坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

卒倒する(われら)

2011年08月23日 | 坊主の家計簿
 毎月の学習会での担当なので、久々のお勉強。え~。。。頭が動かん。『勉強脳』とでもいうのか?勉強する為の頭が動かん。全く動かん。
 動かんながらも、動かさないと生涯『動かんまま』かも解らんし、勉強開始。とりあえず、テキスト本から大切な部分を抜き出す。厳密には打ち込む。打ち込む作業は出来るし。また、打ち込む作業をしながら、次の展開が湧いて来る事も多いので。
 え~。。。とりあえず、縁起を『泥棒の耳四郎』でやろうかと思いついたのだが、全く上手い事いかん。直感をつなぐ回路が破綻状態である。

 土曜日は、生まれて初の法要をやる。え~。。。丸暗記文章は憶えたのだが、所作(動作)に不安があり、リハーサルを当日2回。まあ、一カ所忘れてしまった部分があるけど、『法要』としては良かったのではないかと。とはいえ、激疲れ。法話を2回するのだが、2回ともガタガタ。
 日曜日の法事は、御近所の葬儀会館で。部屋を仕切っていて、上部空間で向う側と繋がっている→声が逃げる→ヘロヘロで声が出ません。基本、私は『声自慢』であって、「坊さんの声のエエのは七難隠す」と言われているので(?)特なのだが、その声が(笑)「よっしゃ、法話で頑張ったれ!」で、長い事喋った割にはなぁ。。。

 ん?とういう事は動かないのは『勉強脳』だけではなかったか。まあ、お盆&最近一番緊張した法要も終わって、気が抜けたかな?

 毎月の学習会は、「釈尊以前から親鸞まで」という遠大なスケールの学習会である。「インドの歴史から始めまひょ」である。「インド哲学もやりまひょ」である。丁度、『校長』&『教授』が、その辺にも詳しいし、好都合。え~。。。原始仏教から抜け出れませんが(笑)
 なので、今回も縁起を法然上人の弟子の『泥棒の耳四郎』でやりたかったのもそういう理由から。あ、文章になってないな、え~。。。無理や(笑)
 あ、今に伝わる親鸞以後も含めた真宗教学が、原始仏教のDNAを引き継いでいなければおかしいし。単純に。

 『泥棒の耳四郎』は泥棒。泥棒のまま法然の弟子になって、泥棒を辞めれなかった。

 縁起=空=無我って、「えらばず、きらわず、みすてず」という生活規範になっていると思っている。なので、その辺を『泥棒の耳四郎』を使ってやりたいのだ。あ、ついでに法話ネタも一本出来るわけですし(笑)

 動かぬ脳味噌のまま、諸々調べてたら「お!」という言葉があった。

【加賀乙彦という人の書物に、あるカトリックの修道女が非常に徳を積んでみんなに優しくしたから、神様がそれをほめて御褒美を下さることになった。修道女は言った。「神様、私の心を見せて下さい」。神様は「それだけは見せられない」と言われる。修道女は「それならもう何もいりません」と言うので、神様はやむを得ず修道女にその心を見せた。ところが彼女は卒倒し気が狂ってしまった。】(細川巌『歎異抄講読』http://homepage3.nifty.com/Tannisho/10_Hakarai.htmより)

 これなのかな?ある先輩が児玉先生から「人間の心の中を見たら卒倒するぞ!」と言われた話のネタ元は。っちゅうか、唯識自体がそうか。別に珍しい話でもないか。でも、『非常に徳を積んで』という辺りがやっぱしエエ。

 さっきまで、 ETV特集『アメリカから見た福島原発事故』

 http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2011/0814.html

 を見てた。今回ぶっ壊れた原発、ゼネラル・エレクトリック社(GE)のマーク1に関わる人達の証言。そういえば、「今回の原発事故の最大責任はゼネラル・エレクトリック社だ!」という声が余り聞かれないのはなんでや?武田教授とかは言ってたかな?誰かが言ってた記憶はあって「そうなのか」と思った記憶はあるのだが、別に今後、原発を新しく作る事もなければ、「過去の事はエエから、さっさと停めろ」の私としては、別に犯人探しなんぞどうでもエエのだが、東電よりもGEの責任の方が重いのと違うか?まあ、政府の責任が一番なんだろうが。

 昨日見たNHKスペシャル『新エネルギー覇権争奪戦 ~日本企業の闘い~』

 http://www.nhk.or.jp/special/onair/110821.html

 では、同じゼネラル・エレクトリック社が再生可能エネルギー、まあ、風力だとか、太陽光でスマートグリッドを使った計画なんぞもしていた。まあ、原発だけやおまへんなぁ。。。かつ、原発アレルギーになっている日本では、無茶苦茶金がかかりそうなスマートグリッドも出来るかも知れまへんなぁ。。。でも、住める人って「金持ちだけ?」なんぞと思ってしまうのだが。
 でも、まあ、コストがかかる分だけ、これからの日本では原発より遥かに儲かる。原発以上の儲けを生み出してくれると思ってはるのであろう。

 変わらず、ツイッターで遊んでいる。なんせ、寝転びながらiPhoneで遊べるし。

 あ、先日、もの凄いクールな意見を見たぞ。ついでに紹介。

 http://twitter.com/#!/izumillion/status/104835745533005824

 これは怖いぞ。無茶苦茶クールな意見やぞ。
 ちなみに女性らしい。この事だけでも、『男は論理的』『女は感情的』というのは壊れる(笑)
 「そ、そこまでしたったら、アカン」である。ちなみに私にも案はない。まあ、「動かすな」だろう。実際に動かせないだろうし。
 だいたい、「反対!」というのは、問題点を指摘する為の行為であって、んなもんは靖国神社の分祀と同じ。教義上、出来るわけがない。また、小沢がやりそうだったらしいが、時の政権がA級戦犯を分祀したら、単なる宗教弾圧だし。出来るわけがない。『出来るわけがない事』と、『裁判にする』のは別の問題。靖国神社の問題点を示すのに必要な行為。
 「原発、反対!」というのも、「じゃあ、具体的プランは」になると話は別。それはプランを出せる人と出せない人の能力の差があって、出せなくとも「イヤ!」なら、「イヤ!」で充分。ただ、それだけでは話は進まない。なので、飯田哲也氏みたいな人が居ているのだろうが。
 あ、飯田哲也氏に、今後の電力行政や核廃棄物の事を政府が任せたら、飯田哲也氏は反原発派から総スカンを喰らったりして(笑)「政府に魂を売り渡したのか!」って(笑)現実はそんな甘い話やおまへんで(笑)
 なんせ、「友達の友達がアルカイダ」ではなく、「友達が赤い旅団かも知れない」菅直人総理でも「脱原発路線にしたい」程度でんがな。鳩山前総理なんぞ「普天間、すんまへん」で総理を辞めましたがな。

 あ、「福島の子ども達を守れ!」でも、

【加賀乙彦という人の書物に、あるカトリックの修道女が非常に徳を積んでみんなに優しくしたから、神様がそれをほめて御褒美を下さることになった。修道女は言った。「神様、私の心を見せて下さい」。神様は「それだけは見せられない」と言われる。修道女は「それならもう何もいりません」と言うので、神様はやむを得ず修道女にその心を見せた。ところが彼女は卒倒し気が狂ってしまった。】(細川巌『歎異抄講読』http://homepage3.nifty.com/Tannisho/10_Hakarai.htmより)

 と、

【我々はだんだん立派になり、よくなると思う。が、もし神様が見せて下さったら、即ち本当の正しい鏡を下さったら鏡に映るわが心は、真黒な欲と怒りと腹立ちの心である。】(上記の続き)

 なのは同じ。
 『敵』を作り出す運動論はアカン。




  明日、私が出発すると言わないでください。
  今日まだ、到着しているのだから。

  深く見てください。私は毎秒、到着している。
  そして、春の樹の蕾となる。

  羽がひよわで、新しい巣でさえずりはじめた小鳥となる。
  花のなかにいる青虫となる。
  石にひそんでいる宝石となる。

  私はまだ到着している。笑い、泣き、恐れ、望むために。
  私の心臓の鼓動は、すべての生きものの、出生と死にほかならない。

  私は川のみずもで変態する蜻蛉。
  私は春になって、蜻蛉を食べる頃にやって来る鳥。

  私は澄んだ池で幸せに泳いでいる蛙。
  そして私は、静かに近づき、その蛙を飲み込む小蛇。

  私はウガンダの子供、痩せこけて、脚が篠のように細い。
  そして、私は武器商人。ウガンダに死の武器を売っている。

  私は十二歳の少女。小舟に乗った難民。
  海賊に犯されたあと、大海に身を投げる。
  そして、私は海賊。心はまだ、見ること、愛することができない。

  私は党の中央委員。大きな権力を手にしている。
  そして、私は人民にたいして、「血の債務」を払わなければならない者。
  強制労働収容所でゆっくりと死の道を辿っている。

  私の喜びは、春のよう。暖かく、生命の歩みのすべてが、花を開かせる。
  私の苦しみは、涙の川のよう。あふれて、四海を満たす。

  すべての、ほんとうの名前で呼んでください。
  そうすれば、私の泣き叫びと笑いが、すべて、同時に開ける。
  そうすれば、私の喜びと苦しみが一体であることがわかる。

  すべての、ほんとうの名前で呼んでください。
  私が目覚め、
  心の扉、慈悲の扉が、開け放しになるために。

 (ティク・ナット・ハン『ほんとうの名前で呼んでください』 但し、中公文庫『仏の教え ビーイングピース』棚橋一晃訳より)

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