坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

法話を一番先に聞くのは私だ

2013年02月18日 | 坊主の家計簿
 なんかバタバタしているわけであって、当然、気持ちの余裕なんぞも消え去って「忙しいとは心を亡くすと書く」云々の「やかましいわ!ボケ!!!」の言葉が響いて来る昨今。
 放ったらかし状態だった『南御堂2月号』を読む。「こら!Hが法話実習で喋っている時の写真に、俺の半身しか映ってないやんけ!」と、まあ、どうでもエエ事を。

【親鸞思想において、マナ識とは定散心であり、定散心を破りアラヤ識の仏性(無漏の種子)を開発する働きが阿弥陀仏の本願である。】(松田正典氏)

 という巻頭特集。

 少し前から気になっている言葉。

【良に知りぬ。徳号の慈父ましまさずは能生の因闕けなん。光明の悲母ましまさずは所生の縁乖きなん。能所の因縁、和合すべしといえども、信心の業識にあらずは光明土に到ることなし。真実信の業識、これすなわち内因とす。光明名の父母、これすなわち外縁とす。内外の因縁和合して、報土の真身を得証す。かるがゆえに宗師は、「光明名号をもって十方を摂化したまう。ただ信心をして求念せしむ」(礼讃)と言えり。また「念仏成仏これ真宗」(五会法事讃)と云えり。また「真宗遇いがたし」(散善義)と云えるをや、知るべし、と。】(行巻)

【真実浄信心は、内因なり。摂取不捨は、外縁なり。】(愚禿鈔)

 内因は置いておく。外縁。

【最清浄法界等流】(摂大乗論)

 まあ、聞法。

「あなたたちはこれから色々な所で法話する機会があるでしょう。その時に『法話を一番先に聞くのは私だ』という事を忘れないで下さい。」

 やったっけな?そんな言葉を頂いた事がある。

 念仏の僧伽。誰と共に聞法するのか?

【私たちが本当に如来の教法に遭うということは、現代社会でどのような生き方をしていようと、その人々を決して駄目だと言わぬことです。彼らのなかにも仏法があるのだと。だからぼつぼつと、目が覚めるまで、気づくまで、語りかけていく。これが「何等世界無 仏法功徳宝」です。どんな世界のなかへも出ていくことができ、どこにでも安心していることができるということは、仏法の世界でない世界はない、ということが開けているからです。たまたま遭うことのできた仏法をみんなと共に喜んでいこうというかたちで無仏の世界へ出ていける。】(竹中智秀『無三宝処への往生』)

 え~と、『葬式仏教』と『葬式坊主』と一部で邪視されつつも、日々働いております。

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