5月27日
外食 とんこつ唐揚げ小ライスセット 800円
食類 ウコン茶30 2040円
黒カレーうどん2 198円
ノンフライラーメン5 197円
コンニャクゼリー 238円
豪州牛肉 312円
焼そば麺 18円
もやし 45円
発泡酒 175円
雑費 ブックオフ3冊 1450円
合計 5473円
5月累計 104219円
腹が減った(ウエストがヘッコんだ)。
前にパンパンだったジーパンが余裕だし、ベルトも一番キツい穴も近し。っちゅうか、入らん事もないようになった。
のでトンコツ&牛肉復活。
天気もよかったので仕事が終わった後にショートツーリング。まあ、バッテリー補給も兼ねてだが。トンコツラーメンのセットも喰って、ドンキホーテで買い物も帰りにしたのだが、途中でブックオフがあったので入店。初めて入る店だし、荒らしとかんと。
店内を物色しているとセール中で単行本が500円均一だった。50円の割引券もある事やし、3冊購入。
信楽峻麿 『真宗の大意』
宮崎学 『地獄への道はアホな正義で埋まっとる』
小林よしのり 『戦争論』
信楽先生のこの本は「買ったかな。。。」やったのだが、「まあ、ダブっても誰かにあげたら済む話や」っちゅう事で購入。どうせ買わんとアカン本やし。
宮崎学の本はタイトル買い(笑)ナイスでっせ(笑)
死刑廃止の弁護士、その安田弁護士が逮捕された時の支援話らしい。
そういや、この二人は顔が似ている。安田弁護士は最近例の事件がらみでよくテレビで見掛けるのだが「やっぱり似とるなぁ。。。」と。
まあ、遠藤誠弁護士亡き後に「誰から憎まれようが関係ない」みたいな姿勢は評価出来る。読んでないから解らんが、任侠道の宮崎学もその辺に惹かれたのかな?例の本村氏に関する事も書きたかったのだが、今度。ただ、やはり今回もテレビ報道しか見ていないが、本村氏は死刑判決が下ったら「死刑を執行しないで下さい」と云い出しそうな気がする。直感なんだが。誠実だし、クールだし、安田弁護士等の左翼がかった死刑廃止論ではなく、単なる「人命を大切にしたい」という動機で。今回も犯罪者の再犯について語られていて諸々考えさせられたのだが、そういう面でも直感的にあの人柄を見てて感じた。
で、小林よりのり『戦争論』。
小林よしのりは結構読んでいるので、これも読んだかどうか覚えていなかったのだが、昨日のコメント欄でもお勧めだったし、購入。
おまけが付いていた。「ブックオフ、ちゃんとチェックせんかい!」なんだが、前の本の持ち主が勉強したメモがあった。
小林よしのりは漫画がやはり上手い。その上手さもあり、ちゃんと読ませる。
だが、やはり基本的には反動だな。『反動右翼』というレッテル張りも如何なもんかと思うのだが、やはり反動的な感じを受ける。
ちなみに私も「戦争で日本だけが悪かった」とは思わない。『戦争論』の中に書いてある通りに先の戦争での一番の集団虐殺は原爆だ。
また、東京裁判についても、あれは単純に「勝った国が負けた国を裁いただけ」である。それ以外の何ものでもない。
だが、私は日本人である。ここからが小林よしのりと違う。私は日本人であるが故に、「日本がやった事」を主に考える。
「他の国だってやってるじゃないか?」では自己責任が問えない。
確かに他の国だってやった。アメリカは変わらず暴挙を続けて居る。当然、それは告発しなければならない。アメリカに集団虐殺された国として告発しなければならない。それも日本人としての役目である。
小林よりのりは漫画家のせいか何なのか知らないが、英雄が好きみたいである。文学といっても構わないかもしれない。
確かに戦争の中で英雄が生まれ、
【戦争の中で愛と勇気が試され
自己犠牲の感動が生まれ
誇りの貴さを思い知ることもある】(『戦争論』37ぺーじより)
なのかも知れない。
私には必要ない。
それは
【「人道主義的な志こそが彼らが追求したものであり、人質から解放され、帰国した後は、英雄として待遇されてしかるべきである」】(『イラク「人質」事件と自己責任論』141ページより)
と同じである。
御国の為に戦い、亡くなられて行かれた方々を英雄視するつもりはない。当然、私は死刑廃止の立場だし、犯罪者の人権を大事にするので例えA級戦犯だろうが、同じ人として観る。それぞれがそれぞれの人生の中でたまたまそういう状況になっただけの話である。高遠菜穂子氏等を英雄視扱いしないのと同じく、『戦犯』を英雄視扱いしない。唯の人である。
前の持ち主のメモにもあったが
【自分を一番自由にしてくれる束縛は何か?
それを大事に思う心を育てよう】(『戦争論』378ページより)
徳川家は浄土宗だったりする。
また、確か親鸞の弟子(この言葉が正しいかは別にして)にも結構武士(侍)が居たはずだ。
武士(侍)とは人を殺す仕事である。「殺す事もある」という言い方も出来るだろうが、基本的には人を殺す『職業』だろう。
それは当然、『罪』である。今よりももっと宗教観が強かった時代において、つまり漁師、猟師すら『穢れ』とされた時代であった。
親鸞は武士(侍)に対してどういう接し方をしたのだろうか?この辺は不勉強なんだが、決して差別はしなかったと思う。きっと『同じ人』として接したんだと想像する。同じ凡夫(唯の人)か。
私は天皇制に反対なので当然『天皇だって凡夫だ。唯の人である』の立場である。
靖国神社の遊就館には『靖国の英霊達』として写真が展示してあるが(ちなみにこの方法だけで無宗教として靖国は成り立つ)、あの人達を特別酷い人とも思わないのと同じく英雄とも思わない。それぞれのたった一度の人生を『戦死』という悲しい死でもって人生を終えられた方でしかない。
同じく、高遠菜穂子氏達も英雄とも思わない。同じ唯の人である。
本村氏も、本村氏の家族を殺した人も同じ唯の人である。
恐らく死刑廃止論者以外からは蛇蝎のように嫌われるであろう安田弁護士も唯の人である。
昨日、枕経に行った人も唯の人である。
当然、私も唯の人である。
誰にも代えられることがない、掛替えのない唯一の貴い人間である。
それはホームレス状態にある人も同じである。
諸々の偏見で差別されている人達も同じである。差別戒名(法名)なんぞ問題外である。
戦争や、人道主義の行動や、諸々のスターだけがドラマチックに生きているわけではない。
同じく、引き蘢り状態の人や、諸々の社会的マイナス要因を抱えて生きて居られる人達だけがドラマチックに生きて居られるわけではない。
どんな人生だって、本人にとってはドラマチックではないのか?それが『個』である。
当然、どんな『個』だって貴い。それは私にとっての束縛である。互いの『個』を尊重しあって生きて行く、エゴで他の『個』を無視するのでなく、互いの『個』を『違い』として尊重して行く事は私というエゴ存在にとっての束縛である。
故に
【自分を一番自由にしてくれる束縛は何か?
それを大事に思う心を育てよう】(『戦争論』378ページより)
なら、その事だけが私を自由にさせる事である。
決して英雄になる事でもなく、特別な行動をした人を『貴い』と思うことでもない。
『戦争論』の前の持ち主であった恐らく大学生(メモの裏のプリントを見ての判断)が、どういう気持ちで『戦争論』を買われたのか知らない。
左翼的思想の持ち主で、自由主義主観一派である小林よしのりの本を買って研究しようとして買ったのかも知れんし、如何なる動機で買ったのかは解らん。
ただ、別に英雄になる必要もない。
自分が生きているたった一度の掛替えのない人生を、特別なドラマチックに『仕立て上げる』必要もない。
自分が自分自身に対する過度の期待は傲慢である。自分自身に対して失礼である。冒涜である。
♪生きる為に生きる
原始の声をくれ
(シオン)
右翼だろうが、左翼だろうが、英雄史観だな。
私は唯人史観なので別の思想である。
当然、誰かがそれを奪いに来たら、つまり『日本国家』あるいは『敵国』が奪いに来たら抵抗する。
『心のノート(こころのノート)』なんぞ大キライ。
不良という生き方を認めん『夜回り先生』なんぞ大キライ。
民主主義の押しつけも大キライ。
『欧米列強に支配されたアジア民衆の解放』と云う名の『集団的自衛権』の戦争も当然認めん。
外食 とんこつ唐揚げ小ライスセット 800円
食類 ウコン茶30 2040円
黒カレーうどん2 198円
ノンフライラーメン5 197円
コンニャクゼリー 238円
豪州牛肉 312円
焼そば麺 18円
もやし 45円
発泡酒 175円
雑費 ブックオフ3冊 1450円
合計 5473円
5月累計 104219円
腹が減った(ウエストがヘッコんだ)。
前にパンパンだったジーパンが余裕だし、ベルトも一番キツい穴も近し。っちゅうか、入らん事もないようになった。
のでトンコツ&牛肉復活。
天気もよかったので仕事が終わった後にショートツーリング。まあ、バッテリー補給も兼ねてだが。トンコツラーメンのセットも喰って、ドンキホーテで買い物も帰りにしたのだが、途中でブックオフがあったので入店。初めて入る店だし、荒らしとかんと。
店内を物色しているとセール中で単行本が500円均一だった。50円の割引券もある事やし、3冊購入。
信楽峻麿 『真宗の大意』
宮崎学 『地獄への道はアホな正義で埋まっとる』
小林よしのり 『戦争論』
信楽先生のこの本は「買ったかな。。。」やったのだが、「まあ、ダブっても誰かにあげたら済む話や」っちゅう事で購入。どうせ買わんとアカン本やし。
宮崎学の本はタイトル買い(笑)ナイスでっせ(笑)
死刑廃止の弁護士、その安田弁護士が逮捕された時の支援話らしい。
そういや、この二人は顔が似ている。安田弁護士は最近例の事件がらみでよくテレビで見掛けるのだが「やっぱり似とるなぁ。。。」と。
まあ、遠藤誠弁護士亡き後に「誰から憎まれようが関係ない」みたいな姿勢は評価出来る。読んでないから解らんが、任侠道の宮崎学もその辺に惹かれたのかな?例の本村氏に関する事も書きたかったのだが、今度。ただ、やはり今回もテレビ報道しか見ていないが、本村氏は死刑判決が下ったら「死刑を執行しないで下さい」と云い出しそうな気がする。直感なんだが。誠実だし、クールだし、安田弁護士等の左翼がかった死刑廃止論ではなく、単なる「人命を大切にしたい」という動機で。今回も犯罪者の再犯について語られていて諸々考えさせられたのだが、そういう面でも直感的にあの人柄を見てて感じた。
で、小林よりのり『戦争論』。
小林よしのりは結構読んでいるので、これも読んだかどうか覚えていなかったのだが、昨日のコメント欄でもお勧めだったし、購入。
おまけが付いていた。「ブックオフ、ちゃんとチェックせんかい!」なんだが、前の本の持ち主が勉強したメモがあった。
小林よしのりは漫画がやはり上手い。その上手さもあり、ちゃんと読ませる。
だが、やはり基本的には反動だな。『反動右翼』というレッテル張りも如何なもんかと思うのだが、やはり反動的な感じを受ける。
ちなみに私も「戦争で日本だけが悪かった」とは思わない。『戦争論』の中に書いてある通りに先の戦争での一番の集団虐殺は原爆だ。
また、東京裁判についても、あれは単純に「勝った国が負けた国を裁いただけ」である。それ以外の何ものでもない。
だが、私は日本人である。ここからが小林よしのりと違う。私は日本人であるが故に、「日本がやった事」を主に考える。
「他の国だってやってるじゃないか?」では自己責任が問えない。
確かに他の国だってやった。アメリカは変わらず暴挙を続けて居る。当然、それは告発しなければならない。アメリカに集団虐殺された国として告発しなければならない。それも日本人としての役目である。
小林よりのりは漫画家のせいか何なのか知らないが、英雄が好きみたいである。文学といっても構わないかもしれない。
確かに戦争の中で英雄が生まれ、
【戦争の中で愛と勇気が試され
自己犠牲の感動が生まれ
誇りの貴さを思い知ることもある】(『戦争論』37ぺーじより)
なのかも知れない。
私には必要ない。
それは
【「人道主義的な志こそが彼らが追求したものであり、人質から解放され、帰国した後は、英雄として待遇されてしかるべきである」】(『イラク「人質」事件と自己責任論』141ページより)
と同じである。
御国の為に戦い、亡くなられて行かれた方々を英雄視するつもりはない。当然、私は死刑廃止の立場だし、犯罪者の人権を大事にするので例えA級戦犯だろうが、同じ人として観る。それぞれがそれぞれの人生の中でたまたまそういう状況になっただけの話である。高遠菜穂子氏等を英雄視扱いしないのと同じく、『戦犯』を英雄視扱いしない。唯の人である。
前の持ち主のメモにもあったが
【自分を一番自由にしてくれる束縛は何か?
それを大事に思う心を育てよう】(『戦争論』378ページより)
徳川家は浄土宗だったりする。
また、確か親鸞の弟子(この言葉が正しいかは別にして)にも結構武士(侍)が居たはずだ。
武士(侍)とは人を殺す仕事である。「殺す事もある」という言い方も出来るだろうが、基本的には人を殺す『職業』だろう。
それは当然、『罪』である。今よりももっと宗教観が強かった時代において、つまり漁師、猟師すら『穢れ』とされた時代であった。
親鸞は武士(侍)に対してどういう接し方をしたのだろうか?この辺は不勉強なんだが、決して差別はしなかったと思う。きっと『同じ人』として接したんだと想像する。同じ凡夫(唯の人)か。
私は天皇制に反対なので当然『天皇だって凡夫だ。唯の人である』の立場である。
靖国神社の遊就館には『靖国の英霊達』として写真が展示してあるが(ちなみにこの方法だけで無宗教として靖国は成り立つ)、あの人達を特別酷い人とも思わないのと同じく英雄とも思わない。それぞれのたった一度の人生を『戦死』という悲しい死でもって人生を終えられた方でしかない。
同じく、高遠菜穂子氏達も英雄とも思わない。同じ唯の人である。
本村氏も、本村氏の家族を殺した人も同じ唯の人である。
恐らく死刑廃止論者以外からは蛇蝎のように嫌われるであろう安田弁護士も唯の人である。
昨日、枕経に行った人も唯の人である。
当然、私も唯の人である。
誰にも代えられることがない、掛替えのない唯一の貴い人間である。
それはホームレス状態にある人も同じである。
諸々の偏見で差別されている人達も同じである。差別戒名(法名)なんぞ問題外である。
戦争や、人道主義の行動や、諸々のスターだけがドラマチックに生きているわけではない。
同じく、引き蘢り状態の人や、諸々の社会的マイナス要因を抱えて生きて居られる人達だけがドラマチックに生きて居られるわけではない。
どんな人生だって、本人にとってはドラマチックではないのか?それが『個』である。
当然、どんな『個』だって貴い。それは私にとっての束縛である。互いの『個』を尊重しあって生きて行く、エゴで他の『個』を無視するのでなく、互いの『個』を『違い』として尊重して行く事は私というエゴ存在にとっての束縛である。
故に
【自分を一番自由にしてくれる束縛は何か?
それを大事に思う心を育てよう】(『戦争論』378ページより)
なら、その事だけが私を自由にさせる事である。
決して英雄になる事でもなく、特別な行動をした人を『貴い』と思うことでもない。
『戦争論』の前の持ち主であった恐らく大学生(メモの裏のプリントを見ての判断)が、どういう気持ちで『戦争論』を買われたのか知らない。
左翼的思想の持ち主で、自由主義主観一派である小林よしのりの本を買って研究しようとして買ったのかも知れんし、如何なる動機で買ったのかは解らん。
ただ、別に英雄になる必要もない。
自分が生きているたった一度の掛替えのない人生を、特別なドラマチックに『仕立て上げる』必要もない。
自分が自分自身に対する過度の期待は傲慢である。自分自身に対して失礼である。冒涜である。
♪生きる為に生きる
原始の声をくれ
(シオン)
右翼だろうが、左翼だろうが、英雄史観だな。
私は唯人史観なので別の思想である。
当然、誰かがそれを奪いに来たら、つまり『日本国家』あるいは『敵国』が奪いに来たら抵抗する。
『心のノート(こころのノート)』なんぞ大キライ。
不良という生き方を認めん『夜回り先生』なんぞ大キライ。
民主主義の押しつけも大キライ。
『欧米列強に支配されたアジア民衆の解放』と云う名の『集団的自衛権』の戦争も当然認めん。
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