坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

底下の凡愚

2006年09月18日 | 坊主の家計簿
 9月18日

 雑費   缶コーヒー        120円
 外食   餃子ラーメン焼き豚丼   619円
 食類   かき揚げタコ玉ねぎ    105円
      豪州純米ワンカップ2   200円

 合計               1044円
 9月累計            43043円

 仕事中、予測していた事だが、予測していた場所で渋滞。『日本一貧乏な渋滞』と命名。
 「お前等!そんなに吉野家の牛丼が喰いたかったわけやないやろ!!!見事にキャンペーンにのせられやがって!」と、若干激怒したのだが、まあ、3連休らしい最後の日に、「吉野家で牛丼が復活するらしいし、喰いに行くか?」で行列作って並んでみるのもエエ話かも知らんな。
 子「お父ちゃん、吉野家の牛丼ってそんなに美味しいの?」
 父「そうやで。吉野家の牛丼にな、紅ショウガをたっぷし乗せて熱々の緑茶をかけて喰ったら美味いねんで」
 と、行列しながら親子の会話もエエ話や。
 でもやな、国道の交差点前で渋滞されるとこっちは腹立つんや。しかも、吉野家、前より値段が上がってるやんけ。何でやねん。米国牛肉で、しかも吉野家みたいに大量に買い付けてる会社にとって、牛丼一人前辺り100円アップしとるのは単にこれを機会に儲けたろ、っちゅう話やないんか?あの牛丼一人前辺りに牛肉何十グラム使ってるねん。どういう原価計算しとるねん。今日一日でナンボ儲けてん?記念に手ぬぐいかなんか配ったらしいが、原価ナンボやねん。ぼろ儲けしやがって。

 そういや、昨日、晩飯作るのが面倒だったので近所の中華料理屋でチャンポン喰いながら『関西ウォーカー』を読んでたんだが、芦屋浜かどっかに『コンセプトは昔の大衆食堂』とか云うカフェが出来たらしい。
 はあ?昔の大衆食堂やと?それは『ザめしや』とか、『いも膳』とは違うのか?『いも膳』にはオッちゃんもしょっちゅう行ってるぞ。あそこのかき揚げはな、海老もようさん入ってるし、しかも130円のわりにデカイのが2個やし、激安でっせ。茶粥も美味いし、メシなんておかわり自由やねんぞ。
 しかーし!『コンセプトは昔の大衆食堂』とか云う気の狂ったカフェの値段は高い!
 しかも『隠れ家』らしい。この『隠れ家』というのは便利な言葉であって、要するに一等地でない場所に、家賃の安い、土地の安い物件に使うには最適な言葉であって、決して『辺鄙な場所』と言ってはいけないのだ。あくまでも『隠れ家』なのだ。『辺鄙な場所』とか言うと値打ちが下がるが『隠れ家』というと値打ちが上がる。一等地でなく、表通りに面して無くても『隠れ家』だからエエのだ。
 「このキチガイどもが。。。」と腑煮えくり返る私は『コンセプトは昔の大衆食堂』とか、『隠れ家』を理解しない流行遅れの人間なんだろうが、『流行中毒のキチガイ』にはなりたくないし、別にエエのだが、吉野家に行列作って並んでいる親子は許せるが、キチガイカフェに行く様なキチガイは許せん。お前等戦争始まる前から戦犯じゃ。長渕のコンサートに行くヤツ等&高遠菜穂子の講演会に行く様なヤツ等と同じく戦犯じゃ。
 同じく、例えば『元カメラマン』とかが「え~、雑誌の取材で色々な蕎麦屋を食べ歩いているうちに蕎麦の魅力に惹かれまして。。。」とかいってやな一週間のうちに4日ぐらいしか店を開けずに、しかも営業時間も短く、その分料金は高く、ざるで800円とか、しかも量は少なく、大盛り1200円で他店の一人前ぐらいの量で出しやがったりやな、『割子1200円』とかで、作務衣来て禅宗気取りの野狐禅バカが作った蕎麦とかやな、しかも『隠れ家』であってやな、そらボロ儲けでっせ。原価ナンボやねん。
 「私の蕎麦は芸術だ。」
 アホか?気が狂ってるねんやったら、黄色い救急車呼んだろか?そんなもんはやな、例えば夏の旅行で喰った橋村製麺所のうどんは芸術品やったし、花畑なんぞ『隠れ家』もエエ所であってやな。さぬきうどんを舐めとるやろ。お前等のはただ単に『芸術気取りの道楽』でしかなく、本当の芸術、っちゅうもんは生活に密着したもんじゃ。『民芸運動』をただ単に歴史的過去の遺物にしとるな。
 
 とは云え、こういう事を書きなぐりながら私も差別化をして居るわけだ。最近つくづく『私は自己肯定しか出来ない』と云う事が解って来た。差別化し、「俺はお前等と違うねんで」と、踏みにじった上での自己肯定。まあ、こうやって書いてる事自体がそうやな。
 「他人を見下す為には仏教ですら使ってしまう」
 とは、道場時代に指摘された言葉だが、ホンマにそのまんまやな。
 
 と、ここで黙ってしまう。沈黙してしまう事で自己防御→自己肯定→騒ぐ人を見下す。
 いいんじゃないだろうか?そういう在り方しか出来ないのなら、そういう在り方を指摘されたり照らし出されたりしつつ、「あ~、同じやな。。。」とか、で。

 家紋、家系。ナンセンスだ。特に仏教徒なら釈尊の弟子でしかなく、特に真宗門徒なら『釈』という『名字』、ある意味での『名字』がありながらでも、やれ大谷家だのなんじゃかんじゃ。『家』『血統』という非常に仏教徒にあるまじき事。当然差別の根源だし。

【それ、もろもろの修多羅に拠って真偽を勘決して、外教邪偽の異執を教誡せば、
『涅槃経』(如来性品)に言わく、仏に帰依せば、終にまたその余の諸天神に帰依せざれ、と。略出
『般舟三昧経』に言わく、優婆夷、この三昧を聞きて学ばんと欲わば、乃至 自ら仏に帰命し、法に帰命し、比丘僧に帰命せよ。余道に事うることを得ざれ、天を拝することを得ざれ、鬼神を祠ることを得ざれ、吉良日を視ることを得ざれ、と。】(親鸞『顕浄土方便化身土文類六(末)』より)
 
 この『得ざれ』とは「する必要がなくなった」と教えて頂いたが、

【かなしきかなやこのごろの
 和国の道俗みなともに
 仏教の威儀をもととして
 天地の鬼神を尊敬す】(親鸞)

 の『和国の道俗みなともに』の中に親鸞自身も当然含まれていると感じる。他人事で親鸞は書かないと思うし。
 そんなもんだ。そんなもんだから、彼岸を目指すのだろう。
 
 「私は差別的な人間ではありません」
 なんかより遥かに、何か差別的な事柄に縛られている方が、そういう『業』を持って居る方が、その事を機縁に出来る可能性があるのでは?と。

【罪障功徳の体となる
 こおりとみずのごとくにて
 こおりおおきにみずおおし
 さわりおおきに徳おおし】(親鸞)

 とことん見捨てない親鸞っちゅうのは、やっぱし好きやなぁ。。。すんごいなぁ。。。

 どうでもええけど凡愚、値上げしたんか。確か前に喰いに行った時は800円違うかったか?900円って、おまえ、俺が最近よく行く焼き肉屋で5人前の肉喰えるぞ。

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