坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

「支えるのではない。ともに闘う。」(by大阪医専)

2010年01月30日 | 坊主の家計簿
 昨日は所用で外出。しかも16時からと18時からとのはしご。え~。。。学習会とか会議なんぞの所用での外出、つまりママに大手を振って「今日は用事がある」と出て行ける機会は少ないのだが、え~。。。ダブる。
 しかも、「ひょっとして携帯メールアドレス変更通知が失敗したのでは?」という疑問からママに聞くと「そんなもん届いてないで」との事。うぉ~!!!っちゅうても、所用のダブルなのでやり直すわけにも行かず、今日ようやく通知と。

 しゃて、昨日地下鉄に乗ってて最初の目的地で下車しようとしたら、

 【支えるのではない。ともに闘う。】(by大阪医専)

 っちゅう、医療専門学校の広告が目に入る。

 う~ん。。。素晴らしい。。。これぞ真宗仏教やのぉ~。。。

 現代語で打つのが面倒(時間がない)ので、古語そのままなんだが、

【慈悲に聖道・浄土のかわりめあり。聖道の慈悲というは、ものをあわれみ、かなしみ、はぐくむなり。しかれども、おもうがごとくたすけとぐること、きわめてありがたし。浄土の慈悲というは、念仏して、いそぎ仏になりて、大慈大悲心をもって、おもうがごとく衆生を利益するをいうべきなり。今生に、いかに、いとおし不便とおもうとも、存知のごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし。しかれば、念仏もうすのみぞ、すえとおりたる大慈悲心にてそうろうべきと云々】(歎異抄第4章)

 っちゅうのがある。結構問題になったりする文章だったりするのだが、え~と、これを大阪医専のコピーで云うならば、「支える?はあ?何を偉そうにしとるねん。自分は解放された気か?悟りでもひらいたんかい。どの口がそんな差別的な発言しとるねん。そんな差別発言をするようなヤツは最低じゃ。『自分は最低な人間である』っちゅう所から、多くの問題を抱えた人たちと共に解放される道を歩まんかい!」
 ではないかと、思ったりする。
 罪悪深重煩悩具足の凡夫、っちゅうても、仏との関係での絶対否定なんだし。「わたしゃ、世間でぶいぶいいわしてまっせ」なんぞ、一切認めない、最強の批判が『念仏して、いそぎ仏になりて』っちゅう言葉だと思ったりするのだが。

 んが、まあ、そういう事は『くりかえし、くりかえし』ではないかと思う。

【世間に抱く関心は 必ず自己中心の善悪による関心である】(by信国先生)

 っちゅうやつである。んなもん、なんだって差別する理由、つまり上に立とうと、自分を何か特別な存在としようとしてしまう。んなもんである。

 個性は『差』であるが、その『差』が対等にはならない。時代での価値観に縛られた、あるいは個人的経験に縛られた価値観によって個別差が差別になってしまう。

 【バラバラでいっしょ~差異を認める世界の発見】

 は、その『差異』が上下、つまり差別になっている、してしまっている自分の発見を忘却しては成り立たない。
 「私は○○をしている」と、差異を差別にしてしまう。差別する為には仏教だろうが、なんだろうが使ってしまう。
 「私はあの人達と違う」=「私はあの人達よりも偉い」である。

 くりかえし、くりかえし、事実に、存在の故郷(浄土)から照らし出された罪悪深重煩悩具足の凡夫にかえり続けて行く道。『支えてしまう』意識、つまり『支える』『支えられる』という関係ではなく、『共に』という大地にかえり続けて行く道。
 
 「安住したい」「答えが欲しい」「正解の側に立ちたい」と、「上に立ちたい」煩悩が騒ぐ。

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