7月17日
食類 唐揚げ弁当 290円
ピーマン 80円
万願寺唐辛子 70円
しそ味噌 150円
雑費 ガソリン 391円
軍手 128円
タバコ 300円
外食 ラーメン 609円
合計 2018円
7月累計 66538円
夕方からの仕事がキャンセルになったので、突然ツーリング。まずは目指せ猫の駅長。
http://masatosan.blogzine.jp/cb/cat5280981/index.html
なんか、過激な動物愛護団体からテロ攻撃をうけそうな狭く暑そうな駅長室に猫が3匹。うち1匹が駅長、他の2匹は助役らしい。んが、単なる猫やんけ。って、そんな事を言ったらアカンのか。とりあえずロマンを消し去ると猫が3匹駅に居てるだけ。う~ん。。。広告屋、偉いぞ。伊勢・二見ケ浦の夫婦岩を見た時以来の衝撃であった。んが、まあ、猫は猫や。行った時は3匹とも見事に猫らしく、2匹は勝手に寝てて、1匹の助役も「なんかようか?」みたいな感じでふてぶてしく居っただけ。「兄ちゃんはわざわざ見に来たのかも知らんが、俺等には関係ないし~」っちゅう感じで、見事に猫しとった。やっぱり、猫は猫や。偉いのは広告屋やな。
で、次なる目的地はない。なんとなく高野山の麓辺りの里道、山道を夕暮れまでフラフラと。
そろそろ帰ろうと思い、進路を帰宅方面に。山が。。。山の上に怪しい雲が。。。「こりゃアカン」と進路を晴れた方面に。で、「この峠は大丈夫や」という峠を越えて帰ろうとする。原チャリを走らす。んが、「大阪側、崖崩れで通行止です」「そんなもん関係ないわい!」と進む。んが、この山道、普段のこの時間なら抜け道になっているはずの道に車がゼロ。バイクもゼロ。「危ないのか?やっぱりダメなのか?しかしなんとかなるやろ」で進め、進め。「あかんわい、ボケ!」で峠を登りきる辺りで断念。向こうから全く車が来ない。暗い山道で、全く交通量のない山道で、だんだんと怖くなって来て、「辞めじゃ辞め」なんだが、冷静に考えると「通行止」やねんから当り前、っちゅうたら当り前なんだが。。。
峠を降りていると小動物発見。「ん?イヌか?ネコか?」って思ってライトを向けるとタヌキだった。子どもタヌキが数匹、山道に居った。まあ、通行止で安心している時に原チャリとはいえ突然やって来たのだから向こうもビビっただろう。しかし私は「なんや、タヌキに化かされてたんかい」と、妙に納得して、若干ウケたのでオモロかった。ついでにミニ猪も発見。通行止の山道には普段みない動物が居ってオモロかった。
今日は、純粋娯楽。全く用事がなく、また、誰かに会うわけでもない。単に一人での娯楽。娯楽で排気ガスをバンバンと。
走る道。当然、『自然』とやらを破壊して造った道。タヌキや猪などの生活の場に、人間が「俺様の通り道だ!」と、道路を造り、その上を走る。ワケ解らんぐらいの虫が居て、きっとワケ解らんぐらいの生きもんが居てて、ワケ解らんぐらいにそれ等を殺して、あるいは生活の場を奪っている。
当然、一切の痛みも感じずに走る。走って来て、帰って来て、軽く酒を飲みつつそんな事を書いている。痛みなどあるわけがない。痛みを、哀しみを感じたのなら気が狂ってしまう程の大量の殺。
ふと、「私ってすげえなぁ。。。」と思う。何ら痛みを感じない。
毎日ワケ解らんぐらいの犠牲を出しつつ生きているにも関わらず、全く省みようとしない。あくまでも気分である。気分で省みたい気分の時は、省みるだけ。あくまでも『だけ』の話。
残酷の塊。
エゴ。思い通りであって欲しい。
山に道が出来て、道が舗装され、山にトンネルが出来る。舗装された道では雑草すら生きる事が出来ない。管理された空間。
管理された猫。
山道をヘルメット被って、原チャリで走る。エンジンを止めるとヒグラシとミンミン蝉。川の音。等などが聞こえる。
『思い』の中では聞こえない声。
あたかも牢獄を逃れるごとく
人はみな自己の前を逃れんとすれども
世に一つの大いなる奇跡あり
我は感ず 『いのちみな生きらるべし』
(リルケ)
『思いの外』に『いのちみな』。
当然、『いのちみな』の中に私がいる。私もいる。
【仏から信ぜられている-絶対に-何もかも承知の上で信ぜられている。】(曽我量深)
食類 唐揚げ弁当 290円
ピーマン 80円
万願寺唐辛子 70円
しそ味噌 150円
雑費 ガソリン 391円
軍手 128円
タバコ 300円
外食 ラーメン 609円
合計 2018円
7月累計 66538円
夕方からの仕事がキャンセルになったので、突然ツーリング。まずは目指せ猫の駅長。
http://masatosan.blogzine.jp/cb/cat5280981/index.html
なんか、過激な動物愛護団体からテロ攻撃をうけそうな狭く暑そうな駅長室に猫が3匹。うち1匹が駅長、他の2匹は助役らしい。んが、単なる猫やんけ。って、そんな事を言ったらアカンのか。とりあえずロマンを消し去ると猫が3匹駅に居てるだけ。う~ん。。。広告屋、偉いぞ。伊勢・二見ケ浦の夫婦岩を見た時以来の衝撃であった。んが、まあ、猫は猫や。行った時は3匹とも見事に猫らしく、2匹は勝手に寝てて、1匹の助役も「なんかようか?」みたいな感じでふてぶてしく居っただけ。「兄ちゃんはわざわざ見に来たのかも知らんが、俺等には関係ないし~」っちゅう感じで、見事に猫しとった。やっぱり、猫は猫や。偉いのは広告屋やな。
で、次なる目的地はない。なんとなく高野山の麓辺りの里道、山道を夕暮れまでフラフラと。
そろそろ帰ろうと思い、進路を帰宅方面に。山が。。。山の上に怪しい雲が。。。「こりゃアカン」と進路を晴れた方面に。で、「この峠は大丈夫や」という峠を越えて帰ろうとする。原チャリを走らす。んが、「大阪側、崖崩れで通行止です」「そんなもん関係ないわい!」と進む。んが、この山道、普段のこの時間なら抜け道になっているはずの道に車がゼロ。バイクもゼロ。「危ないのか?やっぱりダメなのか?しかしなんとかなるやろ」で進め、進め。「あかんわい、ボケ!」で峠を登りきる辺りで断念。向こうから全く車が来ない。暗い山道で、全く交通量のない山道で、だんだんと怖くなって来て、「辞めじゃ辞め」なんだが、冷静に考えると「通行止」やねんから当り前、っちゅうたら当り前なんだが。。。
峠を降りていると小動物発見。「ん?イヌか?ネコか?」って思ってライトを向けるとタヌキだった。子どもタヌキが数匹、山道に居った。まあ、通行止で安心している時に原チャリとはいえ突然やって来たのだから向こうもビビっただろう。しかし私は「なんや、タヌキに化かされてたんかい」と、妙に納得して、若干ウケたのでオモロかった。ついでにミニ猪も発見。通行止の山道には普段みない動物が居ってオモロかった。
今日は、純粋娯楽。全く用事がなく、また、誰かに会うわけでもない。単に一人での娯楽。娯楽で排気ガスをバンバンと。
走る道。当然、『自然』とやらを破壊して造った道。タヌキや猪などの生活の場に、人間が「俺様の通り道だ!」と、道路を造り、その上を走る。ワケ解らんぐらいの虫が居て、きっとワケ解らんぐらいの生きもんが居てて、ワケ解らんぐらいにそれ等を殺して、あるいは生活の場を奪っている。
当然、一切の痛みも感じずに走る。走って来て、帰って来て、軽く酒を飲みつつそんな事を書いている。痛みなどあるわけがない。痛みを、哀しみを感じたのなら気が狂ってしまう程の大量の殺。
ふと、「私ってすげえなぁ。。。」と思う。何ら痛みを感じない。
毎日ワケ解らんぐらいの犠牲を出しつつ生きているにも関わらず、全く省みようとしない。あくまでも気分である。気分で省みたい気分の時は、省みるだけ。あくまでも『だけ』の話。
残酷の塊。
エゴ。思い通りであって欲しい。
山に道が出来て、道が舗装され、山にトンネルが出来る。舗装された道では雑草すら生きる事が出来ない。管理された空間。
管理された猫。
山道をヘルメット被って、原チャリで走る。エンジンを止めるとヒグラシとミンミン蝉。川の音。等などが聞こえる。
『思い』の中では聞こえない声。
あたかも牢獄を逃れるごとく
人はみな自己の前を逃れんとすれども
世に一つの大いなる奇跡あり
我は感ず 『いのちみな生きらるべし』
(リルケ)
『思いの外』に『いのちみな』。
当然、『いのちみな』の中に私がいる。私もいる。
【仏から信ぜられている-絶対に-何もかも承知の上で信ぜられている。】(曽我量深)
そっちから高野山の麓を通って大阪向いて帰ったとなると私の実家の近辺を通って帰った可能性が非常に高いですね~。和歌山から山を越えて大阪に出る場合、大きな国道ルートが3つほどありますが、狭いルートもいくつかあります。わたしも実家にいるときは何度か通りましたが、昼でも鬱蒼と生い茂った樹木、光もあまり差し込まず薄暗いところで絶対に夜は通ったことはありません(だってめっちゃこわいんですもん)。
そこを通るとたぬきやイタチに必ず会います。轢かれていることもしばしば。
今回は和歌山ラーメンはくってこなかったのですか?
高野山のごま豆腐思い出してしまいました。食いたいなぁ~。
最近、呑み屋で見かけると必ず頼みます。
青唐の醤油漬にしたやつもGOOD!です。
で、桃の里。エエ所でんな。桃、桃、桃の食べ放題状態ですやん。あの辺り。今回は寄らなかったのですが、少し傷がいって、商品として出荷出来ないB級品とかを安く売ってますし、桃の里でんな。
ちなみに『大阪側崖崩れ』は堺かつらぎ線です。生まれて初めて野生のタヌキを見ました。
でも、あれでパスタを作ってもナカナカですよ。焼そばとかも。なんか、酒のアテでなく、晩御飯として今日も頂きました。