坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

リサイクルショップ『無我』

2010年02月21日 | 坊主の家計簿
 仕事が終わって家族サービス(?)
 大阪市がベビー服(子ども服もか?)のリサイクルをやっている。無料で引き取って、無料でくれる。うちらの地域では毎月第三土曜日。少し離れているので親子3人、車で出かける。
 実は昨日も「うちは毎日やってまっせ!」っちゅう、これまた大阪市の所に他の用事のついでに寄って来たんだが、ベビー服が少なかった。なので今日も期待してなかったのだが、今日の所はベビー服も結構あって、ママがバーゲンセールを狙うオバはんの目になって真剣に選んでた。よって私は娘を抱っこしてうろうろと。
 娘にはまだまだ無理なんだが、幼稚園の入学式とかに着て行くのだろう、『よそいき』のキレイなお洋服なんぞもあって、便利、便利。あんなの買ったら結構するで。んが、着る機会は少ないだろうし、子どもはどんどん大きくなる。なので、「うちの子はもう着る事ないわ」という人が提供してくれるのだろう。ちなみにうちも昨日の場所で小さくなって着れなくなったベビー服をリサイクル。
 『お古』っちゅうのだろう。私も子どもの頃に母方の田舎から『お古』が結構送られて来て、私が着てた。段ボールに田舎から送られて来たその他のものと一緒に私の服が入ってあって、その段ボールを開けるのが楽しかった。兄貴とは6歳離れているので、きっと兄貴の『お古』はどこかに行って誰かが着てたのだろう。
 大阪市がやっているのは『でっかい親族』なんだろうな。娘が着た『お古』を誰が着るのか知らない。今日着て行った牛さんの服も着れなくなったら『お古』として出す予定だし、そういう風に回りまわって行くのだろう。ママと帰りの車の中で「これで大きめのサイズの服を買う必要がなくなったね」と。ちょっきしか、ワンサイズ大きめぐらいの服ならば痛みも少なくエエ状態でリサイクルに出せる。で、エエ状態の服がまた貰えたりする。昨日、今日と頂いて来た服はかなりエエ状態。

 ちなみに私が預かっている寺には前住職の『お古』の法衣がある。逆にいうと『前住職のしかない』のだが。どういう理由か知らんが。。。前住職と私は腹回りを除けば一緒のサイズらしい。足袋も同じ25.5だし。よって白衣以外は着れるのだが、え~。。。私、衣装持ちでして(笑)なんせ数年の坊さん生活の中で、「貯金代わりに法衣を買っとけ!」っちゅうか、ストレスで買い物をしたい時なんぞに法衣を買ってたりしたし、袈裟も『七条袈裟』っちゅう葬儀に使うやつは一つしかないが、まあ、これはむっちゃ高価だし。んが、『五条袈裟』っちゅうのは3枚(?)ある。なので、滅多に『お古』を着る事がなかったりする。っちゅうか、先日、仏前結婚式の手伝いをした時に、私は葬儀に使う袴しか持ってなかったので、重い法要の時に使う袴を使っただけか。普段着る衣も結構持ってるし、法要の時に使う衣も結構持っている。つーか、前住職よりも多くあったりする。「どれだけ買ってるねん!」っちゅう感じなんだが、まあ、しゃーない。

 これで、私が預かっている寺には前住職の『お古』と、私の『お古』がある。
 私の『お古』の中で、今となっては滅多に着ない衣も何枚かあったりする。まあ、寺に置いといて後々の誰かが「おお、何代前の住職のか知らんけど、サイズぴったしやんけ」と着て貰ってもエエのだが、寺の経費でなく、私の給料で買ったので、別に寺に縛られる事もない。得度する時に必要な衣だし、誰かが得度する時に『お古』として着て頂いた方が役に立つだろうし。

 大阪市がやっているリサイクルの服に男性用はなかった。毎日やっている方には多少の女性用服もあったのだが、男性用はない。その代わりに釜ヶ崎の団体の連絡先が書いてあった。「お古はそちらに」という意味なんだろう。

 『無我』っちゅう事をふと思ったりする。縁起でも空でもエエのだが、無我。
 我が子
 我が家族
 我が国
 なんぞなんぞ。
 我がiMacとか、我が○○。
 私の所有物。私中心。
 我が金、我が貯金、我が財産、我が土地。なんぞなんぞ。

 ある男の子と女の子。2人の間には子どもが居てたらしい。でも、2人は別れてしまう。男の子にとっては別れた事が余程辛かったのだろう。そんな話の中から起こった殺人事件が最近あった。詳しく見れなかったのだが、男の子「幸せにしたる」、女の子が「幸せにしてね」と。そんなやりとりがあったらしい。女の子に対する暴力もあったらしい。
 事実は知らない。あくまでも報道されている話しか知らない。その報道されている話の中で無我を思う。
 我が女。

 たまたま、今の私は私の『お古』の法衣や衣を娘に着て貰いたいとか、娘と結婚する相手に着て貰いたいとかの煩悩はまだ出てこない。それは娘がようやく「ずりずり」と前に進める事が出来始めたばかりだから、全く現実味がない話だからだ。きっと現実味を帯びて来た時には、まあ、間違いなく私の『お古』を着る人に対する煩悩が出てくるだろう。そんな時にそれが煩悩である、つまり『我』を中心にした欲望でしかないという事に対して『問われる事』が出来るかどうかだけだと思う。
 ちなみに先日、娘を始めて『一日保育』というのだろうか?そういう所に預けなければならなくなった時に、パパは不安で仕方がなかった。「悪い虫がつかないだろうか?」と。また、先日ママが娘と一緒に近所の『子育てセンター(?)』みたいな所に行って、娘と同世代の『男!!!』と一緒に居た時も、パパは心配で心配で(笑)

 『我が娘』と『如来の子』。

 法然門下が弾圧された直接のきっかけは、後鳥羽上皇が寵愛していた女官が出家してしまったから。きっと『我が女官』だろう。その事をあざ笑う資格は私にはない。けど、違う。それは煩悩であり、『我』であり、無我ではない。

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