1月28日
雑費 缶ミルクティー 120円
エスカップ12 580円
外食 ラーメン 690円
合計 1390円
1月累計 112769円
昨日遊び過ぎたので、今日はスペシャルお疲れモード。
仕事して、帰宅して、御近所ラーメン屋でニンニクをアホ程突っ込んだラーメンを食べて寝る。
しゃて、何やら『まことちゃんハウス』っちゅうのが揉めてたらしい。
http://www.asahi.com/national/update/0128/TKY200901280210.html
楳図かずおはどちらかというとキライな漫画家に入るのだが、このニュースはなんかなぁ。。。
『景観を破壊する』とかいうらしいが、あの程度の景観破壊なんぞは別にエエのんとちゃうん?
多分、あの住宅地では『まことちゃんハウス』は『異物』なんだと思う。異物だから排除したくなる気持ちは解るが、どんなもんやねんやろ。
自分(たち)が認める事だけを受け入れ、異物は排除する。別に何ら珍しくない、ごく日常の事。部屋にゴキブリが出て来たら大騒ぎするし。ペリーがやって来ても大騒ぎする。鼻を垂らした汚らしいガキが『グワシ!』とやったりしたもんなら大騒ぎ所の話じゃないし。
っちゅう事でもって排除する。
まあ、んなもんなんだろうけど、んなもんやから問題なのだ。
なんだが、楳図かずおは最後にマスコミに『グワシ』のギャグをやったらしい。え~。。。これって、敗訴した人たちの気持ちを逆撫ですると思う。楳図かずおも又、『自分さえよければイイ』でしかない。これも良くないと思う。
街だったり、村だったり、何かの共同体で生活する。当然、『新入り』が古くから居てる人たちに合わせる必要は一切ない。あくまでも対等である。それが基本である。『郷に入れば郷に従え』が基本ではない。それが基本の社会はファシズムだ。人権が対等に与えられている以上は、『新入り』だろうがなんだろうが、あくまでも対等でしかない。
その『新入り』が『自分の気に入る新入り』なら向い入れ、『自分が気に入らない新入り』なら排除する。
単に自分を守りたいだけ。保守の典型。
『対等』とは、自分だけが特別ではないと云う事。共に特別。故に『個の尊重』が必要なんだろう。
保守思想の人も特別な存在なのだ。全く対等なのだ。保守思想の人の『個の尊重』を排除するのならば、それは異物を排除する保守の典型である。それも保守なのだ。
大昔に書かれた壁の落書きに『最近の若いヤツ等は』等と書かれていたらしい。当然、今も何ら変わって居ない。
異物を認められない、自分の都合に合わせたものだけを受け入れ、異物を排除する。
単なる自我の拡大である。自分の世界の拡大にしか過ぎない。現実の話だが、それも仮想現実である。
そういう歴史である。そういう歴史がずっと続いて来ている。
「私だって我慢したのだから、お前も我慢しなさい」
である。
自分がイヤな事だったら、他人に押し付けなくてイイと思う。
『郷に入れば郷に従え』を島国根性と云う。
在日コリアンに『通名』を名乗らせたりする。
郷に入れば郷も変わる。
新入りやら他所者やらを対等にみるのならば、その『郷』も新しく変わらざるえない。
常なるものはないのだ。
雑費 缶ミルクティー 120円
エスカップ12 580円
外食 ラーメン 690円
合計 1390円
1月累計 112769円
昨日遊び過ぎたので、今日はスペシャルお疲れモード。
仕事して、帰宅して、御近所ラーメン屋でニンニクをアホ程突っ込んだラーメンを食べて寝る。
しゃて、何やら『まことちゃんハウス』っちゅうのが揉めてたらしい。
http://www.asahi.com/national/update/0128/TKY200901280210.html
楳図かずおはどちらかというとキライな漫画家に入るのだが、このニュースはなんかなぁ。。。
『景観を破壊する』とかいうらしいが、あの程度の景観破壊なんぞは別にエエのんとちゃうん?
多分、あの住宅地では『まことちゃんハウス』は『異物』なんだと思う。異物だから排除したくなる気持ちは解るが、どんなもんやねんやろ。
自分(たち)が認める事だけを受け入れ、異物は排除する。別に何ら珍しくない、ごく日常の事。部屋にゴキブリが出て来たら大騒ぎするし。ペリーがやって来ても大騒ぎする。鼻を垂らした汚らしいガキが『グワシ!』とやったりしたもんなら大騒ぎ所の話じゃないし。
っちゅう事でもって排除する。
まあ、んなもんなんだろうけど、んなもんやから問題なのだ。
なんだが、楳図かずおは最後にマスコミに『グワシ』のギャグをやったらしい。え~。。。これって、敗訴した人たちの気持ちを逆撫ですると思う。楳図かずおも又、『自分さえよければイイ』でしかない。これも良くないと思う。
街だったり、村だったり、何かの共同体で生活する。当然、『新入り』が古くから居てる人たちに合わせる必要は一切ない。あくまでも対等である。それが基本である。『郷に入れば郷に従え』が基本ではない。それが基本の社会はファシズムだ。人権が対等に与えられている以上は、『新入り』だろうがなんだろうが、あくまでも対等でしかない。
その『新入り』が『自分の気に入る新入り』なら向い入れ、『自分が気に入らない新入り』なら排除する。
単に自分を守りたいだけ。保守の典型。
『対等』とは、自分だけが特別ではないと云う事。共に特別。故に『個の尊重』が必要なんだろう。
保守思想の人も特別な存在なのだ。全く対等なのだ。保守思想の人の『個の尊重』を排除するのならば、それは異物を排除する保守の典型である。それも保守なのだ。
大昔に書かれた壁の落書きに『最近の若いヤツ等は』等と書かれていたらしい。当然、今も何ら変わって居ない。
異物を認められない、自分の都合に合わせたものだけを受け入れ、異物を排除する。
単なる自我の拡大である。自分の世界の拡大にしか過ぎない。現実の話だが、それも仮想現実である。
そういう歴史である。そういう歴史がずっと続いて来ている。
「私だって我慢したのだから、お前も我慢しなさい」
である。
自分がイヤな事だったら、他人に押し付けなくてイイと思う。
『郷に入れば郷に従え』を島国根性と云う。
在日コリアンに『通名』を名乗らせたりする。
郷に入れば郷も変わる。
新入りやら他所者やらを対等にみるのならば、その『郷』も新しく変わらざるえない。
常なるものはないのだ。
そのためには必要なことがあると思うのです、 それは、好ましくないことが少ないことと、物も見方の範囲が広い見方が出来ること、そして相手の好ましい視点で語ることです。たとえば、多くの知識があって説明できるときでも、相手の気配にビビってしまうあるいは脅されるから嫌という意識を持っていたとしたら、相手の意見を飲む羽目になる。そして、自分が正しいと思っていても、知識が不足すると相手に矛盾点を指摘されて相手の意見を飲んでしまう。相手の思っていることが分かったらとりあえずは承知をして相手の思っている視点にしたがってこちらの思うことを呈示することが必要になるのです。知識が不足したり、嫌なものが多かったりするとなかなかこれが出来ないものです。
郷に入れば郷に従えというのは日本人の深層心理にあることなので、なかなか難しいことなのですが、知識を増やすことと、嫌なことを減らすことを可能な限りやらないと郷に入れば郷は変わるということの実現は目指せません。私も、できるだけそうしたいものです。
ひょっとしたら釈迦に説法になってしまっているかもしれません。