坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

生まれてこられたお礼に

2010年06月16日 | 坊主の家計簿
筋肉痛。。。バタバタと肉体労働をして「ちょい休憩」と横になる。
ママ、娘を横になった私の上に乗っけて用事に。「しんどい、っちゅうねん」と、適当に遊び出す娘をほっといてたら、「ゴン」という音と共に娘の泣き声が。。。多分、木製のイスによじ昇ろうとしてアゴを痛打したみたいである。まあ、毎度の事なんだが口を少し切ったみたいで血が出てたので急いでママを呼び私の休憩も終了。ああ、疲れてヘロヘロだったので、テンション(精神性)の低い仏華になってもうた。

ついでなんだが「子育て」や「家事」だけが仕事ではない。その他の多くの仕事も立派な仕事である。
自分がやっている仕事(人生でも)「自分(達)だけが大変」っちゅうのは単にプライドが高いだけの話しであって、それこそ「仕事」でなら幾らでも話(愚痴)を聞くが「仕事以外」なら知らんぞ、んなもん。「御参り」や「部屋片付け」「花立て」「事務」だって仕事である。相手(違う立場)の労働を認められないのなら「認めてやる必要」もなく、互いに侮辱しあい、軽蔑しあい、潰しあえばエエだけなんだが、プライドだけ高くて喧嘩の訓練してこなかった人間が徹底的にやれるんかい。「キレてから」「怒ってから」がスタートであり、それをゴールと勘違い出来るのは単に生ぬるい人間関係だけじゃ。

ん?夫婦は「生ぬるい人間関係」にせんとアカンのか?(笑)
まあ、ママ、ちょい育児疲れが出とるのお。んが「専業」やねんから、も少し「プロ意識」っちゅうもんをやのぉ。。。家事はバンバン手伝ってるねんし。

あっ、っちゅう事で、帰宅してテレビ。最近、娘の成長の為に早寝してるママとチャンネル争いをする事もなく、録画してたNHKの脳死の番組をみる。
で、さっき投稿した歌を知る。

いや~、泣いた。ああいう系の番組には冷血動物なので泣かないのだが、ETV特集「"さよなら"を言う前に」っちゅうのは素晴らしい。脳死を考える、っちゅうか、全葬式坊主必見やな。素晴らしい。
まあ、何が「素晴らしい」のかは実際に観て貰う事として、脳死になって闘っていたのが小さな娘さんだった。
私も小さな娘を持つ親なので、小さな娘が「生きよう生きよう」として、それを支える親の姿に涙が出てしまう。脳死になって、お母さんに抱っこされるシーンは書きながらでも涙腺が危ない。それは「うちの娘が。。。」と感情移入してしまうからだ。とくに今日は怪我をしたし。自分の人生体験に照らし合わせて感情移入してしまう。
当然それは自己中心の御都合主義でしかないのだが、番組を観ながら考えていたのは「私に娘が居なかったら」という事である。私に娘が居なければ娘を抱っこした事がなければ、また違った形の御都合主義の自己中心のエゴが出て来たのだろうし、そこで感情移入した事だろう。
だか、自己中心の御都合主義である事には違いなく、エゴ存在から離れられるわけもなく、違う様々な人生経験の中で「私は色々な経験をしました」といっても、「変わらん」やろうと。結構、色んな経験もして来た「つもり」なんだが、それこそ「んなもんお前だけちゃうわ!」である。苦労だろうがなんだろうがエゴのエサにしてしまう。

番組の最後に、全くテロのように先の歌が流れる。

♪生まれてこられたお礼に

と、云う歌詞の部分、お兄ちゃんが学校で合唱した歌を「脳死」状態で「生きよう生きよう」としている娘にビデオカメラのモニターで見せている。

♪生まれてこられたお礼に

この番組も永久保存。娘といつか一緒に何度も見よ。

人生に貴賤はない。何才で死のうが、どんな人生を歩もうが、自己中心の御都合主義に変わりはない。

子どもは純粋である。八ヵ月で余裕の「ワガママに純粋」である。自己中心の塊に純粋である。

大人になると、それが「誤魔化す事が出来る」、つまり、「ワガママな人間(状態)」と「ワガママでない人間(状態)」とに分けれるという勘違いを起こす。
で、次に「勘違いしている人間」と「目覚めた人」という宗教差別をする。

んなもんやろ。
なんだって差別の道具にしてまう。そんな所で平等ちゃうんけ。
だから、対当で勝負せんかい。育児が大変なんと一緒で、パパの仕事かって大変やねんぞ。。。まあ、夜中(朝方)に育児をほったらかして酒飲んで帰って来る、っちゅうのは、え~。。。労働時間が短いのお。。。

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