4月16日
雑費 缶ミルクティー 120円
歯医者 1580円
歯ブラシ5 750円
外食 回転寿司 445円
食類 発泡酒 175円
チキンカツ 100円
ちくわ 69円
ピーマン 59円
イカ 100円
合計 3398円
4月累計 47613円
昼前から凹む。気分的に滅入ってもうてやな。。。特別に何かがあったわけではなく、諸々考えてたらすっかり凹んでもうた。
そういや、朝方のお参り先のオバちゃんが『千の風になって』っちゅう歌がある事を紹介してくれた。何やら紅白歌合戦にも出たらしい。大晦日は格闘技やろ、どうでもエエけど。
っちゅう事で、さっき検索して歌詞を見て、やっぱりアニミズムは強いなぁ。。。と、人情もクソもない事を書いてしまうのだが。。。
仏教では『常なるものなどありえない』なんだろうが。
とは云え、やっぱし『常なるもの』を求めてしまうわけやし、『思い通り』に生きたいわな。
アニミズムは別にキライではない。ただ、やっぱり『神話』なんだろうし、基本はエゴ拡大やろ。
『万物に神が宿る』っちゅう事は『想像内』なんだろうし。突き放す、『想像を拒否する事』がないやろ。他者不在でっせ。
『他者』であったり、自分自身であったり、全く『思い』からかけ離れている。
よって苦しんだり凹んだりするわけや。
っちゅう事で私も凹んでるわけや。まあ、無理矢理凸にする必要もないわけやねんけどやな、凹んだ分だけ凸に成りたいのが人情でっせ。想像、エゴに振り回されてるわけやな。
っちゅう事で、様々な事実から拒否されて、今日の私は凹んでいます。
『苦』は『苦』でしかなく、その『苦(思い通りにならない)』っちゅう事を大事にせんとあきまへんし。これも縁でっせ。
しかし、凹んだついでに夕方から朝まで寝たろうと野望を抱いていたのだが、0時過ぎに眼が覚めてもうた。。。
ホンマ、思い通りになりまへんな。
雑費 缶ミルクティー 120円
歯医者 1580円
歯ブラシ5 750円
外食 回転寿司 445円
食類 発泡酒 175円
チキンカツ 100円
ちくわ 69円
ピーマン 59円
イカ 100円
合計 3398円
4月累計 47613円
昼前から凹む。気分的に滅入ってもうてやな。。。特別に何かがあったわけではなく、諸々考えてたらすっかり凹んでもうた。
そういや、朝方のお参り先のオバちゃんが『千の風になって』っちゅう歌がある事を紹介してくれた。何やら紅白歌合戦にも出たらしい。大晦日は格闘技やろ、どうでもエエけど。
っちゅう事で、さっき検索して歌詞を見て、やっぱりアニミズムは強いなぁ。。。と、人情もクソもない事を書いてしまうのだが。。。
仏教では『常なるものなどありえない』なんだろうが。
とは云え、やっぱし『常なるもの』を求めてしまうわけやし、『思い通り』に生きたいわな。
アニミズムは別にキライではない。ただ、やっぱり『神話』なんだろうし、基本はエゴ拡大やろ。
『万物に神が宿る』っちゅう事は『想像内』なんだろうし。突き放す、『想像を拒否する事』がないやろ。他者不在でっせ。
『他者』であったり、自分自身であったり、全く『思い』からかけ離れている。
よって苦しんだり凹んだりするわけや。
っちゅう事で私も凹んでるわけや。まあ、無理矢理凸にする必要もないわけやねんけどやな、凹んだ分だけ凸に成りたいのが人情でっせ。想像、エゴに振り回されてるわけやな。
っちゅう事で、様々な事実から拒否されて、今日の私は凹んでいます。
『苦』は『苦』でしかなく、その『苦(思い通りにならない)』っちゅう事を大事にせんとあきまへんし。これも縁でっせ。
しかし、凹んだついでに夕方から朝まで寝たろうと野望を抱いていたのだが、0時過ぎに眼が覚めてもうた。。。
ホンマ、思い通りになりまへんな。
私のノートには、佐竹通師がお通夜で話していたこの詩が「アメリカインディアンの詩」と紹介されていた。
高岡の友人(別院列座)もよくこの詩を紹介し、
「これは浄土真宗だ!」と言っていた気がします。
大晦日の格闘技、「男祭り」というネーミングが無くなった気がしました。その響きかなり好きだったのに。額からの血が怖くてよう見れませんが。
確かに
>朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
>夜は星になって あなたを見守る
とかは真宗的であると思いますが、でも、全体に流れる背景はアニミズムでしょう。
道教的(http://kaze.world.coocan.jp/2fuusetu.htm)なのかも解りませんが。
昨日、チラホラ『千の風 仏教』『千の風 真宗』『千の風 道教』等と検索をかましてたので、真宗僧侶の方が褒めたたえている所も見つけて読んだりもしてたのですが、いまいちピンと来ません。
当然、法話ネタとして使う事も可能でしょうが、『千の風』で浄土・穢土がハッキリするとは思えないのです。ですから、法話ネタとして話なら『浄土・穢土』を押さえて話さないと危険だと思います。
ただ、その私の問題点は大桑斉氏が
【仏教土着の視座から??大桑斉(大谷大学名誉教授)
「千の風になって」は民衆の死後世界観であり日本仏教の根底的死生観である
それを見失ったのは非神話化した近代仏教
超越的神話としての宗教性の回復を求めて葬式仏教の本来のあり方を考える】(http://www.bensey.co.jp/gyros/backnumber/bn06.htmlより)
と題した論文で簡単にブチ破られるんだろうと思いますが、「でも」ともやはり言いたい。
現場対応としては素晴らしい歌だと思いますが、決してイコール仏教、イコール真宗ではあり得ない。人情味のない話ですが。
【「涅槃界」といふは、無明のまどひをひるがへして、無上涅槃のさとりをひらくなり。】(親鸞)
やし。
「男祭り」は、会社(DSE)のトラブルで地上波中継がなくなったみたいです。但し、UFCに統合されたので、復活の可能性もあるのですが、いかんせんヒョードルがボードックに行ってしまったので魅力が半減したな。
って、すいません。観てないんでしたね(笑)
「男祭り」は、しょっぱい試合が多かった高田延彦の『男』としての願望です。
って、すいません。観てないんでしたね(笑)
「男祭り」は実は本気で気になっていたんです。
少し前まで(フェミニズムの流れで)『男』の名のりをバカにしていたから、逆にものすごく気にしていました。うちにも『男』がいるから、「ヒョードルがボードックに行ってしまった」は理解可能です。『男』の話を真面目に聞くのでミルコくらいもわかります。ありがとう。
私は
>私のお墓の前で 泣かないで下さい
>そこに私はいません 眠ってなんかいません
が、真宗的だと思いました。じゃあ全部かというとそうではなく、「墓参り」ってなぁ・・・とよく思う。
でも、前回書き忘れましたが、
「千の風―浄土真宗」というのはなんかおかしいと思っています。少なくとも法話では紹介しない。
無明のまどひ
を明らかにしらしめすのが浄土真宗で、それはとっても厳しくていっこいっこ執拗に知らしめるのだと思う。そしてそこが聞きたい所。私も人情味なし派です。(笑)
大桑斉さんの「GYROS6号」読んだの?ネットで調べたのかな。こんなふうに上手くいえないから、勉強になりました。あー、
>それを見失ったのは非神話化した近代仏教
というのは「草葉の陰で」ということなのかな!
靖国か!こうなると苦手。「幽明境(ゆうめいさかい)を異(こと)にする」とかなんのことやらわからない。ちがうかなー。
結構読み応えがあり、宗教感覚に溢れた文でした。
【だが、これまでこの世にオギャアと生まれて死ななかった人がいるだろうか。人間は必ず死ぬ。死というのは何も特別なことではないのである】(実践倫理宏正会『論風』2007年5月号P26より)
とかを主題を個人的テーマにしたかったんだろうな。とか考えます。
前も書きましたが、アニミズムは別にキライではありません。豊かな宗教感覚なのでしょうが、そういう宗教文化を土台に仏教は出来たわけですし、仏教が問題にすべき事柄は釈尊当時も今も『自己』なのでしょうし。
ですから、決してイコールではないにしろ、共通する課題は含まれていると考えます。
それはフェニミズムでもそうでしょうね。フェミニズム=仏教であり得るわけがなく、ただ、共通する課題はある。
「フェミニズムこそが仏教だ」とはおかしな話ですが、課題にはなる。
ちなみに「GYROS6号」は読んでません。そんなもんがこの世にある事自体をネット検索で初めて知りました。
『神話の復権』にしても、問題にしたい点はなんとなく解ります。
例の御遠忌テーマの総長の所信表明(http://higashihonganji.jp/event/machiuke01.html)しかり。
ただ、神話とは、その神話を共有する人達の間では真実であっても、他の人達には関係のない話ですし、かえってその『神話的表現』を捉えて「ほらみろ、釈尊は空を飛べたのだ!」みたいな危険性があります。
『近代』に対する批判は当然ですが、その反動での神話の復権こそが決して正しいわけではない。その事も批判していかないと『近代』の名の下で切り捨てた事を同じ過ちになると考えますし。
>うちにも『男』がいるから、「ヒョードルがボードックに行ってしまった」は理解可能です。
う~ん。。。かなりマニアックな書き込みだったのですが、解ってしまうとは。。。しかもミルコまで知っているとは。nikojuさんもかなりのゴング野郎ですね(笑)