坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

『脱』

2011年08月18日 | 坊主の家計簿
 お盆も終わって夏休み♪けど、今日は法事!パパは働く。パパだって、いつもゴロゴロしているわけではないのだ。働く時は働いて居るのだ!

 あ、え~。。。
 15日にお盆の最終お参りが終わる。帰宅して速攻で「パパは遊んで来る!」宣言をして外出。
 とりあえず8月15日なので釜ヶ崎へ。夏祭り。ヘンリー松山ライヴもとっくに終わっていたのだが、慰霊祭がある。

 釜ヶ崎夏祭りの慰霊祭は『儀式』として面白い。あ、『面白い』と言ったら失礼かな?
 日本有数の聖書学者が司会。司会の本田神父が『祈りの言葉』を読む。え~。。。聖書のどこの部分なんだろうか?きっと本田神父が訳した聖書の一節を本田神父が読み、確かトゥーヌマーヌ楽団のボーカルの人がギターで弾き語り、真宗と浄土宗の坊さんの読経。最後に「みんなで歌いましょう」と、歌。ヘロヘロの私は酒を大量注入しつつ見てただけなんだが。釜ヶ崎に関係している人達の手作りの『慰霊祭』。その中にたまたま日本有数の聖書学者と、坊主もいただけの話。

 当然、っちゅうたら当然なんだろうけど、私が以前に働いて居た共同作業所のパン屋のチーフの写真もあった。一気に飲んだ酒に酔いつつ、遺影を眺める。

 公園は暑いのでとっとと退散して、近所の立ち飲み屋へ。その店の麻婆豆腐が食べたくて仕方がなかったので。麻婆豆腐を食べて2杯だけ飲んで「ミナミ、ミナミ」と、深夜まで泥酔。もう、最後、ワケ解らん状態やったな。まあ、いつもの事か(笑)

 昨日は無事に二日酔いで一日が終わり、今日の法事が終わって真っ昼間のクソ暑い中をパソコンに向かって軽い事務仕事だの、雑用をしていたのだが、「やってられるか!」と。まあ、やるのだが。
 娘が果物が入っていた手提げの箱を渡したら、気に入ったのか一日中持ち歩いていた。ママのリックも気に入ったのか、ママ・リックも一日中背負いなから。あ、「引きづりながら」と言った方が正しいのかも知れん。

 
【山本太郎「子どもたちの未来を守って」 "声を政府に届ける"集会に出席】 
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/ncn-20110817-nw101477/1.htm

 子どもが出来る前から『親』になってもなんだが、どうも子どもの使うヤツは信用ならん。だいたい、怪しい所程、広告なんぞの写真に子どもを使っていないか?特に宗教系なんぞ。
 そうか、うちのfacebookページも子どもの写真をバンバン使えばエエのか。っちゅうか、facebookのプロフィール写真は『娘を抱っこした私の写真』なんだが、あれは純粋に「俺の顔入り写真がない。。。」っちゅうやつであってでんな。他意はない。決して「ほら、私は娘を抱っこしている写真を使う様な親バカなんですよ!」というワケでもない。深夜&朝帰りだって平気でするし。頻繁に出来ないのは金銭的問題だ。

 あ、まあエエ。

 子どもの意見というのは潰し難い。それは「子どもが正直」だからではない。
 つーか、「子どもは正直」というが、厳密にはアホなだけなのだ。だって、明らかに情報量が少ない。『情報量』というとややこしいが、知っている事が少ない。同じ『子ども』だって、一年経てば知っている事も増える。正直というのは年齢とは無関係だと思うが。まあ、何才ぐらいから「嘘をつく」という高等テクニックを憶えるのかは知らないが、まあ、比較的早くからではないのか?
 また、「子どもは純粋だ!」というが、確かに人間存在そのもののエゴ丸出し状態ではあるが、そういう意味での『純粋』でなくとも、同じ人間であっても子どもの時の方が知っている事が少なく、かつ、頭が柔らかいので吸収が早い。要するに「子どもは洗脳し易い」と言い換えた方がエエかも知れん。私だって、ガキの頃に『大人』と議論している時に、相手が喋っている間に、喋っている内容の事を吸収して、相手の論理で相手を論破しようとしていたのだし(笑)まあ、吸収は早い。が、知っている事は少ない。

 例えば、今回の原発事故で原発の危険性について「始めて知った」というガキも多いだろう。当然、吸収は早い。要するに脱原発論者の意見をどんどんと吸収していく。しかしながら、ガキだって人間なので、感情があり、判断力もある。故に、ガキなりに頑なである。んなもんは大人と一切変わらん。人間なんだし。

 だいたい、少年兵が怖いのは、何もポルポトだけの話ではないと思うのだが。『純粋』な分だけ洗脳されやすい。また、血が熱い分だけ熱中しやすい。
 自我が弱い分だけ、自分が壊れる事も怖れる。まあ、これは大人も同じか。

 なので、まあ、子どもを潰すのは簡単なんだが、やはり『親』として気が引ける部分もある。あ、『大人』として、か。
 私は比較的『冷血人間』なので、その辺は妥協したくないのだが、まあ、『子ども』の頃にそれがイヤだった事もあってなんだが。「かかって来んかい!」は、子どもの頃から変わってません(笑)
 でも、まあ、『政府側の人間』としては困るだろう。言い返したりすると「子ども相手に」になるのだし。一番やり難い相手だな、だから卑怯。

 ちなみに私は今回の原発事故で原発に関する今まで知らなかった事を多く知った。それは原発の危険性や、原発ジプシーの問題や、チェルノブイリの問題ではなく、脱原発の危険性。え~。。。今まで知らなかったし。まあ、脱原発の意見は変わらないが。なんせ『頭の固い中年』ですから(笑)

 脱原発も多くの人を殺す。単なる『人命』という部分では脱原発よりも少ないかも知れない。

 ついでだが、何やら関西電力の火力発電所の故障で、関西電力の電力が危ないらしい。前からの話なんだが、「電力危機は原発推進キャンペーンだ!」って、お前等、大人の怖さを知らんのか?金の為に人を殺すのが大人やぞ。まあ、ガキでも殺しよるが。仕事の冷酷さを知らんのか?金儲けの為に人をも殺す(原発ジプシーでも、使い捨ての労働者でも)大人が、節電の損失を「原発推進キャンペーン」というだけで引き受けると思っているのか?
 「原発のコストは高い」って、過去の計算も含めればの話なのかも知れんが、現状からではどうなのだ?また、何故にそんな高いコストの電力を使う損失の被害を受けなければならないのだ?
 まあ、全て、陰謀論で片付けとけ(笑)

 脱原発も人を殺す。と、臓器移植に反対の仏教徒の私は思う。

 だいたい『人間』という尺度を離れると、生き物を殺してでしか生きれないのが人間である。
 『地球に優しい』なんぞという言葉があるが、『地球に優しい』のならば、人類は消え去るべきなのだ。大量殺戮しまくっているではないか。原発も危険だが、バルサンでどれだけ殺しとるねん。除菌スプレーってなんやねん。何を寝言ヌカしとるねん。何を平和ボケをヌカしとるねん。「人類だけが平和であったら良いの」「害虫は殺して良いの」って、何事やねん。

 あ、脱原発も人を殺す。決して脱原発がユートピアではない。何やらそういう『ユートピア幻想』の脱原発の人達も居ているらしいが、「脱原発も人を殺す」という覚悟がないと、集団ヒステリー状態が終わったら脱原発をとっとと辞めるやろ。「騙されていた!」って、また言うのやろ。

 臓器移植は「助かる人命を見捨てる」。当然、エスカレートして貧しい国から臓器を買い占める問題性もあるのだろうが、それ以前に人生観(宗教)の問題ではないのか?「脳死は人の死かどうか」という。
 けど、私だって、まあ、間違いなくうちの娘が「臓器移植すれば助かる」の状態になったのならば、臓器移植をしたくなるだろう。駅前で募金を集めたりしたくなるだろう。誰かの臓器を欲しくなるだろう。そういう意味合いでは、臓器移植に反対なのは「うちの娘を殺す気か!」になるだろう。

 脱原発はイコール『増火力』である。現状では。
 私は『公害』に弱い。喉も弱いし、肺も弱い。タバコを吸っているのは中毒だからであり、ストレスの問題からである。基本は弱い。
 なので、放射能汚染以外の公害で死んで行く、脱原発によって死んで行く人達の存在も無視出来ない。

 子どもは当然ながら、同じ人間として比較するならば、年齢を重ねる事によって、様々な情報を得る事が出来るのならば、様々な視点からの判断が出来る様になる。まあ、それを『大人』と呼ぶのだろうが。
 なので、反原発カルトにハマって『御用学者』とレッテルを貼り、『敵』の意見を聞かなくなるのでなく、様々な意見に耳を傾けるべきだ。
 様々な固定概念からの『脱』を目指すべきだ。
 同時に『殺す』行為をしている自分自身の生活にも目を向けるべきだ。その上で、『思想』として、あるいは『宗教』としての脱原発。
 人間の知恵には限界がある事を知らしめたのが原発事故ではなかったのか?
 知恵急ぎで、どれだけ多くの人にストレスを与え、直接的には自殺、あるいはストレスから来る健康被害(酒、タバコ、生活習慣病も含む)で死んで行っているのか?
 ただ、死ぬのはいつも独り。放射能被曝だろうが、脱原発公害だろうが、知恵急ぎのストレスだろうが、臓器移植出来なくて死んで行く人だろうが。

 あ、明日、朝早いねんやった。

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