊び。

 今日は忙しかったので、思いっきりの昼飯時(12~13時)の間にメシを喰いに行く。何時もはこの時間帯はなるだけ避ける様にしている。食堂&回転寿司は混むのだ。どうせさっさと10分ぐらいで店を出るのだが、それでも混んでる時に行くと並んだりしないといけないので余計に時間がかかってしまう。
 んが、今日はそんな事も言ってられず、コース上で寄れる安くて早い店を選ぶとこの時間帯に成ってしまった。。。

 不思議なものだ。昨日『典座教訓・赴粥飯法』を読んでいたせいだろうか?周囲の視線が気に成る。まあ、そりゃそうだ、食堂で坊主ルックがメシ喰ってたら目立つわな。。。しかも混んでるわけだし。
 肩肘付けながら「ふ~、しんどいぜ。。。」とソバをすすっていたのだが、思わず背筋を伸ばしてみる。
 まあ、これは余計だったが、合掌するのを忘れていた。っちゅうか、いつもメシ喰う時は全く無自覚なので合掌なんぞしていない。
 坊主ルックをしていると云う事は、どこからどう見ても仏教徒である。禅坊主の様な修行はしていないが、それでも仏教徒である。禅坊主の様に作法にのっとった食べ方なんぞ出来ないが、それでも仏教徒である。仏教徒が食べるものはすべて精進料理にしなければならない。それは、私が「どのように生きて行くのか?」と云う問題であるが、それは食事を頂く時にも問われる。

 食事を頂く時には合掌して
 「われ今、幸いにしてこの清き食をうく。頂きます」
 食後は
 「われ今、この清き食を終わりて心豊かにちから身に満つ。ごちそうさまでした。」
 
 だったと思うのだが、道場時代で散々躾けられた事。すっかり忘れていた。無自覚だった。
 少なくとも合掌だけはしようと思いたち、食堂で合掌して小さな声で「ごちそうさまでした」と云い、これは何時もの事だが店員さん達にもお礼を行って店を出た。

 晩飯の時にはすっかり忘れていた。。。まあ、一人暮らしで誰も見てないし。。。って、そういう問題ではないのだが。。。信仰なわけだし。。。

 
 「あなた、本当の人になってください。本当の人になってくださるならば、その新しい人になったあなたのいのちのなかで、私たちは私たちの死を無駄にしないで、私たちはそこで成仏していきます。あなたのいのちのなかで、新しく私たちは成仏していきます。だから、あなたたちは、私たちを踏みにじっている限りにおいて、あなた方は何を負担としてもらうこともいらない。そうではなくて、人になってください。真の人間になって下さい。」(廣瀬杲『罪業深重』より)

 儀式儀礼が形式だけになり権威化してしまうと意味が無くなるが、形だけでも残っている事によって問題視出来る事も確かだ。

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