坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

ボケる

2009年09月15日 | 坊主の家計簿
 昨日読んでた小林よしのり『天皇論』を読みながら、宗教者論として問われてた。
 まあ、天皇教の信者である小林よしのりにとって『あるべき天皇』の姿を書かれてた。その上で

【だが個人崇拝はしない!】(366ページより)

 と断言した上で

【カルト宗教の教祖を妄信する信者や、独裁者に従順な人民のように、思考停止に陥ることはわしの場合、絶対ない!
 だから、いざという時は、西郷隆盛のように逆賊となることも覚悟しておかねばならんだろう!】(367ページより)

 と。

 え~、信仰は違うけど、非常に『健康』な信仰のあり方やのぉ。。。この辺は絶対に変えて頂きたくない。違う宗教を(まあ、小林よしのりにとっては『宗教』ではないのだろうが)信仰しているとはいえ、こういう信仰のあり方が非常に『健康』だと思う。まあ、宗教感はそれぞれだろうが。『私にとっては』という限定つきではあるが。

 その上で、私は今現在『僧侶』であり『住職』である。寺の管理を任されている。
 『僧侶』であり、『住職』という立場は勘違いしてしまう立場である。同じ『真宗門徒』の中でも単なる『門徒』でなく、『僧侶』であり、『住職』である。
 「ヘッヘッヘッへ。。。俺って偉いやろ」
 である。『指導する立場』に立ちたがる。立ってしまう。何かあった時に『教え』に照らし出される事なく、『僧侶』『住職』という立場を利用して個人のエゴを満たしてしまう。そして、『僧侶』『住職』という立場を利用してしまっている事に対する批判がなければそのまま通ってしまう危険性がある。
 それが故に小林よしのりの上記の様な発言をする『門徒』が居れば、その寺や教団は健康的である。
 まあ、当然、日の丸・君が代なんぞの強制があった場合「それはおかしい」なんぞというだろうが(笑)

 『門徒』が正しいわけではなく、『僧侶』や『住職』が正しいわけではない。『仏法』が正しい。
 正しいものがハッキリしない限り、何が間違っているのか解らない。
 世間が正しければ『世間教』であり、寺社会が正しければ『寺社会教』である。んなもん、仏教ではない。

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