坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

鎮護国家

2006年12月15日 | 坊主の家計簿
 12月15日

 雑費   缶ココア           120円
      コピー            540円
 昼飯   茶粥きんぴらかき揚げオデン  453円
 飲み代  ドグラ・マグラ       1500円

 合計                 2613円
 12月累計             54905円

 ど!眠い。。。

 ものげーっつー当たり前な話なんだが、確か、『民主主義』とやらは、全体主義に反する言葉ではなかったのか?
 つまり『国家』等の概念よりも先に『個人』を尊重する概念から発する事ではなかったのか?
 それが何時の間にか『平和ボケ』、いや『民主主義ボケ』して、『全体主義を肯定する為の民主主義』に堕落した。こういうのを『言葉遊び』と云う。戯言とも云う。
 そこには『解放』もクソもなく、ただの現実肯定のみ。当初の精神の堕落。
 まあ、『教え』がない。『願い』もない。現実肯定のみ。

 で、『現実』で苦しんで居る人を民主主義という言葉遊びになった全体主義で排除する事を肯定する。
 どこが民主主義やねん。。。

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2 コメント

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Unknown (流星)
2006-12-16 21:03:55
国益は、「公の利益」と名前を変えて、戦後民主主義の歩みの中で培われてきた。民主主義が不徹底だからこうなったのではない。
これから、民主主義の下の「公共の福祉」という価値観について、考えようと思っています。
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Unknown (エロ坊主)
2006-12-17 01:20:17
 『公』と云う事がはっきりしていないんだと考えます。
 『公』の中に、自分や、個人が不在である。幻想としての『公』が先にあり、自分や個人がその中に埋没してしまっている。そんな感じを受けます。

 公園でもそうですよね。公園と云う限りは誰が使ってもイイ場所でもあるにも関わらず、仮にホームレスが公園で生活していたら排除する。そこで使われるのも『公』。

 何の為の『公』であり、何の為の『民主主義』であるのか、その根本が抜け落ちている感じを最近非常に感じます。
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