坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

当り前の事

2008年06月25日 | 坊主の家計簿
 6月25日
 
 外食 ワンタン麺        567円
 食類 寄せ豆腐         130円

 合計              697円
 6月累計         102870円

 しんどい、っちゅうねん。。。
 ちゅう事で、今日の学習会はサボる。
 サボって、ダラダラ、ダラダラとテレビをボンヤリみて過ごす。

 こういう疲れて脳味噌ヘロヘロ状態の時はお笑い番組に限る。ちょうど『お笑いレッドカーペット』やったけな?そんなのがやってた。少し、観る。
 バカリズムの『贈るほどもない言葉』にハマる。ユーチューブにも落ちていたのでさっきも見てもうた。
 『贈るほどもない言葉』は卒業式に先生が最後に『贈る言葉』が、もの凄く『当り前』の言葉だったりする。それだけのネタなのだが、8分ぐらいでも充分飽きずに笑える。

 しゃて、非常に影響されやすい私もバカリズムに真似て『贈るほどもない言葉』をひとつ。
 「いいか、みんな。いいか、お前等はみんな死ぬ。」

 う~ん。。。当り前は当り前の事なんだが、おもろないなぁ。。。
 っちゅうか、坊さん臭いなぁ。。。っちゅうか、坊さんやったんやった。
 坊さんなので、ついでに『贈るほどもない言葉』をもうひとつ。

 「いいか、人間の眼は横で鼻は縦だ」

 これは『眼横鼻直』という道元禅師の言葉である。
 「当り前やんけ!」
 なのだが、じゃ、その『当り前の事』当たり前の事として引き受けられているかというと、そうも行かない。引き受けているとは全くいえない。引き受ける事が出来ないが故に、当り前の言葉に感動したりする事が出来る。

 殺人を犯した多くの人は逮捕後に反省したりするらしい。
 反省するのなら最初からやらなければイイだけの話なのだが、そういうわけにも行かない。殺人は極論だろうが、ついつい夜中にラーメン屋に入ってこってりしたラーメンを食べている時に「ラーメンだけやったら足りひんなぁ。。。」と小ライスを頼んでキムチ山盛りにして食べてしまって、翌朝下痢になって初めて「ああ。。。何度同じ失敗してるねんや。。。」と云う人は私だけではないはずである。小ライスにキムチ山盛りは少数かも知れないが、夜中のラーメンの被害者は多いはずである。なんだが、変わらずにラーメン屋は深夜にも開いている所から察するに、同じ過ちを何度も何度もしてしまうのだろう。下痢でなくとも胃もたれであっても。
 当り前の事、解りきった事であっても深夜にラーメンを食べてしまうのだ。

 梅雨はジメジメしてイヤだと言い、夏は暑いと文句ばっかり。年がら年中文句ばっかり。全く引き受ける事等出来ない。『当たり前の事』を『当り前の事』として引き受ける事が出来ない。
 暑いからクーラをつけたりして自分の思いに適う環境を作り出そうとする。当り前の事を当たり前の事として放って置く事が出来ない。
 それが私の『当り前の姿』である。当り前の事を引き受ける事が出来ないのは『欲』がある。『思い』がある。故に『煩悩具足の凡夫』である。
 『具足』とはオプションではない。標準装備である。煩悩は標準装備されている。
 そういう当たり前の事を引き受けられないからカッコ付けたりする。そういう当り前の姿から眼を逸らそうとする。
 「聞きたくない、聞きたくない」という誰かのギャグがあったが、あれである。当り前の事を聞きたくないが故に夢の中、思いの中に埋没しようとする。してしまう。
 宗教でなら『救われてしまった』問題。救われてしまったら道を求める必要がなくなる。凡夫が仏になってしまう。凡夫であるが故に救いを求めようとするのだろうが、救われてしまったら『求める必要がなくなる』。求めるのでなく、判断する側『だけ』になる。他人の成績をつける『先生』になってしまう。
 求める事が出来る。救いを求める事が出来る。仏になるのでなく、仏に向き合う『側』に立てる。

 毎日の御仕事は御参り。まあ、読経でんな。読経する時は、仏に向き合う側に立つ。仏を背中にしてではない。仏に向き合い、同じ門徒の人達と、共に仏に向き合う。共に仏道を求める事が出来る。
 他人の成績をつける先生の側。「あなたの仏教はおかしい」等々。同じ仏教徒にも関わらず、同じ仏教徒を弾圧したりする。御禁制の教えにしたりする。死罪、流罪にしたりする。仏の弟子が、仏になる。仏になって人を裁く。

 当り前の事を、当り前をして引き受ける事が出来ないが故に、『求める事』が出来る。
 多分、バカリズム先生は、卒業を前に生徒達にそんな言葉を伝えたかったのではないのか。。。と、ヘロヘロの頭で思ったりもするが、ネタや、っちゅうねん。
 
 

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