坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

サシで勝負せんかい!

2007年09月27日 | 坊主の家計簿
 9月27日

 食類  チキン南蛮弁当      320円
     豚肉           174円
     カットパイン       100円
     しょうが         128円
     カップうどん2      138円
     発泡酒          175円
     にんにく          65円

 合計              1100円
 9月累計           79859円

 満月って今日やってんなぁ。。。昨日、ちゃんと月齢をネットで調べたんだが、さすがにとろけとるのぉ。。。

 明日はお休み。なんだが、明日は京都に法衣を取りに行かんとあかんので今日はおとなしくボケーっと、とろけながら『単騎、千里を走る。』を、酒飲みながら観てた。

 この映画は、恩師が勧めてくれた映画。っちゅうか、恩師の寺で上映会をやってたんだが、諸々の都合で行けなかった。ので、気になってたしレンタルして観た。
 やっぱりエエ映画だった。泣けるし、考えさせられる。ただ『考え』はとろけてるので弱いが。。。
 高倉健が獄中に居てる中国人の『生まれてから一度も会った事のない子ども』の写真を獄中で見せるシーンがあるのだが、そこで同じ獄中仲間も泣いてた。それが一番気になった。
 『人の力』も考えさせられる。
 中国の山奥の村まで携帯電話が通じる事も考えさせられる。

 けど、映画の話ではなく、今一番考えさせられる事はミャンマーの事なのでそれを少し。

 ミャンマーは仏教国らしい。で、国民の多くは僧侶を尊敬しているらしい。
 私は僧侶になる前も、僧侶になってからもデモに参加している。
 僧侶になってからのデモは、今度、大阪で計画中なんだが、それまでは京都で。
 京都の街をデモして歩く。まあ、『非戦デモ』でんな。私は私服だが、僧侶の格好をした人も居る。当然、東西本願寺の僧侶達である事はアピールしている。
 ミャンマーと全然違いまんな(笑)僧侶は尊敬されてもいないし、大きな影響力もない。西本願寺が公認(?)した参院選挙の実態をこの前に少し聞いたのだが、まあ、ギリギリセーフだったらしい。大谷派よりも遥かにしっかりとした組織(色んな意味で)である本願寺派がそうなんだから、大谷派が与える社会的影響力なんぞ、ほぼないだろう。

 エエ感じや。他の、つまり真宗系教団ならともかく、真宗教団としてはエエ感じや。標準語かどうか知らんが「サシで勝負せんかい」っちゅう事やな。
 つまり『僧侶』という特権意識を使うのでなく、あくまでも「云いたい事があるねんやったら私を説得せんかい」っちゅうかんじやろ。つまり、『僧侶』としての立場、『お偉い人』の立場なんぞ、全くない。いかにも真宗らしくてエエ感じや。
 「あんな、あんたが僧侶だろうが、教団が何を云おうが、私には関係ない。あんたに従う義務なんぞ全くない。文句あるねんやったら、伝えたい事があるねんやったらサシで勝負せんかい。かかってこんかい」みたいな感じで、非常にエエ感じや。全く影響力のない『僧侶』っしゅう意識を持った『門徒』が居てる、っちゅう事は非常に素晴らしい。
 『僧侶』に権力も権威もなく、ただ、『門徒』と同じ立場でしかなく、『僧侶』が声をあげた事、デモ行進した事なんぞを知ってても、決してそれに揺れ動かされる事がない、っちゅうのは素晴らしい。
 「僧侶が云ってる事だから間違いない」
 の方が、他宗はいざ知らず、真宗では怖いな。

 『単騎、千里を走る。』を紹介してくれた先輩にも結構噛み付いた。その前に音楽の趣味とか、映画の趣味とかで色々と話が合う事が多かったので、先にその人を好きになってしまった弱さがあるが、でも、噛み付いた事もある。それが礼儀やし。
 所属寺の住職も直接「死んだら褒めたる」と云うくらいに噛み付いているし(笑)

 とは云え、直接生活を共にした恩師は二人だけである。
 つまり専修学院時代の本科の恩師。別科の恩師。
 別科時代の恩師は、本科時代から好きだったし、別科に行って生活を共に出来た事が、その前から嬉しかった。いまだに、本科入学してすぐに『先生達の自己紹介』でもって
 「私が好きなのはものを拾う事です。私がキライな事はものを捨てる事です。だから私の部屋はゴミで一杯です」
 っちゅう言葉も憶えているくらいに。
 
 本科時代の恩師とはそりが合わず、卒業間近かまで噛み付いてた。少し諸々トラブルがあって、恩師を卒業間近に謝罪させた事があった。
 だから、卒業してからもキライだった。
 でも、謝ってくれたんだよね。あの先生は。ちゃんと、自分のミスを認めて、殆ど土下座に近い形で謝ってくれたんだよね。
 その事に『光』を観なかっただけの話。ただ単に、「ざまあみろ」とサド的に喜んでただけ。
 今になってみたら専修学院のブラザーシステム、つまり「教師が生徒を教える立場になってはならない。それは仏の教育的生命を殺してしまう事だ」みたいな事を、思いっきり表現してくれてたのに。
 今ならきっと「ありがとうございました」と云えるだろう。「あの時はすいませんでした」と謝る事が出来るだろう。

 『単騎、千里を走る。』を観ながら一番考えて居たのは親父の事。
 実家から出て行った、親父の事。
 別に問題はない。単に夫婦間の問題で熟年離婚をしただけだし。
 でも、実家のオカンにも滅多に連絡をしない私が、男親に連絡をするわけがない。
 けど、本を読む事は、爺ちゃん→親父から影響を受けたし、それ以上に、やりたい事を諦めて私を育てて呉れたわけやし、当然感謝しているのだが、別にそれを改めて会いに行って、例えばホームドラマでありそうな
 「親父、一緒に酒でも飲もうぜ」っちゅうのはあり得ないな。うちの親父は酒弱いし(笑)
 次に会うのは葬儀かも知らん。
 その前に何か連絡があれば、「親父の近所に坊さん付きのマンションがありまっせ」ぐらいは紹介するのだが、まあ、どっちでもエエ話や。

 親父はとにかく読書家だったので、特に微妙にグレ始めた私にはジョルジュ・バタイユの本が揃ってたのが有り難かった。コリン・ウイルソンも揃ってたし、17で実家を『家出』っちゅう形で出て、その後諸々の事情で戻っても、すぐに自分で部屋を借りて出て行って、でも、親父に「この本貸してな」ぐらいの会話しか無かったけど、でも、親父やな。だって、親父やし。

 そんな親子関係もあってエエと思う。向こうはどう考えてるのか知らんが。別に確かめようとも思わない。
 親父やし。それは紛れもない。

 『単騎、千里を走る。』
 生まれてからこのかた、両親、爺ちゃん婆ちゃん、兄貴や、親戚の人達。近所の人達等々。
 幼馴染み、学校で一緒やったヤツ等々。
 そこを出てからも、いっぱい、いっぱいの人達の世話になった。
 今でも、いっぱい、いっぱい世話になってる。

 今日は、葬儀。その後の還骨・初七日もやらせて貰った。
 毎月行ってる家やけど、会った事のないお婆ちゃん。遺影で素敵な笑顔のお婆ちゃん。
 少し、大きな葬儀だった。参列者も多かった。

 でも、参列者の少ない葬儀もある。

 でも、その人に関わった人達は多く居る。

 私と同じく、様々な感情を持ち、様々な事を考え、ずっと生きてこられた方(々)。

 誰が偉いわけでもない、誰が尊いわけでもない、誰にも変える事の出来ない、たった一人の尊い人生。
 そんな、人生の一端に関わらせて頂いた。
 その人直接ではないけど、「お婆ちゃんの葬儀に出てくれた兄ちゃんやろ」として関わらせて頂いた。
 関わる事が出来た。
 「あなたの葬儀に関わらせて頂きました」
 として、直接会った事のない人の人生に関わる事が出来た。

 誰が偉いわけでもない。誰が尊いわけでもない。
 ただ、一人の人生。
 ありがとう。

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