12月15日
食類 ペット水小12 600円
無添加ワイン 398円
諸々 499円
合計 1497円
12月累計 55607円
大変である。
まきちゃんが、宇都宮まきちゃんが本を出すらしい。
http://utsunomiyamaki.laff.jp/blog/2008/12/post-1e8b.html
え~。。。12月20日って、いつや。あ、20日か。なんかよう解らんようになって来たけど、まきちゃんが本を出す事だけは確からしい。
16時から難波のジュンク堂で発売記念イベントもあるらしい。
おぉぉぉぉ。。。行きたいぞ。。。無茶苦茶行きたいぞ。。。40のオッさんが行ったら変態扱いされるかも知らんが、それも名前は忘れたが多分『五怖畏』っちゅう凡夫の怖れのうちのなんかやろうけど、え~。。。まきちゃんと握手。。。サインも貰えるかも知らん。オッちゃんは、オッちゃんは、どうしたらエエねん。
1 やはりここはクールにアマゾンでネット注文して買う。
2 本屋で小難しそうな本と一緒に買う。
エロ本、ちゃう、っちゅうねん。
しかし、それでも宇都宮まきちゃんの本である。
あのまきちゃんが本を出したのだ!!!
あ、そういや、先輩の川浪剛さんも共著ですが本を出しました。
http://www.atworx.co.jp/works/pub/47.html
先日、『著者割引』とかなんかで1300円で買いました。
この川浪さんは知っている人は知っているし、知らない人は全く知らない(当り前か)人だが、恐らく全国で唯一の「坊さんになった後にホームレスになった人」である。今は違うが。
ちなみに、別に気取ってホームレスになったわけではない。
「私も仏道修行の為にホームレス生活をしなければ」
等と云う鬼畜ではない。
頭は無茶苦茶エエのだが、生き方が下手なんだろう。別名『プライドが高い』とも云うが。
ホームレスを仏教では『無所帰孤独』というのかも知れない。
【ですから地獄のことを「我今無所帰孤独」と、この一言で表します。私は今帰るところがなくて孤独だと。これが地獄なんです。無間地獄という地獄でも一番苦しみの極まる地獄、そういう無間地獄を表すときに、「私は今帰るところがなく孤独だ」と言います。その帰るところというのは、私を待って、迎えてくれる者のいるところなんです。】
(竹中智秀先生 http://homepage.mac.com/hon1/sukanen/honkojinote/note7/note72.htmより)
川浪さんは中学校時代に学校をサボって(不登校)釜ヶ崎で働いていた。
その時に本には書いてないが、確か同じテーブルでメシを喰っているオッさんから
【「兄ちゃん。あんたみたいな若い歳からこんなとこ来てたら、将来ぜったい出世でけへんでぇ~」】(川浪剛共著『貧魂社会ニッポンへ』222ページより)
と、云われたらしい。
【よい子じゃなくてはいけない、そういうことがずっと自分を押し進める役割を果たしていたように思うんです。それは一見、努力の仕方によっては社会のみんなから受け入れられるタイプを作り上げていく。そういう中で、逆に自分の中を覗いてみたら、もの凄くある種の脅迫観念があり、「こんなところから早く抜け出したい」という人の目を気にする自分がいた。よい子を目指す人というのは、多分、人の目を気にしているんですよね。人からどう思われるか、そこから解放されたかった。けれども、いくら祈っても、いくらミサに真剣に参加しても、瞑想会で真剣に自分自身を見つめ直しても何も変わらなかった。】(本田哲郎共著『貧魂社会ニッポンへ』176ページより)
【野宿している人を差別的に見て、何かされるとばっかり思っていたら、たった一言、「やあ、にいちゃん、すまんな、おおきに」という言葉で、私を受け入れてくれたのです。】(本田哲郎『1996年度さけび』30ページより)
【ここで、本願に遇うたと。みんな浄土を故郷とする御同朋ではないか。さあ苦労を一緒にして行こうと、最後の最後まで苦労を一緒にしていけるということができるということが、本願に遇うた、助けられたということの喜びです。苦労が一緒に出来るということが、助かったということなんです。
ここに非常に深い、私たちが生きるということの喜びがあるんです。苦労が嫌だというのではなしに、一緒に苦労が出来るということが喜びだと。そこに助けられていく念仏の教えがあるのです。】
(竹中智秀先生 http://homepage.mac.com/hon1/sukanen/honkojinote/note7/note72.htmより)
つい、カテゴリーを『南無阿弥陀仏の結婚式』にしてしまった。。。
食類 ペット水小12 600円
無添加ワイン 398円
諸々 499円
合計 1497円
12月累計 55607円
大変である。
まきちゃんが、宇都宮まきちゃんが本を出すらしい。
http://utsunomiyamaki.laff.jp/blog/2008/12/post-1e8b.html
え~。。。12月20日って、いつや。あ、20日か。なんかよう解らんようになって来たけど、まきちゃんが本を出す事だけは確からしい。
16時から難波のジュンク堂で発売記念イベントもあるらしい。
おぉぉぉぉ。。。行きたいぞ。。。無茶苦茶行きたいぞ。。。40のオッさんが行ったら変態扱いされるかも知らんが、それも名前は忘れたが多分『五怖畏』っちゅう凡夫の怖れのうちのなんかやろうけど、え~。。。まきちゃんと握手。。。サインも貰えるかも知らん。オッちゃんは、オッちゃんは、どうしたらエエねん。
1 やはりここはクールにアマゾンでネット注文して買う。
2 本屋で小難しそうな本と一緒に買う。
エロ本、ちゃう、っちゅうねん。
しかし、それでも宇都宮まきちゃんの本である。
あのまきちゃんが本を出したのだ!!!
あ、そういや、先輩の川浪剛さんも共著ですが本を出しました。
http://www.atworx.co.jp/works/pub/47.html
先日、『著者割引』とかなんかで1300円で買いました。
この川浪さんは知っている人は知っているし、知らない人は全く知らない(当り前か)人だが、恐らく全国で唯一の「坊さんになった後にホームレスになった人」である。今は違うが。
ちなみに、別に気取ってホームレスになったわけではない。
「私も仏道修行の為にホームレス生活をしなければ」
等と云う鬼畜ではない。
頭は無茶苦茶エエのだが、生き方が下手なんだろう。別名『プライドが高い』とも云うが。
ホームレスを仏教では『無所帰孤独』というのかも知れない。
【ですから地獄のことを「我今無所帰孤独」と、この一言で表します。私は今帰るところがなくて孤独だと。これが地獄なんです。無間地獄という地獄でも一番苦しみの極まる地獄、そういう無間地獄を表すときに、「私は今帰るところがなく孤独だ」と言います。その帰るところというのは、私を待って、迎えてくれる者のいるところなんです。】
(竹中智秀先生 http://homepage.mac.com/hon1/sukanen/honkojinote/note7/note72.htmより)
川浪さんは中学校時代に学校をサボって(不登校)釜ヶ崎で働いていた。
その時に本には書いてないが、確か同じテーブルでメシを喰っているオッさんから
【「兄ちゃん。あんたみたいな若い歳からこんなとこ来てたら、将来ぜったい出世でけへんでぇ~」】(川浪剛共著『貧魂社会ニッポンへ』222ページより)
と、云われたらしい。
【よい子じゃなくてはいけない、そういうことがずっと自分を押し進める役割を果たしていたように思うんです。それは一見、努力の仕方によっては社会のみんなから受け入れられるタイプを作り上げていく。そういう中で、逆に自分の中を覗いてみたら、もの凄くある種の脅迫観念があり、「こんなところから早く抜け出したい」という人の目を気にする自分がいた。よい子を目指す人というのは、多分、人の目を気にしているんですよね。人からどう思われるか、そこから解放されたかった。けれども、いくら祈っても、いくらミサに真剣に参加しても、瞑想会で真剣に自分自身を見つめ直しても何も変わらなかった。】(本田哲郎共著『貧魂社会ニッポンへ』176ページより)
【野宿している人を差別的に見て、何かされるとばっかり思っていたら、たった一言、「やあ、にいちゃん、すまんな、おおきに」という言葉で、私を受け入れてくれたのです。】(本田哲郎『1996年度さけび』30ページより)
【ここで、本願に遇うたと。みんな浄土を故郷とする御同朋ではないか。さあ苦労を一緒にして行こうと、最後の最後まで苦労を一緒にしていけるということができるということが、本願に遇うた、助けられたということの喜びです。苦労が一緒に出来るということが、助かったということなんです。
ここに非常に深い、私たちが生きるということの喜びがあるんです。苦労が嫌だというのではなしに、一緒に苦労が出来るということが喜びだと。そこに助けられていく念仏の教えがあるのです。】
(竹中智秀先生 http://homepage.mac.com/hon1/sukanen/honkojinote/note7/note72.htmより)
つい、カテゴリーを『南無阿弥陀仏の結婚式』にしてしまった。。。
従姉妹マチばあちゃんが
あたしを待ってる
人がいる
いい日旅立ちだな~
ちょうど沖縄冬至のおまつりの時やねんて
古式のお正月だそうですお坊様。
移動中に着て行った革ジャンが面倒で、面倒で。。。