1月8日
雑費 缶ミルクティー 120円
外食 ラーメン 600円
食類 諸々 404円
合計 1124円
1月累計 44509円
テレビ見ながらようやく気づいたのだが、浅田真央ってサバンナ高橋に似てるねんな。前から「誰かに似てるなぁ。。。」って思ててんけど、まさかサバンナ高橋だったとは。
んが、浅田真央はサバンナ高橋のクローンでは無さそうだし、同じクローンから出来たわけでもなさそうだ。
そうなのだ。スポーツニュースの前にクローン牛の事をやってはったのだ。
どうでもエエねんけど、サバンナ高橋のクローンって欲しい人は居てるのかなぁ。まあ、それは「自由だ!」なんだろうが、クローンを作るのならダウンタウン松本とかのクローンになるのだろう。今日のクローン牛は、飛騨牛のルーツになった名牛(?)らしいし。
浅田真央のクローンは出来るかも知れない。なんせ世界チャンピオンである。しかし、顔が『サバンナ高橋』なのでクローン人気はイマイチかも知らん。
まあ、浅田真央がサバンナ高橋に顔が似ててもクローンを欲しがる人がいてるかも知らん。けど、村主とか、恩田とかのクローンを欲しがる人はかなり少ないと思う。安藤美姫の方がスケートも上手いし。同じクローンを作るのなら安藤美姫の方がエエやろ。
そう考えると、クローンって優生思想やなぁ。。。
『個』を無視する。
村主や、恩田は安藤美姫よりもスケートが下手だし、顔だってサバンナ高橋ではないが、やはり安藤美姫の方が人気がある。クローンを作るのなら安藤美姫だろう。
でも、んなもんはあくまでも『スケート』だったり『人気のある外見』だけの話である。
『個』は『個』であるが故に比較出来ないのだ。比較出来るのは何か世間的な尺度でしかない。『個』が『個』である以上、『個』としては決して比較出来ない存在なのだ。
今日のクローンで産まれた子牛の、クローン提供の牛は肉質が良かったらしい。飛騨牛のルーツであるらしいし。
んなもんは、人間からの視点にしか過ぎない。『人間から』というか、『商品価値』と云った方が正しいか。商品価値として優れた牛であるらしい。
『牛』は『牛』なのだ。それぞれの『牛』でしかない。肉質が良かろうが、悪かろうが、んなもん関係なく『牛』は『牛』でしかない。商品価値なんぞの価値判断は勝手に決めつけられたものでしかない。
「モオ~。いつまでこんな事してるの」
と、牛も泣いているに違いない。
夕方の御参りが終わって部屋に帰る途中、っちゅうか、うちの団地の1階に『毛布の提供をお願いします』との新しい張り紙があった。
何やら、市が路上生活者の為に集めまわっているらしい。『市』である。大阪郊外の『市』である。
集めた毛布は市から釜ヶ崎のNPOに渡されるらしい。
災害クラスやな。
派遣社員。あるいは期間工。
数年間やったけど、代わりは誰でも出来る。故に『派遣』であったり、『期間』であったりする。
多分、クローンは作られない人たち。商品価値としては低い。決して飛騨牛の元祖になった牛ではない。名牛でもなく、浅田真央でも安藤美姫でもない。
でも、人は人。それぞれの個人として浅田真央や安藤美姫と同じ『人』でしかない。
念仏者は「阿弥陀如来からの価値観以外は一切否定する」やったけな?そんな事を教わった。
天皇だろうが、仏からの視点では同じ凡夫(ただの人)にしか過ぎない。
人が牛よりも偉いという話もない。
牛は人間に『利用されるため』に存在しているわけではない。
クローン牛は、人間のエゴで作られた。エエ肉質は、高く売れるのだろう。
労働者は、偉い人たちに『利用されるため』に存在しているわけではない。
今年は丑年らしい。
牛は家畜ではない。牛は牛でしかない。
牛は牛であり、決して家畜でも、食肉でもなく、牛は牛である。
とか、云いながらも「この牛肉は。。。」なんぞと品評している私がいる。そんな私の為に、安くて美味しい『牛肉』を作ろうとされ、クローン牛が出来た。
牛は牛でしかなく、私の価値観から離れた存在として確かに存在しているにも関わらず、私は私の偏見で、私の価値観でもって牛を判断している。
当然、牛だけでなく、あらゆる人たち、あらゆる物事に対してである。
故に、クローンが出来た。
クローンは輪廻である。
迷わせているのは、私(たち)である。
同じ牛はいない。同じ『牛肉』はない。
同じ『人』もいない。
誰しもが、代わる事の出来ない生涯を生きている。
雑費 缶ミルクティー 120円
外食 ラーメン 600円
食類 諸々 404円
合計 1124円
1月累計 44509円
テレビ見ながらようやく気づいたのだが、浅田真央ってサバンナ高橋に似てるねんな。前から「誰かに似てるなぁ。。。」って思ててんけど、まさかサバンナ高橋だったとは。
んが、浅田真央はサバンナ高橋のクローンでは無さそうだし、同じクローンから出来たわけでもなさそうだ。
そうなのだ。スポーツニュースの前にクローン牛の事をやってはったのだ。
どうでもエエねんけど、サバンナ高橋のクローンって欲しい人は居てるのかなぁ。まあ、それは「自由だ!」なんだろうが、クローンを作るのならダウンタウン松本とかのクローンになるのだろう。今日のクローン牛は、飛騨牛のルーツになった名牛(?)らしいし。
浅田真央のクローンは出来るかも知れない。なんせ世界チャンピオンである。しかし、顔が『サバンナ高橋』なのでクローン人気はイマイチかも知らん。
まあ、浅田真央がサバンナ高橋に顔が似ててもクローンを欲しがる人がいてるかも知らん。けど、村主とか、恩田とかのクローンを欲しがる人はかなり少ないと思う。安藤美姫の方がスケートも上手いし。同じクローンを作るのなら安藤美姫の方がエエやろ。
そう考えると、クローンって優生思想やなぁ。。。
『個』を無視する。
村主や、恩田は安藤美姫よりもスケートが下手だし、顔だってサバンナ高橋ではないが、やはり安藤美姫の方が人気がある。クローンを作るのなら安藤美姫だろう。
でも、んなもんはあくまでも『スケート』だったり『人気のある外見』だけの話である。
『個』は『個』であるが故に比較出来ないのだ。比較出来るのは何か世間的な尺度でしかない。『個』が『個』である以上、『個』としては決して比較出来ない存在なのだ。
今日のクローンで産まれた子牛の、クローン提供の牛は肉質が良かったらしい。飛騨牛のルーツであるらしいし。
んなもんは、人間からの視点にしか過ぎない。『人間から』というか、『商品価値』と云った方が正しいか。商品価値として優れた牛であるらしい。
『牛』は『牛』なのだ。それぞれの『牛』でしかない。肉質が良かろうが、悪かろうが、んなもん関係なく『牛』は『牛』でしかない。商品価値なんぞの価値判断は勝手に決めつけられたものでしかない。
「モオ~。いつまでこんな事してるの」
と、牛も泣いているに違いない。
夕方の御参りが終わって部屋に帰る途中、っちゅうか、うちの団地の1階に『毛布の提供をお願いします』との新しい張り紙があった。
何やら、市が路上生活者の為に集めまわっているらしい。『市』である。大阪郊外の『市』である。
集めた毛布は市から釜ヶ崎のNPOに渡されるらしい。
災害クラスやな。
派遣社員。あるいは期間工。
数年間やったけど、代わりは誰でも出来る。故に『派遣』であったり、『期間』であったりする。
多分、クローンは作られない人たち。商品価値としては低い。決して飛騨牛の元祖になった牛ではない。名牛でもなく、浅田真央でも安藤美姫でもない。
でも、人は人。それぞれの個人として浅田真央や安藤美姫と同じ『人』でしかない。
念仏者は「阿弥陀如来からの価値観以外は一切否定する」やったけな?そんな事を教わった。
天皇だろうが、仏からの視点では同じ凡夫(ただの人)にしか過ぎない。
人が牛よりも偉いという話もない。
牛は人間に『利用されるため』に存在しているわけではない。
クローン牛は、人間のエゴで作られた。エエ肉質は、高く売れるのだろう。
労働者は、偉い人たちに『利用されるため』に存在しているわけではない。
今年は丑年らしい。
牛は家畜ではない。牛は牛でしかない。
牛は牛であり、決して家畜でも、食肉でもなく、牛は牛である。
とか、云いながらも「この牛肉は。。。」なんぞと品評している私がいる。そんな私の為に、安くて美味しい『牛肉』を作ろうとされ、クローン牛が出来た。
牛は牛でしかなく、私の価値観から離れた存在として確かに存在しているにも関わらず、私は私の偏見で、私の価値観でもって牛を判断している。
当然、牛だけでなく、あらゆる人たち、あらゆる物事に対してである。
故に、クローンが出来た。
クローンは輪廻である。
迷わせているのは、私(たち)である。
同じ牛はいない。同じ『牛肉』はない。
同じ『人』もいない。
誰しもが、代わる事の出来ない生涯を生きている。
あと、今日気づいてんけど、志田未来って見事なオバはん顔しとるのぉ。。。まだ15歳らしいが、立派な熟女やんけ。