坊主の家計簿

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 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

『社会』と『個人』

2008年06月21日 | 坊主の家計簿
 6月21日

 食類  焼きハマチ        75円
     焼きにしん       125円

 合計              200円
 6月累計          70987円

 橋下大阪府知事が大阪府職員研修に自衛隊の体験入隊を利用しようとしているらしい。
 http://www.asahi.com/politics/update/0618/OSK200806170060.html
 数日前の事なので、今現在はどうなっているのかは解らないが「何を考えとるねん」である。大阪は何時から楯の会になったのか?そのうちに大阪府職員を引き連れて自衛隊に乱入してクーデターでも起すつもりなのか?大阪府職員と自衛隊とで関ヶ原を封鎖して関西を独立させるつもりなのか?まあ、それはそれで面白い気もするのだが、単なる職員研修であるらしい。
 大阪府の幹部の方曰く「研修内容が違う」であり、労働組合の幹部曰く「調子に乗り過ぎている」らしい。まあ、そりゃそうだろう。元々右派的な発想の知事だったが、今回の発言は『タレント時代』なら笑って済むが、知事でっせ、知事。ちょっと、知事としては完璧な失言やな。

 夕寝で爆睡して、『人志松本のすべらない話ザ・ゴールデン』を少しだけ見る。
 え~と。。。関西出身以外のお笑い芸人も増えて来たのぉ。。。
 橋下知事、この状況を打破しないといけない。このままでは『お笑い王国・大阪』の看板を降ろさなければならない時が来るのではないのか?職員研修に自衛隊を使うよりも、職員選抜でM-1グランプリを目指せばエエのではないのか?
 まずは職員内での漫才コンテストをして、その中の上位数組をM-1グランプリに出す。話題にもなるし、また、職員のお笑いのレベルも上がる。職員同士が『お笑い』を通じての一体感が出るではないか。自衛隊よりも、吉本に行け。

 大阪がお笑い王国なのは単純である。そんなもんは関西ローカルのテレビ番組を見れば解る。ほぼ、お笑いである。お笑い芸人が大活躍である。
 毎週土曜の昼間には吉本新喜劇をテレビでやっている土地柄である。今日なんぞは14時から17時まで3時間の漫才番組である。全国ネットの時間を除けば『お笑い』で一杯の土地柄である。
 テレビという気軽なマスメディアで気軽にお笑いに触れる事が出来る。
 学校の成績が悪ければ「あんた、吉本に行くんか」とか、面白いヤツが居れば「お前は吉本に入れ」の土地柄である。周囲の環境もお笑いである。
 よって、お笑いに関して必然的に厳しくなり、話に『オチ』を求める。法話をする坊さんも『お笑い』を考える土地柄である。つかみのネタがウケなかったら落ち込む土地柄である。
 それが故に『お笑い王国』であったのだが、現在はお笑い番組は全国ネットでもバンバンやる時代だし、法話での『お笑い』も全国的になりつつある。
 危ない。。。危険である。DVD等でも簡単にお笑いが見れるし、ユーチューブでもお笑いは見れる。大阪=お笑いの牙城は危機に陥っている。

 元々の大阪原住民はそれ程多くないと思う。土地が狭いし。私だって大阪の生まれ育ちであるが、父親は四国系であり、母親は石川県である。子どもの私が大阪で生まれ育っただけである。大阪は都会でもあるので地方出身者が多い。全くお笑い文化に触れていない人達が集まって来て、大阪のお笑い文化に接し、お笑いが血となり肉となるだけの話である。つまり、そういう文化に染まるだけの話である。
 決して『大阪で産まれた=お笑いDNAを持っている』ではない。後からのものである。大阪はお笑いに接する機会が多いから必然的にお笑いのレベルが上がるだけの話である。決して先天的なものではない。

 この辺を勘違いされやすい。何か大阪人には先天的に『お笑い遺伝子』が備わっているような勘違いをしておられる人もいるが、それはあくまでも勘違いである。ただ単に周囲の影響である。文化である。日本で生まれ育った在日コリアンの人達だって、民族教育を受けなければ、あるいは家庭内で朝鮮語を学ばなければ朝鮮語は話せない。スザンヌも英語は話せないらしいではないか。あくまでも文化である。
 よって、大阪人=お笑いとはあくまでも後天的なものであり、大阪人=お笑いとは偏見である。単にそういう文化があるだけの話である。
 
 周囲の環境によって人は変わる。どういう文化圏に産まれたかによって人は変わる。どういう文化圏に居てるかによって人は変わる。どういう教育を受けるかによって人は変わる。
 当り前の事である。
 
 どういう文化を作り出して行くのかは、個人の責任である。
 死刑という文化は『正義さえあれば人を殺しても構わない』という文化である。その事に反対するのか、賛成するのかは個人の問題である。

 大阪=お笑いとは売りになる。文化的特徴でもある。だからといって全ての大阪人がお笑いが好きであるとか、お笑いが得意であるとかという事はあり得ない。それは偏見である。単純な話だ。『大阪人』等いないのだから。居るのは単に『大阪で生まれ育った人』である。

 しかし、決めつけられる事も多々ある。大阪人の自殺原因のトップは『大阪人なのにお笑いが出来ない』という事である。その事によってストレスを感じ、自殺する。つまり、『大阪=お笑い』であるが故に、必然的にそれを求められて『大阪人らしくない』という事がストレスになる。
 これは当然『男らしくない』『女らしくない』にも通じる。そんなものなど無いのだ。あるのは戸籍上での『男』『女』だけの話である。身体的の『男』『女』は、『性同一性障害』という「何が障害じゃ!」という事で無くなって居る。あくまでも戸籍上での問題だけである。
 どういう風に人生を生きたいのかは、それぞれ個人の選びだけの話である。
 『男の視点』『女の視点』等もあり得ない。単なる妄想である。作られたものでしかない。

 『○○らしい』がストレスになる。
 『○○にそぐわない』になる。そこに自分の居場所がない。自分を自分として引き受ける事が出来ない。
 だったら、そんなもの捨てればイイ。捨てる事が出来なくとも「下らない」と思えばイイ。単なる偏見でしかないと思えばイイ。
 私は私であると。
 ただ、今度は『私らしくない』になる。それも偏見である。固定化された私などない。周囲の様々な影響によって『私』は変わる。変わった私自身を『私でない』とするのは偏見である。元来『私』などないのだから。

 『らしさ』に則ればプライドが保てる。所詮、そんなもんである。世間体に『私』を売り渡しているだけの話である。
 当然、それを売りにするのなら売りにすればイイ。大阪でお笑いが売りなのと同じ様に売ればイイ。
 ただ、別に売れなくとも大阪は大阪だし、『私』は『私』である。
 事実、今生きている『私』を無視する事は横暴極まりない。

 社会正義は変わらず流行中である。そんな『社会』に自分を売り渡す必然性はない。
 社会も変わっていく。橋下知事が自衛隊で職員研修をしようとする時代である。大阪府が右翼団体になるかも知れない時代である。そういう中で生まれ育つ。そういう中で生まれ育った人は右翼的な思考になる。それは戦後民主主義教育の中で左派的な思考を養われた事と変わらない。
 『私』は変わっていく。どういう風に変わっていくのかは、それぞれの個人の選びである。
 どういう風な『国』を作って行きたいのかは、それぞれの個人の選びである。
 私は、それぞれの個人を『社会正義』の名目、『○○らしさ』という個人を無視する国は選びたくない。
 『社会正義』の貢献度や、『○○らしく』ある事にどれだけ当てはまるかという様な、偏見に満ちあふれた『社会』は選びたくない。そういう文化は真っ平御免だな。

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