坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

(踏むがいい)

2013年03月16日 | 坊主の家計簿
【(裁くのは人ではないのに…
そして私たちの弱さを一番知っているのは主だけなのに)
と彼は黙って考えた。
「わしはパードレを売り申した。踏絵にも足かけ申した」
キチジローのあの泣くような声が続いて、
「この世にはなぁ、弱か者と強か者のござります。強か者はどげん責苦にもめげず、ハイラソに参られましょうが。おいのように生まれつき弱かモンは踏絵ば踏めよと役人の責苦を受ければ…」
その踏絵に私も足をかけた。あの時、この足は凹んだあの人の顔の上にあった。私が幾百回となく思い出した顔の上に。人間が生きている限り、善く美しいものの顔の上に。そして生涯愛そうと思った者の顔の上に。その顔は今、踏絵の木の中で磨減し凹み、哀しそうな顔をしてこちらを向いている。
(踏むがいい)と哀しそうな眼差しは私に言った。
(踏むがいい。お前の足は今、痛いだろう。今日まで私の顔を踏んだ人間たちと同じように痛むだろう。だがその足の痛さだけでもう充分だ。私はおまえたちのその痛さと苦しみをわかちあう。そのために私はいるのだから。)
「主よ。あなたがいつも沈黙しておられるのを恨んでいました。」
「私は沈黙していたのではない。一緒に苦しんでいたのに」
「しかし、あなたはユダに去れとおっしゃった。去って、なすことをなせと言われた。ユダはどうなるのですか」
「私はそう言わなかった。今、お前に踏絵を踏むがいいと言っているようにユダにもなすがいいと言ったのだ。お前の足が痛むようにユダの心も痛んだのだから」
その時彼は踏絵に血と埃とでよごれた足をおろした。五本の足指は愛するものの顔の真上を覆った。
この烈しい悦びと感情とをキチジローに説明することはできなかった。
「強い者も弱い者もないのだ。
強い者より弱い者が苦しまなかったとは誰が断言できよう。」
司祭は戸口にむかって口早に言った。】
(遠藤周作『沈黙』より)

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