4月21日
雑費 回数券 3000円
阪急往復 300円
映画 1000円
パンフレット 1470円
某バー 800円
外食 きつねうどん 280円
ラーメン 500円
食類 弁当 278円
合計 7628円
4月累計 107890円
『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』を観に行く。ちなみに上映館だった第七藝術劇場は月曜日『男性1000円』だった。行ける日は今日しかなかったのだが、ラッキーやな。
で、『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』。
新左翼運動を誰一人として
総括せぬ
不思議なる国
(坂口弘)
という短歌が映画のパンフレットに他の短歌と一緒に紹介されていた。
この言葉も強烈だった。
【『実録・連合赤軍』が描く「総括要求する側」と「総括という名で殺害・処刑される側」、僕はどちら側にもなる可能性を孕みながら学生運動圏にいたのだ。この映画が描くのは単なる時代ではない。「理想の名の下に人間は如何に誤りを犯すのか」という普遍的な問いである。】(趙博 映画パンフレット51ページより)
当然、全共闘世代よりも年下である私は、全共闘世代、『新左翼』に総括を求めたい。
当時と変わらず『正義の座』に居続けて居られる方々を多く知っているし。
その影響下にある方々も多く居る事を知っている。というか、私自身がそうであるし。故に、わざわざ映画を観に行くわけだし。
帰りに某バーに寄る。元『暴力学生(本人談)』(笑)の店。当時の空気を知っている。映画も当然観たらしい。
某バーのマスターが映画を観た後に少し変わったと思うのだが、気のせいだろうか?
気のせいではないと思う。それぐらいのインパクトがこの映画にはある。
特に、当時を体験し、実際に『暴力学生』だったが故に、この映画はかなり影響がある。
私は、かなり暴力的な人間であると思うし、かなり『正義』を振り回す。
正義は正義であり、間違って居るのは『敵』なのだ。
某バーのマスターと映画の話しから、毎度の仏教話しへ。ただ、終電の時間があったし、丁度、終電時間に他のお客さんが来たので次回に続くなのだが。
正義は握りしめた瞬間から正義からの堕落が始まる。
誰もそんな権限など持ち得ない。
先の戦争での青年将校
連合赤軍を筆頭とする暴力学生
オウム真理教の信者
歴史はそれで終わっていない。
きっと、今も常に問題視される事柄であり、かつ、明日判決される光市母子殺害事件に関しても同じ。
イジメも同じ。
ネット右翼も同じ。
生きている限り、必ず起してしまう『業』を、映画『実録連合赤軍』は描き出している。
見事なまでの人間ドラマを描き出している。
連合赤軍は決してヒーローではない。
『殺人犯』であるが、同じ人間である。
弱く、勇気のない、同じ人間である。
勇気がないから、突っ張る。
居場所を求める。
他との比較の中で、よりその共同体内での居場所を確保しようとする。
過激化する。
ファッションでも同じだろうが。
世間、共同体の意識より求められた存在になろうとする。
時代社会の中で、他との比較の中で一層、自分を輝かせようとする。
「私は私である」
という当たり前の事。
他との比較でなく、決して、その共同体内部での『よゐこ』でなくとも。
映画『実録連合赤軍』は、決して連合赤軍だけの問題ではない。
今の時代でも様々に形を変えて存在し続ける問題である。
何か一つの大義名分という『いいわけ』でもって、「私は悪くない。間違って居るのはあいつだ」と叫び続ける事を問う。
雑費 回数券 3000円
阪急往復 300円
映画 1000円
パンフレット 1470円
某バー 800円
外食 きつねうどん 280円
ラーメン 500円
食類 弁当 278円
合計 7628円
4月累計 107890円
『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』を観に行く。ちなみに上映館だった第七藝術劇場は月曜日『男性1000円』だった。行ける日は今日しかなかったのだが、ラッキーやな。
で、『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』。
新左翼運動を誰一人として
総括せぬ
不思議なる国
(坂口弘)
という短歌が映画のパンフレットに他の短歌と一緒に紹介されていた。
この言葉も強烈だった。
【『実録・連合赤軍』が描く「総括要求する側」と「総括という名で殺害・処刑される側」、僕はどちら側にもなる可能性を孕みながら学生運動圏にいたのだ。この映画が描くのは単なる時代ではない。「理想の名の下に人間は如何に誤りを犯すのか」という普遍的な問いである。】(趙博 映画パンフレット51ページより)
当然、全共闘世代よりも年下である私は、全共闘世代、『新左翼』に総括を求めたい。
当時と変わらず『正義の座』に居続けて居られる方々を多く知っているし。
その影響下にある方々も多く居る事を知っている。というか、私自身がそうであるし。故に、わざわざ映画を観に行くわけだし。
帰りに某バーに寄る。元『暴力学生(本人談)』(笑)の店。当時の空気を知っている。映画も当然観たらしい。
某バーのマスターが映画を観た後に少し変わったと思うのだが、気のせいだろうか?
気のせいではないと思う。それぐらいのインパクトがこの映画にはある。
特に、当時を体験し、実際に『暴力学生』だったが故に、この映画はかなり影響がある。
私は、かなり暴力的な人間であると思うし、かなり『正義』を振り回す。
正義は正義であり、間違って居るのは『敵』なのだ。
某バーのマスターと映画の話しから、毎度の仏教話しへ。ただ、終電の時間があったし、丁度、終電時間に他のお客さんが来たので次回に続くなのだが。
正義は握りしめた瞬間から正義からの堕落が始まる。
誰もそんな権限など持ち得ない。
先の戦争での青年将校
連合赤軍を筆頭とする暴力学生
オウム真理教の信者
歴史はそれで終わっていない。
きっと、今も常に問題視される事柄であり、かつ、明日判決される光市母子殺害事件に関しても同じ。
イジメも同じ。
ネット右翼も同じ。
生きている限り、必ず起してしまう『業』を、映画『実録連合赤軍』は描き出している。
見事なまでの人間ドラマを描き出している。
連合赤軍は決してヒーローではない。
『殺人犯』であるが、同じ人間である。
弱く、勇気のない、同じ人間である。
勇気がないから、突っ張る。
居場所を求める。
他との比較の中で、よりその共同体内での居場所を確保しようとする。
過激化する。
ファッションでも同じだろうが。
世間、共同体の意識より求められた存在になろうとする。
時代社会の中で、他との比較の中で一層、自分を輝かせようとする。
「私は私である」
という当たり前の事。
他との比較でなく、決して、その共同体内部での『よゐこ』でなくとも。
映画『実録連合赤軍』は、決して連合赤軍だけの問題ではない。
今の時代でも様々に形を変えて存在し続ける問題である。
何か一つの大義名分という『いいわけ』でもって、「私は悪くない。間違って居るのはあいつだ」と叫び続ける事を問う。
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