坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

恨を解いて、浄土を生きる

2010年12月28日 | 坊主の家計簿
 年末というか、あ、やっぱし年末関係あるわ「これは今年中にやっとこ」っちゅうもんもあって、バタバタと。勢いで、っちゅうか、娯楽的に学習会のブログも作ったりする。会場の寺の住職の許可も出たので、校長(?)に挨拶を書いてもらって、正式にお披露目しよ。いつになるか知らんが(笑)

 メールチェックすると、某メールマガジンで

 http://www.seiko-jiro.net/modules/newbb/viewtopic.php?topic_id=1310&forum=1
 http://www.freeml.com/kdml/4710/latest

 である。
 先にリンクを貼ると何の事か解らんやろうが、

 http://www.kama-media.org/japanese/blog/2010/12/201041.html
 文字

 という日程で、『恨を解いて、浄土を生きる』(監督:西山正啓/2010年/85分/カラー)が上映される。

 あ、個人的に忘れんようにメモ。

 12月31日(金)①11:00~『花であること』、②13:00~『恨を解いて、浄土を生きる』

 1月3日(月)①13:30~『恨を解いて、浄土を生きる』、②15:30~『熱い長い青春 ある沖縄の証言から』、③16:05~『一幕一場・沖縄人類館』

 共に『ふるさとの家』で。

 31日は夕方から用事があるから難しいかな?人類館も見たいし、3日がエエかも知れん。

 という事で、『恨を解いて、浄土を生きる』である。
 自慢ではないが、と、まあ、こういう場合に「自慢ではないが」と言ったりする時は自慢話なんだが、西山正啓にも、金城実にも、知花昌一にも直接会った事があるぞ。特に金城実にはイヤという程会った事があるぞ。なんせ20の頃に働いていた店の客やったし。知花さんは2回かな?西山正啓は上映会で「見た」(笑)あ、話も聞いたが。

 で、『恨を解いて、浄土を生きる』である。
 
 有名な話だが、金城実も知花昌一も真宗門徒になった。真宗僧侶になるかも知れん(笑)

【絶望の淵から新たな生を実現させる営みを「恨解き(ハンプル)」という。決して怨嗟や復讐するという怨の感情ではない。】(上記映画の告知よりhttp://www.freeml.com/kdml/4710/latestより)

 である。

 この年末は市川AB蔵で大盛り上がりだった。何やら昨日のMー1グランプリのテレビに映っていない前座でもRGの市川AB蔵ネタで大盛り上がりだったらしい。なんせテレビに映ってないのでよく知らんが、今田曰く。
 そのまま行くのかな?と思いきや、『こら、お前、なんでそんなに持てるねん事件』である。どうでもええけど、『大桃』って誰や?まあ、『大桃』という女優さんなんだろうが。全然知らんぞ。麻木某は知ってる。昼間のワイドショーに出てるし。で、2人の女優から貢がれる「キー!!!ねたましや。カメラのシャッターに画鋲をアロンアルファーで張付けてやる!」である。という、やっかみネタで大盛り上がりらしい。「らしい」というのは、興味がないから注意して見てないし。
 まあ、芸能ネタの大多数がそうなんだが、「どうでもエエやんけ」である。「それがどうしてん」である。で、この「どうでもええネタ」で盛り上がっている辺りが非常に年末らしく、どうでも良くて宜しい。好ましい。脳味噌を疲れさせないニュースである。ボケーっと、昼飯を喰いつつ、「この山路っていうヤツ、なんでこんなに持てるねんやろ?」なんぞとボケーっと思いつつ過ごすというのは、山路氏、大桃氏、麻木氏以外の人達には、基本、全くどうでもよく、年末の慌ただしい中で注意する事もなく、韓国と北朝鮮の情勢や、民主党の動向なんぞの生活に直接降り掛かって来る問題がクローズアップされるのでなく、全くどうでもエエ不倫騒動で盛り上がるのは、非常に宜しい。
 しかし、不幸なのは当事者達であるが、山路氏も自分所の通信社の宣伝になるだろうし、「大桃って誰や?」の私も『大桃』という名前は憶えたし、麻木氏もキャラクター通りに潔く認めた事でよって人間性&人気をアップしたやろうし。あくまでも個人的意見だが。私の中の麻木レベルはかなり上がったぞ。いや、ええ気っ風や。

 しかし、その裏で不安な気持でいっぱいな方々が居られるという実情もある。けど、そういう不安な状況にあるが故にテレビでのお笑いや、ワイドショーでの不倫騒動や、ハイパーと高飛車キャラは復縁したのか?等というどうでもエエ事が救いになることも知っている。疲れた脳味噌を休めるのに、どうでもエエ時間を過ごす事はとても大事。

 クリスマスだった。クリスマス前のラジオを聴いてたら、何やらクリスマスプレゼントを貰う子どもは9割らしい。

 http://japan.internet.com/wmnews/20071213/2.html

 残る1割は、創価学会の家庭と、真宗門徒である。。。と思うのだが、この2つを合わせると日本の家庭の1割できかないので、非常に残念な事に創価学会の家庭も、真宗門徒の家庭もクリスマスプレゼントを贈っているようである。
 あ、イスラムとか、ユダヤ教とか、その他いわゆる神道系仏教系の『新興宗教』の家庭も拒否しているかも知れん。
 が、しかし、それらを含めると割合はもっと増えるはずである。
 寺に住まわせて頂いている私の家庭にも当然サンタはやって来ない。はずである。今年はなかったし。
 
 わが家のチャンネル権は娘にある。これはきっとずっと続いたりするのかも知れん。その娘からサンタを求められたら「お前はカスか?」で済まされない事件がやって来る。ひょっとするとサンタの格好をしたピザの宅配がやって来るかも知れん。ピザ好きやし。「これくらいはエエか?」等と、妥協&堕落しまくって。

 この『妥協&堕落』が大嫌いだった。妥協&堕落する自分も許せなければ、他人も許せない。「あなたは真宗門徒として宗祖の教えに反していると思わないのか!」等と。反しているのは私もだ。

 おかしい事はおかしい。間違っている事は間違っている。でも、自分が正義の側、正しい側に立つのと、「一緒やな」とでは違ったりする。
 どこまで行っても優越感、煩悩は無くならないが故に、そういう事も優越感にしてしまっている私がいる。それが私だからだ。
 この私は様々な縁によって今の私がいるだけの話である。
 また、様々な縁によってクリスマスプレゼントを子どもに贈る真宗門徒の家庭もあるだろうし、住職一家もあるかも知れん。
 「いや~、子どもにせがまれまして」等と頭をポリポリ掻きつつ。

 「真面目な事が決してイイ事とは限らない」やったけな?24ぐらいの時に、とある坊さんに云われた。ちなみに結構派手だったが、黙って真宗聖典をずっと読んでいるような真面目な坊さんだった。

 「○○しなければならない」の『○○』に入るのは真宗門徒にとっては『念仏だけ』なんだろう。決して社会運動でも社会福祉でもない。

 自分の立場から、自分が得た縁から判断し、斬り裁く。色眼鏡でもって斬り裁く。何も切り裁いているのは熱心に声を上げている人達だけではない。
 熱心に政治活動、社会運動、社会福祉をしている人達だけではない。

 大阪に縁があった故竹中先生は『煩悩不足』という言葉をよく使われていた。「しょーむな」の駄洒落なんだが、別に駄洒落を云いたくて『煩悩不足』と言ったわけではない(はずである)。

 問題にならないだけで、問題を抱えて生きている。

 お、この言葉エエな。

 『問題にならないだけで、問題を抱えて生きている』(byエロ坊主)

 ヒャヒャヒャヒャ!真宗教団連合のカレンダーの言葉にならんかな(笑)

 と、煩悩が、欲が騒ぐ。

 
 「あんな所に寝たりして、エエ迷惑やわ」
 「デモなんかして、何か世の中が変わると思っているのかいな」

 縁である。
 声を挙げなければならない縁にある人は声を挙げる。

 縁の恨み。
 「なんで私はこういう私やねん!」

 またまた深夜である。睡眠時間が短い。ほんま「なんで私はこういう私やねん!」である。
 ありもしない『理想の私』から『現実の私』を恨み切り裁く。

【絶望の淵から新たな生を実現させる営みを「恨解き(ハンプル)」という。決して怨嗟や復讐するという怨の感情ではない。】(上記映画の告知よりhttp://www.freeml.com/kdml/4710/latestより)

 何か自分に復讐=理想の私になろうとするのではない。

 恨。

【南無阿弥陀仏をとなうるはすなわち無始よりこのかたの罪業を懺悔するになるとともうすなり。】(親鸞聖人・聖典520ページより)

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