4月12日
雑費 回数券 3700円
近鉄往復 500円
ミルクティー 500円
伊古奈 3000円
合計 7700円
4月累計 53730円
オッさん(失敬)3人で東大阪の伊古奈へ。お好み焼き、かなり美味い。一番美味いとはいえないが、かなり美味い。というか、この店の売りは他にもあるのだろうが。。。
お好み焼きを食べる前に『和寧文化社』とかいうのか?よく知らんが、まあ、同じ系列の喫茶店に行く。個人的にはどうでも良かったし、さっさとお好み焼き&ビールを飲みたかったのだが、入った速攻で考えを変更。
須田剋太という画家は凄いぞ。。。ハナタラシのタケやん(竹谷郁夫)の絵を観た以来の衝撃かも知らんぞ。タケやんよりも線がキツいぞ。キワキワやぞ。思わず見とれる。いや、現代アートって変なの、つまりロクでもないのが多いのだが、須田剋太は凄いぞ。。。って、無茶苦茶有名な人らしいのだが、今日初めて知って感動した。
ちなみに、わざわざ東大阪までお好み焼き&ビールを食べに行ったのは、その店の大将である丁章さんに会いに行くため。
いや、某会合で何度か顔を合わしてて「誠実そうなエエ兄ちゃんやなぁ。。。」と思ってたのだが、たまたま先輩とむかしに縁があったらしく、「ほな行きまひょか」と云う事で。
丁章さんは、アマゾンでも本を売ってる詩人でもあるので、まあ、名前を出してもエエと思うから勝手に出すのだが、オッさん(失敬)達も含めて飲んでる中での諸々の話しの中でやはり出て来た言葉。
「奪われて来たから」
奪われて来たが故の民族意識であると。
帰宅して、ヘロヘロに酔っぱらって思うのだが、それが須田剋太氏の絵の線、キワキワの線に通じるものが非常にあると勝手に思う。圧倒的な『個』。書かずにおれないような『個』。
キワキワでっせ。
当然、私には私の『個』があるので、今日の話しに全面的に賛同なんぞ出来るわけがない。私は私だし。解放の運動だろうが、障害者運動だろうが、一貫して私が感じた、つまり影響を受けた事は『個の自覚』なわけだし。「はあ、そうですね」なんぞと言えるわけがない。
『個』を無礼に扱っていた事が問われるのだし、よって『個』の尊重しかないわけだし、当然、私も『個』でしかない。
丁章さんは詩人。
結構エエ詩を書きはる事を昨日初めて知る。まあ、会いに行くわけだし、下調べでんな。
http://homepage2.nifty.com/GOMAME/2007/12/071203.htm
このリンクに、『解放区』という詩が載ってある。かなり気に入ったので、ついでにアマゾンで3冊出てる詩集を注文する。まあ、ケチだから家計簿つけてる兄ちゃんがわざわざ買いたくなる様なエエ詩やで。この詩だけで充分法話出来まっせ。というか、使わんでもエエかも知らんが。まあ、お気に入りだし、紹介したいやん。
「皇帝の銘ある貨幣は皇帝に返せ」
福音のあの言葉のように
暴力は
あの者たちに
返してしまえばいい
(『解放区/丁章』より)
『詩』という文章をこういう風にブチ切って紹介すべきではないと思うのだが、まあ、http://homepage2.nifty.com/GOMAME/2007/12/071203.htmを見て下さい。
『暴力的抗議』というのを思う。
暴力的抗議は、決して平和的抗議ではあり得ない。
抗議や批判は大事だが、それは決して暴力的であってはならない。
ある人達にとっては太平洋戦争は『暴力的抗議』であったのかも知れない。
全共闘のある人達にとってはゲバ棒・投石の行為は『暴力的抗議』であったのかもしれない。
「暴力的にならざるを得なかった」と、まあ、いうのだろう。
だけど、それは暴力の再生産。
強い者が勝つ世界の再生産。
自分という『個』は、『個』に止まらず、関係性での『個』でしかないわけだし。
姫路やったけな?大阪の兄ちゃんが、駅である人を突き落としたか何かで殺した。
息子を殺されたお父さんがテレビインタビューで答えてた。
「正直、腑が煮えくり返っています。でも、こういう事件はこれで最後にして貰いたい」
みたいな事。
テレビニュースを見ながら『腑が煮えくり返っています』という正直さに共感し、『でも、こういう事件はこれで最後にしてもらいたい』みたいなコメントに感動した。
今、実は奇跡が多く起っている。
そのお父さんも奇跡だし、ダライ・ラマが『~チベット人のみなさんに向けて~』(http://www.tibethouse.jp/dalai_lama/message/080406_statement_to_all_tibetans.html)
として書かれた文章も奇跡である。
別に空を飛んだとかなんぞが奇跡ではない。
「やられたら、やりかえせ」
でない事が奇跡なのだ。
雑費 回数券 3700円
近鉄往復 500円
ミルクティー 500円
伊古奈 3000円
合計 7700円
4月累計 53730円
オッさん(失敬)3人で東大阪の伊古奈へ。お好み焼き、かなり美味い。一番美味いとはいえないが、かなり美味い。というか、この店の売りは他にもあるのだろうが。。。
お好み焼きを食べる前に『和寧文化社』とかいうのか?よく知らんが、まあ、同じ系列の喫茶店に行く。個人的にはどうでも良かったし、さっさとお好み焼き&ビールを飲みたかったのだが、入った速攻で考えを変更。
須田剋太という画家は凄いぞ。。。ハナタラシのタケやん(竹谷郁夫)の絵を観た以来の衝撃かも知らんぞ。タケやんよりも線がキツいぞ。キワキワやぞ。思わず見とれる。いや、現代アートって変なの、つまりロクでもないのが多いのだが、須田剋太は凄いぞ。。。って、無茶苦茶有名な人らしいのだが、今日初めて知って感動した。
ちなみに、わざわざ東大阪までお好み焼き&ビールを食べに行ったのは、その店の大将である丁章さんに会いに行くため。
いや、某会合で何度か顔を合わしてて「誠実そうなエエ兄ちゃんやなぁ。。。」と思ってたのだが、たまたま先輩とむかしに縁があったらしく、「ほな行きまひょか」と云う事で。
丁章さんは、アマゾンでも本を売ってる詩人でもあるので、まあ、名前を出してもエエと思うから勝手に出すのだが、オッさん(失敬)達も含めて飲んでる中での諸々の話しの中でやはり出て来た言葉。
「奪われて来たから」
奪われて来たが故の民族意識であると。
帰宅して、ヘロヘロに酔っぱらって思うのだが、それが須田剋太氏の絵の線、キワキワの線に通じるものが非常にあると勝手に思う。圧倒的な『個』。書かずにおれないような『個』。
キワキワでっせ。
当然、私には私の『個』があるので、今日の話しに全面的に賛同なんぞ出来るわけがない。私は私だし。解放の運動だろうが、障害者運動だろうが、一貫して私が感じた、つまり影響を受けた事は『個の自覚』なわけだし。「はあ、そうですね」なんぞと言えるわけがない。
『個』を無礼に扱っていた事が問われるのだし、よって『個』の尊重しかないわけだし、当然、私も『個』でしかない。
丁章さんは詩人。
結構エエ詩を書きはる事を昨日初めて知る。まあ、会いに行くわけだし、下調べでんな。
http://homepage2.nifty.com/GOMAME/2007/12/071203.htm
このリンクに、『解放区』という詩が載ってある。かなり気に入ったので、ついでにアマゾンで3冊出てる詩集を注文する。まあ、ケチだから家計簿つけてる兄ちゃんがわざわざ買いたくなる様なエエ詩やで。この詩だけで充分法話出来まっせ。というか、使わんでもエエかも知らんが。まあ、お気に入りだし、紹介したいやん。
「皇帝の銘ある貨幣は皇帝に返せ」
福音のあの言葉のように
暴力は
あの者たちに
返してしまえばいい
(『解放区/丁章』より)
『詩』という文章をこういう風にブチ切って紹介すべきではないと思うのだが、まあ、http://homepage2.nifty.com/GOMAME/2007/12/071203.htmを見て下さい。
『暴力的抗議』というのを思う。
暴力的抗議は、決して平和的抗議ではあり得ない。
抗議や批判は大事だが、それは決して暴力的であってはならない。
ある人達にとっては太平洋戦争は『暴力的抗議』であったのかも知れない。
全共闘のある人達にとってはゲバ棒・投石の行為は『暴力的抗議』であったのかもしれない。
「暴力的にならざるを得なかった」と、まあ、いうのだろう。
だけど、それは暴力の再生産。
強い者が勝つ世界の再生産。
自分という『個』は、『個』に止まらず、関係性での『個』でしかないわけだし。
姫路やったけな?大阪の兄ちゃんが、駅である人を突き落としたか何かで殺した。
息子を殺されたお父さんがテレビインタビューで答えてた。
「正直、腑が煮えくり返っています。でも、こういう事件はこれで最後にして貰いたい」
みたいな事。
テレビニュースを見ながら『腑が煮えくり返っています』という正直さに共感し、『でも、こういう事件はこれで最後にしてもらいたい』みたいなコメントに感動した。
今、実は奇跡が多く起っている。
そのお父さんも奇跡だし、ダライ・ラマが『~チベット人のみなさんに向けて~』(http://www.tibethouse.jp/dalai_lama/message/080406_statement_to_all_tibetans.html)
として書かれた文章も奇跡である。
別に空を飛んだとかなんぞが奇跡ではない。
「やられたら、やりかえせ」
でない事が奇跡なのだ。
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