坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

絶望から

2007年06月05日 | 坊主の家計簿
 6月5日

 雑費  防虫剤          398円
     黒酢           418円
     エスカップ12      648円
     亜鉛サプリ        380円
     歯磨き粉         398円
     夕刊フジ         120円
 娯楽  温泉           600円
     マッサージ機       200円
     焼肉ビール       2306円
 食類  発泡酒          175円
     豆腐           120円
 外食  長崎チャンポン      680円

 合計              4963円
 6月累計           13706円

 法要前なんだが、どうも気合が入らん。。。「バシッ!」としたストレートが決まらん感じである。
 っちゅうか、別に試合前のボクサーちゃうねんし、ストレートが決まらんでも、エエ、っちゅうたらエエんだが。。。
 前の彼岸法要の時はもっとヘロヘロで、御文っちゅうものをソロで読んでいたのだが、「あんたも貫禄が出て来たなぁ。」と云われたりしたから不思議なもんや。まあ、気合入れ過ぎてたしなぁ、前まではずっと。ヘロヘロで気合が無い分だけ落ち着いた感じになってたのかも解らんし。

 ♪ああいう風になっちゃいけないあんな事やってると
  将来ロクな者に ならないからって
  (アナーキー『団地のオバサン』より)

 ああ、優生思想に犯されとるのお。。。
 とは云え、娑婆で生き抜いて行く為の役割やし、仕事やし。
 よって、ホンマはどうでもエエんかも解らんが、けどやなぁ。。。
 もっとエエ暮らしもしたいし、人から褒めて貰いたいし。所詮、それが基本なんだが。。。

 『絶望』という言葉が好きだったりする。大切にしたい言葉だ。
 『絶望』って、決して諦めてなんかいない。『夢』とか『希望』とかいう言葉も『絶望』から始まる言葉だと本来思うし。
 『夢』とか『希望』に支配されるのでなく、妄想的なそれ等に誤摩化されるのでなく、『絶望』という一点から始まる事もあると感じる。
 
 『国破れて山河あり』
 『夢破れて山河あり』
 は、いきなり自然に行く。
 『夢破れてサンガあり』で人が居た。

 「バカにすんじゃないわよ!私らだってアンタ等と同じ、生きてるんだからさ」
 
 ○○らしく。
 『らしく』で排除する。

 妄念妄想は元々凡夫の自体である。排除する者である。
 自他を排除するのが凡夫である。ただの、ごく普通の、一般的な人間である。
 それが当たり前なら、問題にならん。凡夫が聖者になる。
 ある一つの価値観の上で聖者になる。排除が問題にならない。
 どんな立派な生き方をしようが、そこから排除している。
 どんな惨めな生き方をしようが、そこから排除している。
 ただ、その事が問題になるか、ならないのかだけ。問題になるのも縁だし、ならないのも縁。ならない縁なら、なる縁を作ればいい。

 【今朝、安楽は牢から御所に連行され、後鳥羽上皇の前に座らされた。安楽は臆することもなく偈文(教えの詩句)を朗唱した。それは「念仏する者に怒りを抱き、怨みをつのらせるような、真実を見ることができない者は、長く苦海に沈み救われることがない」という文。
 安楽は六条河原へ引き出され、群衆が見守る中、静かに念仏を称えて、首を斬られた。】(戸次公正『流罪800年』より)

 『首が飛ぶ念仏』が何時の間にか『首を飛ばす念仏』『人を斬り裁く念仏』になっている感じがする。



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