坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

摂取の光明

2011年02月26日 | 坊主の家計簿
 う~ん。。。変な時間に寝てもうた。。。っちゅうか、倒れ込んでもうた。。。頑張って酒飲んで寝ないと。明日、忙しいし。

 図書館で借りて来た『やなせたかし アンパンマンの遺書』。放ったらかし状態で、今日、「あれ?返却日って何時やったっけ?」と見たら、3月1日。。。焦って読む、一気に読む。
 200頁少しなので、割とすぐに読める。やなせたかし氏の自伝みたいなもんでんな。でも、タイトルは『アンパンマンの遺書』。何やら、『カミさん』が亡くなられたらしい。タイトルは『アンパンマンの遺書』なのだが、亡くなられた『カミさん』へのラブレターみたいな本。きっと、やなせたかしさんにとって『アンパンマンの遺書』を書く事がグリーフケア(悲嘆ケア)になったのだろう。

 昨夜、友人よりメールを頂く。先日朝まで飲んでた店をやっている人で、私が朝まで飲んでグチャグチャにグチャグチャ話してた事がグリーフケアになっていたらしく、その感謝。お兄ちゃんの三七日だったらしい。「グリーフケアなんぞという言葉をどこで憶えてん!」なんぞと疑問に思ったりもするのだが、本が好きな人なので、きっと何かで読んだのかも知れない。っちゅうか、まあ、いつもグチャグチャになりつつ、グチャグチャに話させて頂いているので、むっちゃケアされているのだが。

 先日、とある所で、初めて会った先輩。何やら、その先輩の寺のホームページには、大切な人を亡くされた方々の文章が載っているらしい。まあ、「書く」という事は、誰かに話したりするのと同じく、気持ちの整理にもなる。これを金にするのならば、って、おい!(笑)でも、競争が激しい葬儀社にとって、他社との差別化のサービスになったりすると思ったりもする。っちゅうか、大阪にある某葬儀社は、遺族の為が気楽に来れてケア出来る場所なんぞも作っていたりするし。で、むっちゃエエ仕事してはるし。しかも利用料はタダ。まあ、厳密には会社組織なのでサービスの一つなのだろうけど。

 グリーフケア。え~と、一応、講座なんぞに通って勉強もしたのだけど、基本は飲み屋で学んだ。『人生における大切な事は砂場で学んだ』やったっけ?なんかそういうタイトルの本があったらしいが、私にとっては『人生における大切な事は飲み屋で学んだ』でもあったりする。
 そら、別に『坊主バー』なんぞの看板あげんでも、いわゆる『小箱』と呼ばれるバーや、多分、多くのホステス&ホストが居てる飲み屋で、

 「あら、○○さん、久しぶりじゃない。どうしてたの?」
 「いや、この間、オヤジが死んでなぁ。。。」

 から始まる会話も多いと思う。
 で、ホステス&ホストは、当然『お客様』なのだし、商売なんだから、『商売』を通じての人間関係なんだから、話を聞く。途中で泣き出す人も居てる。それが他のお客さんが居てる時もあれば、他のお客さんが居なくなってから話始める事もある。その場合場合によって違うのだが。
 私も親しい人が死んだ時に飲み屋に行って話しながら泣いたりする事もある。っちゅうか、先日朝まで飲んでた店では何度か泣いた事があったりするのだが。。。別に、飲み屋では珍しくない光景だと、個人的経験では思ったりもする。

 親しい人が死んだ時、特に自殺なんぞで死んだ場合は、笑い話にする場合も多々ある。
 「いや~、やっぱしガス吸ってラリろうと思ったんですかねぇ~」なんぞと。その他、諸々。ああいうのも飲み屋らしくて好き。心の中は泣いてるし。表現の仕方が違うだけ。

 先日、テレビを観てたら銀座のナンバーワンのホステスさんが出てた。で、人の話を聞くコツとして「タマに相手に聞き返す」というのを紹介してはった。
 テレビを観つつ「若い!」と思ったりする。んなもんは、テクニックとか、コツ、っちゅう前に、人の話を聞いてたら、聞き取れなかったりする部分や、確認したい部分が出てくるから、当然、聞き返したりもする。まあ、話をすんなり聞けてしまう場合もあるので、その場合のコツなのかも知れんが。。。だから私はナンバーワンに成れなかったのか。。。っちゅうか、ホステス違うけど。

 以前にも書いたと思うのだが、とある神主さんが、キタ新地のホステスさんに「私も巫女になりたい」と言われた時に、「何をいうてるねん。あんたらがやってる事が巫女の仕事やで」と。

 よく行くバー、っちゅうか、まあ、最近、全く新規開拓をしてなくて、昔から行っている馴染みのバーしか行かないのだが、バーでは音楽も武器だったりする。音楽療法っちゅうやつでんな。まあ、私の場合はクラシックでなく、シオンだったり、ソウルフラワーの『杓子定規』だったり、その時の気分なんだが。

 先日、熱っぽく(今日もなんだが)布団の中からiPhoneでツイッター遊びをしてた。諸々書き込みながら、っちゅうか、何を書き込んでいたのかイマイチ憶えていないのだが、「読経は音楽療法だ」みたいな事も書いた。だって、泣く人も居てるし。
 読経の内容、書いてある内容は漢文なので当然、読経しているだけでは意味は通じない。また、亡くなられた方を思い出して泣くような内容ではない。
 
 私もお経を『現代日本語で読みたい派』なんだが、なので、すべての門徒さん&新しく、また、「葬式だけやって」での出会いであっても正信偈の現代意訳の本を配ったりしている。一時期はその解説本も配ったりしていたのだが、これは経済的理由で断念。
 読経は、死を悼むものではない。悼むものではないのだが、その事が培って来た音楽療法的側面もあったりする。

 最初に感じたのは坊さん道場時代にお盆の手伝いで行った寺。お盆の忙しい時なので話しているヒマは無かったりする。なので『スーパー読経マシーン』として読経、読経のはしご。
 とある家に行ったら、中学生ぐらいの女の子が一人。スーパー読経マシーンは挨拶だけして、読経、読経。
 帰ろうとしたら、女の子は泣いてた。
 その後もそういう経験は多々。宗教音楽としての読経。まあ、声明か。

 最初に働いた寺は、いわゆる『葬式寺』。そこの住職はモンゴルのホーミーが使える。なにやら、忙しい中で舌を楽にする為に読経してたら自然に身に付いたらしい。え~。。。日本人でホーミーを使える人が何人居てるのか知らんが、『住職』と同時に『音楽家』でもあるのだろう。
 ホーミーは家畜の音楽療法としての価値もあったりする。ラクダやったかな?何かのタレント突撃ドキュメント番組でラクダか何かをホーミーで泣かせるシーンがあったし。泣く事で慰撫出来る。楽になれる。

 んな事を書いて居ると声明の恩師から怒られそうなんだが、いや、現場の叩き上げでして。。。

 今日はお通夜だった。初めて行った葬儀会館だったので、案内が来て控え室から会場へ向かうエレベーターの中で、「声、大丈夫ですやんね?」と。同時刻に上の階で通夜があったので。
 いや、最後辺りに声、やたらと張り上げますねん、私。これも声明の先生が聴いたら、「そんな事教えてません!」と怒られると思うのだが、メリハリ付けまくりでして。。。
 んが、今日は、ずっと続いている微熱で、イマイチ声が出なかったのだが。。。

 ん?何を書いてるねんや。そろそろとりあえず布団の中に入っとかな。寝れるかどうかは解らんが。

 世間的な価値を与えられる。
 例えば『グリーフケア』等という価値観が出てくれば、坊さんが普段からやっている事に光が当たったりする。「おお、なんや、俺らが普段やっとる事はグリーフケア、っちゅう意味もあってんのぉ。。。」なんぞと。
 水商売。いまだに差別する人も居てるが、最近は水商売をテーマにしたテレビドラマなんぞもあって、『キャバ嬢』になりたい娘さんたちも多いらしい。ちなみにヨーロッパのどこかに国(忘れた)ではウエイターの社会的地位が高いらしい。うん、『サービス』っちゅうのをよく解っとる。
 あ。。。
 世間的な価値観、何かしらのスポットライトを浴びて、初めて社会的な価値観が評価される。
 でも、それまでは、ごくごく当り前の事。
 家事(家庭内再生産労働)しかり。

 でも、そういうスポットライトを浴びずとも、何かの『価値』として見出される事がなくとも、んなもんは、所詮、虚仮。その時々の流行。

 癒し、癒され、世話になり、何かの役に立っている。

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