坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

紅白と白黒

2007年11月13日 | 坊主の家計簿
 11月13日

 雑費 ジュース        110円
    温泉マッサージ    1000円
    焼肉ビール      3270円

 合計            4380円
 11月累計        30545円

 休みが飛んで、あと1週間は働かないといけないし、大きな法要直前なので、今日はリフレッシュ。
 御近所温泉マッサージ→焼肉ビール飯と、毎度のコース。

 何やら、紅白の司会が中居と鶴瓶に決まったらしい。鶴瓶は以前に生放送中にチンポを出した前科があり、昨年の紅白で『ボディースーツ事件』っちゅうのがあったらしく、そういう意味での期待を釣るあざとい企画やのぉ。。。
 
 『プルコギ』を観てた。赤肉派と、白肉(ホルモン)派との対決。どっちも美味いから、今日は両方喰って来たが。
 
 白と黒のオセロ対決もある。
 松嶋派と、中島派との対決である。私は松嶋派の方である。

 違う白と黒の対決もある。
 喪服である。
 明治以前の日本では喪服は白だった。
 んが、明治以降の西洋化の流れの中で、西洋の礼服が黒だった為に徐々に黒に変わって来た。
 最初は当然、都市部からであろう。で、地方出身者が都市部に出て、実家の誰かが亡くなった時に、西洋の礼服(黒)を着て来た。当然、地方では反発をくらい、「貴様は何を考えとる!葬儀には白だ!」と長老などから怒られた事であろう。
 そして隅に追いやられる。これが間違いの根本だ。
 最初は1人であったであろう。当然、1人なら問題ない。最後尾の隅に陣取っていれば問題ない。
 しかし、それが2人になった。当然、最後尾の両端である。
 つまり、両端を押さえられたのである。
 オセロの基本は隅を如何にして取るか、である。この『黒』は労せずして隅を取れた。よって、間に挟まれた人達も黒になった。すると黒が増える。
 しかし、白も頑固である。「貴様らは何を考えて居る!」と変わらず隅に追いやられた。今度は最後尾の両端だけでなくなった。つまり、間に挟まれた白が多くなり、その事によって黒が飛躍的に増え、今現時点では、ほぼ黒で統一されている。
 
 しかーし!ネオナチの同胞達よ。嘆いてはいけない。葬儀に白を着て行くのだ。すると、すっかり日本古来の喪服が白であった事を忘れてしまった長老から「貴様らは何を考えて居る!隅に行け!隅に!」と云われる事必須であって、すると間に囲まれた人達全てが白になる。
 西洋化によって喪服を黒にして行こうとした売国奴達と同じ苦労をしなければ、喪服が白になる事なんぞあり得ない。

 んが、んが。仏教徒には喪服なんぞ本来関係ないはずなんだが。。。『喪』は儒教とか神道のもんやろ。

【そこで尊者大カッサパは修行僧らに告げた。
 「やめよ、友よ。悲しむな。嘆くな。友よ。まことに尊師はかつて、あらかじめこのように説かれたではないか?『すべての愛しき好む者どもともに、生別し、死別し、死後には境界を異にする。どうしてこのようなことがあり得ようか。ーーーかの生じた、存在せる、つくられた、壊滅する性質のものが、壊滅しないような、このような道理は存在しないのである』と。】(大パリニッバーナ経より)

 仏教徒にとっての親しい人の死は、『喪』『忌』でなく、修行の機縁である。
 しかし、現状は『喪』『忌』であろう。というか、長嶋一茂のオカンが死んだ時に長嶋一茂はテレビに出てたし、『喪』『忌』すらも壊滅状態になりつつあるのだろうが。
 しかし、それは解放運動の中での『寝た子を起こすな』と余り変わらない。違う形で生き残っていくものだ。
 死が忌むべきものである限り、健康ブームは止む事がない。不老不死を願い、「何時までも美しくありたいのよね」が止む事はない。
 故に、仏教徒は「貴様らは何を考えて居る!」と隅に追いやられても、喪服が徐々に白から黒になっていった苦労と同じ事をしなければならない。
 正義を押し付けるのではない。押し付けても意味がない。白黒ハッキリさせるのは、個人の問題である。ただ、「私は仏教徒ですから」と隅に居ったらエエ。その場に居ったらエエ。その場で意見するしかないやろ。後は仏性の問題や。信じて任せるしかないで。別に正義とちゃうし。

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